「無理なお願いやしつこい誘いを断れなかった」「デリカシーのない質問やマウンティングを我慢した」などの経験は、ありませんか? 『エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術』では相手をいらだたせずに、自分のもやもやをそっと気づかせる方法を脳科学者の中野信子さんが解説しています。抜粋編第2回は、「京都と江戸の成り立ちから考える、コミュニケーションの価値」について、紹介します。
ずっと「よそ者ルール」を優先してきた京都の人
人間関係というのは、誰が相手でも同じように接するのではない、ということは皆さん経験上よくご存じのことでしょう。少なくとも多くの人が二段構え以上の段階をつくっているはずです。いつでも誰にでも同じ顔をするようには、人間はできていないのです。
ざっくりいうと、よその見知らぬ人なのか、仲間なのかを自動的に分けて処理するような仕組みになっています。赤ちゃんのころから人間は人見知りをするというのはその証拠でもあります。仲間と他人を見分ける領域は、人間の発達段階のごく初期、かなり幼いころから機能し始めているのです。
ここで問題になってくるのが、コミュニケーションをとるときに、自分たち仲間のルールを優先するのか、よその見知らぬ人のことを優先するのかです。
ちょっと考えただけであれば、まず自分たち仲間のことを優先するのが普通のように思えます。
が、実際はどうでしょう。初対面の人や、めったにいらっしゃらないお客様の都合を優先し、家族や友達の都合を後回しにするというのは、よくあることではないでしょうか?
これは、「よその人には、身内のややこしい事情に首を突っ込まれる前に気持ちよく帰ってもらわなくてはならない理由」があるからです。特に京都は長い間、ここを取れば日本を取ったと同義になるような都市であり続けましたから、多くのよそ者が、強引にでも仲間になろうと、これでもかと押し寄せてきたことでしょう。
よその人というのは仲間と違って、何を言えばどう反応するかがよく分かっていない相手です。普段からその人に接しているわけではないので、もしかしたら急に怒り出して何をするのか分からないかもしれない、というリスクが高いのです。
そういう人には、何をするか分からないリスクを回避し、深い仲になる前に気持ちよく帰ってもらわなければ、あとで大変な目にあう可能性があります。場合によっては、町ごと焼き払われてしまうかもしれない。
京都は、長らくそういった「よその人」をうまくあしらう必要があった、さもなければ本当に街区ごと焼き払われてしまうリスクに常にさらされる。そういう特殊な土地であったということは、多くの人の認識として共有されているところではないでしょうか。
「よそ者同士」ならではの江戸のやり取り
江戸/東京というのは、徳川家康が江戸幕府を開府してから現在までで約400年という都市です。太田道灌(おおたどうかん)が江戸に築城して約150年後に、家康が関東に入り、河川の流れを変更したり、新田を開発したりなど本格的な造成が始まっていきます。それまでは小田原や鎌倉が関東の中心地であったわけですから、首都としての歴史は約400年ということになります。これはアメリカの歴史とほぼ同じ長さです。
もともと江戸に住んでいた人よりも多くの人間が職を求め、あるいは移住させられるなどして急速に流入してきました。
スペイン帝国時代の貴族ドン・ロドリゴ(ロドリゴ・デ・ビベロ)の『日本見聞録』によれば17世紀の初め(江戸幕府が開かれたころ)には15万人ほどの規模の都市だった江戸は、急速な発展による労働力の流入を経て、およそ100年後の18世紀初頭には人口が100万人を超えたと推定されています。
天保年間(1830-1844)には天保の改革で「人返し令」(江戸の人口を減らし、地方の農村部の人口を確保して帰農を促すことを目的に発令された法)が出されるほどでした。
こうした、急速に発展した都市では、もともとのコミュニティがほとんど存在せず、誰もがよそ者であるという状態が現出します。そこでは、よそ者を優先してまで守るべきものは特になく、互いによそ者として自分の気持ちを重視して率直に伝え合い、その上で折り合いをつける、というやり方が合理性の高いものとして採用されていったと考えられます。
さらに江戸は、構造的、気候的な条件が重なるのか、しばしば大火や大地震などの災害に見舞われる都市でもありました。
自分たちのコミュニティをよそ者から守るよりも先に、天災がやってきてしまう。
「宵越(よいごし)の金は持たない」のが江戸の美徳(粋)であるという価値観が生まれていきますが、これは実は、単に金銭のやり取りだけに言及した言葉ではありません。今を楽しむことが重要だという江戸っ子の意思表示でもあります。
これは、後々のことを考えて二重三重に張り巡らした防衛的なコミュニケーションをとる、というあり方とは真逆です。
また、江戸では「火事と喧嘩(けんか)は江戸の華」とまでいわれるようになっていきます。互いに自分の意思を率直に表現してぶつかり合うことが称賛されるという江戸文化のありようは、京都式とは正反対の様式として発展していったと考えてよいでしょう。
自分の話になり恐縮ですが、私の家はずいぶん長いこと江戸に暮らした一族であったことが戸籍や過去帳を見るとたどることができるのですが、たしかに相手の気持ちを忖度(そんたく)するよりも自分の気持ちにまず正直になり、その上で折り合いをつけるためにどうするかを考える、という志向性を持っています。
ひとつひとつの物言いの中に、そういうものが出てくるな、というのを感じますし、たしかに江戸の人は自分の言い分をまず正直に言うというのがかっこいいと考えていたのだろうと思うのです。
自分の言い分を言って、相手も相手の言い分を言う。それで激しい喧嘩になったとしても、「宵越しの金は持たない」と一緒で、「宵越しの恨みは明日にはきれいさっぱり忘れるんだ」という文化です。
江戸式の文化の中で育ってきた、私のような人間の目線から京都の人を見るとき、本当は何を考えているんだろう、この人の気分を害してしまっているのではないか、とちょっと怖くなってしまうところがあります。方言が持つある程度の差異はあるとはいえ、同じ日本語を使っている同じ国民同士の間なのに、これだけ戦略が違うと、なかなか意思の疎通を遺漏なく行うというのは大変なことです。
論破より価値が高いコミュニケーション
現代は、江戸式のようなものがむしろいいとされる世の中かもしれません。
相手を論破し、やりこめて、スカッと気持ちよくなるのがよいとされることが、昔よりもさらに多くなったように見えます。
けれど、自戒も込めて、ある種の危機感を江戸の人間として持ってしまうのです。日本は流動性も過去と比較して高くなった。土木・建築技術も進歩し、災害に対するレジリエンスも高くなった。交通インフラが整い、物流も活発になった。つまり、コミュニティをある程度無視しても一人で生きていける社会ができたのです。
このように個人ならば少なくとも都市部を選んで生きれば妥協的なコミュニケーションをせずに済むかもしれない。しかしながら、社会そのもの、国そのものは引っ越せないわけです。となると、高次の外交戦略として生きてくるのはやはり京都式であろうことは論を俟(ま)たないでしょう。
論破するよりも互恵関係を築いていくことの価値が実は高いことを、今、見直してみるべきではないでしょうか。
中野信子(著)、日経BP、1320円(税込み)

