フェリス女学院中学校・高等学校には、蔵書数約9万冊の落ち着いた雰囲気の図書館があり、読書や調べ物、集中できる勉強の場として、たくさんの生徒たちに利用されています。
読書好きな生徒はとても多く、放課後、調べ物などのために図書館へ行くと、夢中になって思い思いの本を読みふける生徒たちの姿があちこちに。みんなこちらが知らない世界を持っていて、想像力を羽ばたかせてその世界を楽しんでいる。
そんな彼女たちと本の話をするのはワクワクするような時間です。本を薦めたり、薦められたり。その中で、授業ではまったく見えてこない一面が、垣間見えることもあります。
『 悪童日記 』(アゴタ・クリストフ著、早川書房)を読んだときに受けた強烈な印象は今でも忘れられません。著者のアゴタ・クリストフは、ハンガリー出身の女性。幼少期を第2次世界大戦下で過ごし、1956年のハンガリー動乱のときに亡命。たどり着いた先のスイスでフランス語を学び、初めて書いた小説が『悪童日記』です。
主人公は、戦争が激しくなったため、「大きな町」からおばあちゃんの住む「小さな町」へ疎開してきた双子の「ぼくら」。近所の人から「魔女」と呼ばれるおばあちゃんは、おじいちゃんを毒殺したと噂される人物。おばあちゃんに預けられたその日から、「ぼくら」の過酷な日々が始まります。
飢えと迫害、劣悪な環境の中を生き延びようと、「ぼくら」はありとあらゆることをします。体の鍛錬のためにお互いの体を傷つけ合ったり、どんな言葉にも動じない心をつくるために、侮蔑の言葉を投げつけ合ったり。さらには、断食の練習、物乞いの練習、残酷なことに慣れるための練習。一方で勉強も欠かさず、辞書と聖書を徹底的に暗記し、占領軍が入ってくれば、占領軍の言葉を瞬く間にマスターして、たくましくしたたかに生き抜いていくのです。
「ぼくら」の冷徹な視点で淡々と描き出される現実は、痛みや残酷さ、むごさ、汚さを感じさせ、そういう形で戦争を描くということに何より衝撃を受けました。
先生たちに聞いた人生を支える一冊
あの名門校の先生は、これから大人へと成長していく、中学生・高校生たちにどんな本を薦めているのでしょうか?生徒たちに薦めたい本、授業で扱った本、自分が好きな本を紹介しながら学校の特色や、本にまつわるエピソードまでをとことん語ります。
【掲載校】フェリス女学院/国際基督教大学(ICU)高校/豊島岡女子学園/広尾学園/渋谷幕張/開成/聖光学院/灘
平林理恵著、日経BOOKプラス編/日経BP/1760円(税込)
日直日誌で『悪童日記』を紹介、すると生徒から
最も印象深かったのは、「牽かれていく人間たち」の群れにおばあちゃんがわざと手を滑らせて、たくさんのリンゴを転がすシーン。
この小説には、地名や人名などの固有名詞は一切登場せず、時代背景も語られないけれども、ここで「牽かれていく人間たち」とは、ナチスドイツの占領下で強制収容所に連れて行かれるユダヤ人でしょう。
「魔女」と呼ばれ、「ぼくら」にはいつもつらく当たるおばあちゃんですが、連行されていくユダヤ人に何とかリンゴを拾って食べさせたかったのですね。だからわざと手を滑らせた。むごく汚い描写が続く中で、ふと描かれる人間性に心つかまれる思いがしました。
「ぼくら」の目を通して戦争の狂気と人間の本質をえぐり出す『悪童日記』を読んだ私は、あのとき、その感動を誰かに伝えたかったのでしょうね。生徒が持ち回りで毎日書いている日直日誌のコメント欄に、「最近すごい小説を読みました」という感じで『悪童日記』のことを書いたのです。この本はかなり性描写もどぎついし、今思えば紹介してよかったのかどうか微妙ではありますが(笑)。
すると、1人の生徒がこんなことを言ってきました。
「先生、アゴタ・クリストフなら、図書館に『怪物』という戯曲集が入っています。社会の先生にぜひお薦めしたいです」
へえー、クリストフを知っているんだ。しかも戯曲集まで読んでいるなんてすごいなあ。しかし、「社会の先生にお薦めしたい」とは……。逆にお薦めされてしまった!(笑)などと思いつつ、読んでみたら、これがもう、とても面白かった。
本とのいい出合いができたことに感謝
『 怪物―アゴタ・クリストフ戯曲集 』(早川書房)には5編の短い戯曲が収められています。どれも味わい深いのですが、やはり表題作の「怪物」が一番響きました。
舞台は、架空の世界の未開原住民が住む村。ある日、村男のノブは、仕掛けておいたわなに、見たこともないくらい大きくて恐ろしい獣が掛かっているのを見つけます。それはとてつもなく大きく、嫌な臭いを発し、どんな武器を使っても殺すことができません。
村人たちは初めは大混乱に陥りますが、そのうち悪臭にも慣れ、獣が好きになっていきます。というのも、獣は背中から花の香りを発し、その香りは人々に幸福感を与えるから。人々は獣に吸い寄せられるように近づき、獣は近くに人間が来れば、それを食べてしまう。こうして獣はぐんぐん成長していきます。
それを危惧したノブは長老と相談し、村人が獣に近づかないようにすることで怪物を小さくすることを画策します。
花の香りに引かれて怪物に近づこうとする人々を自らが殺してしまいます。恋人も友達も容赦なく。怪物は痩せて小さくなりますが、気がつけば生き残っているのは自分1人ということに。
ハンガリー出身のクリストフがあの時代に書いていることから考えると、怪物とは資本主義のことでしょうか。その甘い香りに、人々が吸い寄せられていく。一方で、正義を振りかざしてその動きを阻止しようとする人も出てきて、争いになる。やっていることは内ゲバというか村人同士の殺し合いと同じです。正義のために戦っている本人が、実は怪物になってしまっているのかもしれません。
生徒が「社会の先生にお薦め」と言ったのは、この寓話がイデオロギーを想起させるからでしょう。読む人や時代によって、怪物を様々なものに読み替えることもできそうです。薦めてくれた生徒のおかげで本とのいい出合いができたことに感謝しています。
教師という仕事をやっていると、いろいろなことをこっちから教えてあげたいという気持ちが働いてしまいがちですが、実は生徒たちは自分の中に自分の世界を構築しているものなのではないかと思います。
例えば、社会科でこんなことを習った、国語でこんな本を読んだ、休みの日にこういう経験をした……というふうに、いろいろなところで考えたことが生徒の中で一つにつながって、時に生徒のほうからそれをこちらに差し出してくれる。
本を通して、そんな双方向のやり取りをこれからもしていけたらいいなと思います。
取材・文/平林理恵 写真/稲垣純也
記事再掲載にあたり、阿部氏が2024年4月1日付けでフェリス女学院中学校・高等学校の校長に就任したことをプロフィルに追記しました [2024/5/5 5:00]





