DX(デジタルトランスフォーメーション)で後れを取る日本企業。デジタル化そのものへの対応も遅く「デジタル敗戦」ともいわれる状況に陥っている。DXでの成果が求められる今こそ、デジタル敗戦の要因を理解した上で「ソフトウェアファースト」、つまり「ソフトウェアの手の内化」に取り組む必要がある。連載第4回は「顧客に求められる品質に対する誤解」について、その問題点と打開策を『ソフトウェアファースト第2版 あらゆるビジネスを一変させる最強戦略』(及川卓也著)より抜粋してお届けする。
製造業やサービス業を問わず、日本人の品質へのこだわりは世界的に見ても際立っていると言われます。実際多くの日本人が、品質に対して厳しい目を持っていると自負し、「こと品質には厳しい日本で売れるものなら、世界でも必ず売れる」という言葉に自尊心をくすぐられる人も多い印象です。
「品質」という言葉からは、均質性や安全性、堅牢性、仕上がりの美しさなどさまざまなイメージが思い浮かびますが、国際標準化機構(ISO)が定める品質マネジメントシステム「ISO9000シリーズ」を含め、品質の定義は複数存在します。ここで紹介する「狩野モデル」もその1つです。狩野モデルを紐解くことにより、日本企業が陥りがちな品質に対する誤解が浮き彫りになります。
1980年代に東京理科大学の狩野紀昭教授が提唱した狩野モデルでは、品質を顧客満足度に直接影響を与える要素として定義しています。製品の機能が充足し、常に安定して使えるというだけではなく、その機能そのものが持つ「顧客にとっての重要性」を理解し、対応することが必要だと示しています。そのため、狩野モデルは、顧客が製品やサービスに要求する品質を5つに分類し、それぞれが顧客満足度にどのような影響を与えるかを定義しています。
この5つの分類のうち、充足してもしなくても満足度に影響を与えない「無関心品質」は簡単に言うとあってもなくても良いものなので、企業としては優先度を低くできます。また、充足することによって不満を引き起こしてしまう「逆品質」は提供を避けるべきものであり、もし過去の経緯などで製品に含まれてしまっている場合は積極的に削除を検討すべきものです。これら2つは、一般的には品質と認識されることが少ないため、あえてここでは論じません。しかし、実際にはこの「無関心品質」や「逆品質」になっている機能が放置されたままになってしまっていることも少なくありません。
狩野モデルで重要なのは「当たり前品質」「一元的品質」「魅力品質」です。これらについて知ることは、多くの日本企業が抱える課題を理解する助けになるため、詳しく解説していきましょう。
「当たり前」「一元的」「魅力」の違い
「当たり前品質」は基本品質とも呼ばれ、あって当然、なければ不満を覚える品質要素を指します。自動車に例えるなら、走る・止まる・曲がるにあたる機能の良し悪しが、当たり前品質となります。これらの機能がない自動車は存在しませんし、走る・止まる・曲がるが満足にできない自動車がユーザーに支持されることはないでしょう。かといって、最高時速が10キロ速くなっても、高速道路の速度制限以上であれば意味がありませんし、ハンドルやブレーキの反応速度がコンマ数秒改善されたりしても、F1ドライバーでもない限り満足度が高まることはありません。一定レベルまで品質を高めると満足度が高止まりしてしまうのが、当たり前品質の特徴です。
一方、「一元的品質」は、上がれば上がるほど満足度が高まり、低ければ不満を引き起こしてしまう品質要素です。自動車でいえば、燃費や車内空間の広さなどが一元的品質にあたります。
また「魅力品質」は、なくても大きな不満は引き起こさないものの、一度使い始めて充足感を覚えると手放せなくなるような品質要素です。例えば、ドライバーの運転をサポートしてくれる衝突被害軽減ブレーキや誤発進抑制制御装置などの先進運転支援技術、車載通信機器を介したインターネット接続機能などが魅力品質にあたります。
ここまでの説明で、一口に「品質が高い」と言っても、どの品質が高いかによってユーザーの受け止め方が異なることがお分かりいただけたのではないでしょうか。
この中で、革新的なプロダクト開発を考える際に重視すべきは魅力品質と一元的品質です。当たり前品質では、いくら精度を高めても顧客満足度を引き出すことはできません。また、ある時点まで魅力品質に分類できた機能も、競合他社も提供するようになればすぐ当たり前品質になってしまいます。例えば、先進運転支援技術のいくつかは、一般車にも搭載されるようになり、もはや魅力品質ではなくなってきていると言えるでしょう。一元的品質も同じで、突出したレベルにまで高められれば魅力品質に転じることがある一方、陳腐化すれば当たり前品質に変質してしまうので、注意が必要です。
