開成の生徒たちは、一方的に教員から本やメディアを薦められるのではなく、自分たちが興味深いと感じたものをどんどん僕にも教えてくれます。「これより面白い教材を扱え!」という挑戦状なのかもしれません(笑)。普段、古文の教師として、ある意味「文化の押し売り」をしている立場としては、受けて立たないわけにはいきません。
高校生に読んでもらいたい本のナンバーワン
そんななかで、僕が今回セレクトしたお薦め本。「読んでもらいたい」という気持ちだけで選んだのですが、改めて見直すと、心理描写がじっくり書き込まれた、文章じゃないと良さが伝わりにくい小説ばかり選んでしまいました。
文字を追うことでしかたどり着けないところに連れて行ってくれる本は確実にある。映像に囲まれて生きている今の学生たちだからこそ、そんな小説の面白さにぜひとも触れてもらいたいと思います。
今回お薦めする本の1冊目は、僕が高校生に読んでもらいたい本のナンバーワン。音楽一家に生まれ、チェロを学ぶ津島サトルの高校3年間を描いた 『船に乗れ!』 (藤谷治著、小学館文庫)です。
自分なりの哲学や生き方を形づくろうとするときに、等身大の主人公の姿が浮かび上がり、きっと人生を深めてくれる、そんな力を持った1冊だと思います。
世の中に「感動の青春小説」と呼ばれる本はたくさんありますよね。この本も青春小説なのですが、あまりに苦くてあまりに痛くて、「感動」の一言ではとても片付けられません。
哲学と音楽を愛するサトルは自分を「特別な人間」だと思っています。同じクラスにいたらさぞ嫌なヤツでしょう。でも、読み始めるとこの嫌なヤツから目が離せなくなるのは、自分の中にもどこかサトルと同じ部分があると感じるからでしょうか。
周りの才能に触れたとき、自分には絶対超えられない存在に気付いたとき、そのときの人生の怖さ。自分は卑屈だ、怠け者だ、本当になりたいものがあるのに不徹底だ。サトルは延々と悔やんだり悩んだり自己嫌悪に陥ったり。
そして、あるとき、悔やんでも悔やみきれないことをしてしまいます。普通なら、主人公は失敗や挫折を糧に成長するものなのですが、サトルはそうじゃない。だってそれはもう起きてしまったのです。ここで読者に突き付けられるのは、人は後悔や苦い思いを抱えたまま生き続けるしかない、ということ。
しかもです。この小説は40代になったサトルが過去を振り返るという形式で書かれていて、いい大人になったサトルが登場するのですが、これが実に平凡な、高校生から見たらさえない人物なんです。だから、時折挟み込まれる大人になったサトル目線の文章は微妙にダサく、そして心に染みる。
また、クラスメートにLGBTの少年がいて、高校生のサトルはまったく気付かなかったけれど、彼の態度や彼が薦めてきた文学から、「ああそうだったのか」と、大人になったサトルは気付きます。その少年がどれだけ傷ついてきたか、自分がどれだけ傷つけてきたかは、大人になってやっとわかる。
大人だからこそ見えてくることが、40代のサトル目線で語られることで、高校生の独り善がりな感情に溺れず、小説の味わいが増しているように思います。
救いのないようにも読める小説、最後のメッセージは…
タイトルの「船に乗れ!」はニーチェの言葉。迷いのなかにいるサトルは、久しぶりに高校の倫理社会の先生を訪ね、そこでこの言葉を受け取ります。
誰だって、自分の哲学、自分の太陽を持つべきだ。
君の正反対に立っている人にだって、生きる権利があるのだ。
さらに、別の世界が発見されなければならない、船に乗れ! 君たち哲学者よ!
救いのないようにも読める苦くて痛い青春小説ですが、その締めくくりのメッセージは、人はそれぞれみんな違う、自分だけの船に乗れ、そして、自分だけの生き方、哲学を見つけろ、なのですね。
挫折や後悔は人生にはつきものです。でも、苦しい時期に、「自分が大人になったとき、今の自分にどんな声をかけてあげられるのかな」と、思うことができたらどうか。この本はそんな視点を与えてくれる。世界の見え方が少し変わってくるかもしれません。
さらにこの本の魅力は、最後のメッセージにもあるように、哲学や音楽や文学などへの自分なりの出合い方を模索したり、深めようとしたりということにもつながる広がりを持っていること。人生を変える1冊にもなり得ると思います。
高校時代に出合えたら本当に幸せ。高校の国語教師として力を込めてお薦めしたいです。
4年前の中学1年生にこの言葉を贈った
開成中学では、毎年入学式の直後に書いた自己紹介文を写真とともに1学年分まとめた「中一の顔」という自己紹介冊子を作っています。
4年前に中学1年生の担任となり「中一の顔」を作成したとき、この小説を読んだ感動をずっと忘れられなかった僕は、本のタイトルであるニーチェの言葉をそのままいただいて、「船に乗れ」を彼らに贈るメッセージとしました。
「勇気を出して、自身の船に乗り、自分だけの生き方・哲学を探してください――」
この代の生徒は現在高校2年生。今の彼らに本書を読んでもらいたいです、僕のように大人になってからではなく。
新海誠監督の映画を授業の題材に、すると生徒が…
今年の1学期に万葉集の良さを生徒に伝えたいと思って、新海誠監督の映画『言の葉の庭』を高校2年生の全クラスの授業で見せました。
この作品は、万葉集の歌が繊細に張り巡らされ、物語を進めていく力になっています。
それで、映像を見せた後、そこに仕掛けられている歌や文学の要素を解説する授業を行ったのですが、授業後、ある生徒が近づいてきて「
『小説 言の葉の庭』
(新海誠著、角川文庫)もすごくいいですよ」と言ってきました。
それですぐに読んでみました。
46分の中編映画を新海監督自身が自分で小説化したもので、とても読み応えがありました。映画では数シーンしか出てこない人物にも、なぜその人物がそこでそうしているかの背景が書き込まれ、それらが絡みあい、映画では説明されていない細かい事柄にもきちんと意味が与えられていく。映像では表現できない世界が、その小説には丁寧に描かれていました。
だったら映像は劣るのかというと、新海監督も後書きに書かれていますが、全然そんなことはありません。なぜなら、映像でしか表現できない世界があるから。雨に煙るような新宿御苑の光景にオーバーラップするピアノの旋律や総武線の電車の音。さまざまな角度から映し出されるドコモタワーの輝き。言葉なんていらない、言葉で説明しなくても、そこにいる人の心のありさまを一瞬で物語ることが、映像にはできてしまう。
映画と小説の両方を味わってみて気づくことは多かったですね。そして、だからこそ、自分は文章の織り成す世界ならではの豊かさを伝えていきたいとも思いました。
それっていったい何なのか?
はっきりした答えはまだ持てていないのですが、キーワードは時間かもしれません。本は1ページ読むのに30秒で済むことも20~30分かかることもある。そういう読者と作者の織り成す時間の流れは、決して均質ではなく、濃度が濃くなったり薄くなったりする。その無限の時間の濃淡にこそ、作品と読み手の唯一無二の関係があり、作品が自分一人に対して語りかけてくれるような、ぜいたくな喜びがあるのではないかと思っています。
取材・文/平林理恵 写真/稲垣純也