知っておきたい今井むつみさんの認知科学の広くて深い世界を、体系的に学べるように、えりすぐってお届けしていきます。今週は、2024年9月の新刊『 学力喪失 認知科学による回復への道筋 』(今井むつみ著、岩波新書)からの抜粋です。4回目は、生成AI時代に求められる教育についてです。
生成AIの教室への導入について
産業界ではAIを導入した教材がさかんに開発され、「個別最適な課題設定を実現した学習教材」として学校へ営業攻勢がかけられている。すでに多くの学校がそのような教材を自習用に導入している。しかし、筆者が見学した授業で使われていたICT教材は、前述したような人間の大人が行っている「足場架け」とはほど遠いものであった。単に、同じ種類の問題の正答、不正答のパターンを確率計算し、続けて正解できていれば難易度を上げ、不正解が続けば難易度を下げるという、難易度の調整以上のことはしていない印象だった。ただし、この教材は「AIによる個別最適化」を謳(うた)っていても、生成AIを使ったものではない。
生成AIを子どもの学びの場にどう使うべきか、あるいはどう制限するべきなのかは、認知科学・学習科学の研究者によっても、教育学や教育経済学の研究者によっても、今さかんに議論されているが、生成AIを教室に導入することによるポジティブ、ネガティブな効果を測る研究は、日本のみならず、他の先進国でも、ようやく動き出そうとしている段階にすぎない。ゆえに科学の要件を満たした、きちんとした実証研究が行われ、なんらかの結論が研究者たちから発表されるのには、何年もかかるだろう。そしてその何年かの間に生成AIはさらに進化を遂げ、今できないこともできるようになっているかもしれない。本書第7章で紹介したような、AI業界の人が「ハルシネーション(幻覚)」と呼ぶ間違いも少なくなっているかもしれない(ただし、現在の生成AIの原理では、ハルシネーションがまったくなくなることは考えられない)。一方、教材の開発はますます進み、売り込みも激しさを増すだろう。そういう状況で、学校現場の方たちはそれらの製品を使うべきか、使うべきではないか、判断に迷うことだろう。
筆者は、生成AIの「学び」に及ぼす効果を測定するデータがなく、また、数字として示されたいわゆる「エビデンス」がない状態で、生成AIを初等・中等教育の現場に導入することの是非について、科学者としては、軽々に発言することはできないと思っている。しかし、先にどんどん進化していくAIがもたらす“かもしれない”負の影響について、数字がないからといって、ひたすら口をつぐんでいることもできないと考えている。筆者は現在このようなジレンマの只中にいるが、筆者なりにこれまで積み重ねてきた認知科学の知見から、これだけは述べておきたい。
まず、生成AIのもたらす効果(特にポジティブと目(もく)される効果)は、特定の教科、特定の問題に対する正答率が上がったかどうかといったような、短期のパフォーマンスの変化の指標で評価するべきではない。教育のほんとうの効果は、その教育を受けた子どもが10年先、20年先にどのような人間になっているかで評価するべきだ。そして、評価の観点でもっとも重要なのは、どういう知識をもっているかということよりも、自走した学び手に育ち、やりがいをもって充実した生活を送っているかどうかだ。
「生きた知識をつくる子どもたち」
発達心理学を研究してきた筆者が確信をもって言えるのは、子どもが基本概念に自分で接地をし、アブダクションによって知識を拡張していくことができるならば、何から何まで直接教えてもらわなくても、自分で新たな知識を、それも「生きた知識」をつくっていけるということだ。大人は言語の知識をすべて教えることができず、言語の学びのほとんどを子どもに委ねなければならない。それと同様に、学校で学ぶことになっている教科単元の知識も、先生が教えてくれること、教科書に書いてあることを、子どもが自分で解釈し、自分の知識と結びつけ、自分で新たに知識をつくっていかなければ、その知識は「生きた知識」にならない。先生がいくら丁寧にわかりやすく教えても、子どものスキーマが誤っていれば、先生の話は聞き流されたり、スキーマに合うように捻(ね)じ曲げられて解釈されたりするだけである。だから、先生は、教科書の内容を完璧にわかりやすく説明することで自分の仕事に満足するべきではない。自分の伝えることを子どもがどのように受け止め、解釈しているか、子どもがほんとうに概念の本質を自分の推論によってつかんでいるか、自分勝手に誤解をしていないかということにこそ、注意を向けなければならないのだ。
学びの「効率性」とは何か
教育カリキュラムや教材などによる教育支援を謳うとき、もっともよく聞く言葉は「効率的な学びを支援する」である。しかし、学びの効率性とは何だろうか? できる限り短い時間で、多くの知識や技能を身につけることだろうか? この問いに対する筆者の考えは、本書や拙著『 学びとは何か 〈探究人〉になるために 』(岩波新書、2016年)などをお読みいただきたい。いずれにせよ、読者には、何のために時間をつくるのかという目的なしに、やみくもに時間を節約し、効率性を追求すれば、学びが浅くなり、「死んだ知識」をため込むだけになる危険性があるということを意識していてほしい。
生成AIは、使い方によっては、非常に重大なネガティブな効果をもたらす可能性があると筆者は考えている。第7章でも指摘したように、生成AIは、意味を考えて答えを出力しているわけではないので、時にとても変な(意味が通らない、一貫しない)出力を返す。先ほど述べた「ハルシネーション」だ。「ハルシネーション」は、学びに及ぼすリスクのひとつであるが、実は、それよりもっと重大なリスクがある。やみくもに「効率化」のために生成AIを使い、子どもが自分の頭で考えずに、すぐに答えを求めることが習慣になったら、ほんとうに大事なことにも記号接地できなくなり、つねに知識のかけらを求めて情報の海を漂流するだけの人間になってしまう。自分が解決する問題のために、どういう情報が必要なのか。膨大な量の情報の中で、どの情報が重要で、どの情報は棄(す)てるべきなのか。どの情報は信頼でき、どの情報はフェイクなのか。その判断も自分でしなくなってしまう人間ができてしまったら、ほんとうに怖い世界になる。子どもたちをそのような人間にしてしまっては、絶対にダメだ。