筆者がDEC(ディジタルイクイップメントコーポレーション)やマイクロソフトで担当した仕事に、英語版のソフトウェアを日本向けに変更する、ローカライズという仕事がありました。ローカライズの対象範囲は広く、その中の1つに製品メニューなどを日本語に翻訳する作業がありました。特に日本人は見た目にこだわる人が多く、ちょっとした誤訳や文字列が収まりきらないような見た目上の問題があると、製品そのものの品質を疑う傾向が強くあります。従って、ローカライズ製品の場合、翻訳のクオリティが当たり前品質になっていました。
しかし、グーグルで携わったウェブサービス開発では、これが当たり前品質ではなくなりました。ウェブサービスの製品メニューの翻訳は、パッケージソフトなどに付随する説明書とは違い、いつでも直せるものだからです。X(旧ツィッター)やフェイスブックのような米国生まれのウェブサービスも、リリース当初は英語のユーザーインターフェイス(UI)しか提供せず、今でも新機能などはしばらく英語のままになっていることがあります。スマートフォンのように直感的に操作できるデバイス(機器)が普及したことと相まって、日本語に翻訳することの重要性が低下したのです。かつては当たり前品質だったものでも、ユーザーの要求レベルが下がっていくという好例でしょう。
日本からなぜアップルが生まれないか
この狩野モデルですが、日本だけでなく、多くの国や業界で使われています。1980年代に提唱されたこともあり、当初は製造業での活用が多かったようですが、今日ではIT業界を含む多くの業界で使われています。
筆者にとって非常に印象深かったのは、情報管理ツールとして人気を博したエバーノートの創業者フィル・リービン氏の話です。彼は、パンデミック真っ最中だった2021年に登壇したカンファレンスで、リアルとオンライン、そしてハイブリッドでの体験などについて話した後、当時開発していたプロダクトをどのような方針で拡張しているのか説明しました。そこで彼が引き合いに出したのが、狩野モデルでした。
彼はそれを狩野モデルとは明言しませんでしたが、見せてくれた図はまさに狩野モデルそのものでした。まず、彼は当たり前品質を「簡単にできることを実現して顧客の不満を解消する機能」と説明し、「これを実現していないと顧客が怒るからといって、ここに注力し過ぎると失敗に陥る傾向がある」と説明しました。その上で、魅力品質こそが注力すべき領域だと強調しました。
リービン氏が例として示したのが、初代iPhone(アイフォーン)です。初代iPhoneは日本では発売されなかったので、ご存知の方は少ないかもしれませんが、当たり前品質に分類されるであろうテキストのカット&ペースト機能さえ搭載されていませんでした。当時はすでにショートメッセージ(SMS)や電子メールで連絡を取り合うことが一般化し、先行するブラックベリーやノキアの製品は、小さいながらも物理キーボードを装備しており、テキストのカット&ペースト機能は当然サポートされていました。まさに「これを実現していないと顧客が怒る」機能です。そのため、米国でもこれでは売れないという声が多く聞かれました。しかし、アップルはそのような声に惑わされることなく、今まで誰も想像もしていなかったボディをフルに使うタッチスクリーンや、マルチタッチで直感的に操作できるUIなど、魅力品質を充実させることで一気に人気を博したのです。IT史でも稀に見る革新的な製品であるiPhoneも、狩野モデルに当てはめて考えると、成功の要因が見えてくるのです。
日本からなぜアップルが生まれないのか。理由は決して1つではないでしょう。しかし、規模や業種を問わず、日本企業は顧客の声を盲信し、当たり前品質を高めることに注力し、魅力品質を磨くことを怠る傾向にあることが理由の1つであることは間違いありません。それでは、いくら多額の予算と優秀な人材を注ぎ込んだとしても、顧客に使われ続ける製品を作ることはできません。
最後に、デジタル敗戦の分析から見えてきた、「ソフトウェアの手の内化」を妨げる要因をまとめてみましょう。
・低位安定に甘んじて挑戦しない姿勢と間違った製造業信奉
>>連載第1回 挑戦しない姿勢と製造業信奉を捨てよ
・製造業とソフトウェア産業の開発プロセスの違いに対する理解不足
>>連載第2回 製造業を範とせず「アジャイル」で臨め
>>連載第3回 ソフトウェア開発を安易に外注するな
・品質に関する誤解>>連載第4回
これらを改めない限り、ソフトウェアファーストの実践は無理と言わざるを得ません。要因を見ると分かる通り、日本の強みであった製造業の強さが裏目に出た面もあります。
連載を締めくくる第5回では『ソフトウェアファースト第2版』の「おわりに」を公開。本書の意義と込めた思いをお届けします。

及川卓也著、日経BP、2420円(税込み)


