知っておきたい今井むつみさんの認知科学の広くて深い世界を、体系的に学べるように、えりすぐってお届けしていきます。今週は、2024年9月の新刊『 学力喪失 認知科学による回復への道筋 』(今井むつみ著、岩波新書)からの抜粋です。5回目は、生成AI時代にこそ求められる探究とこれからの生き方についてです。
探究し続ける人間の姿とは
悲観的なことを書いてきたが、筆者は実はそれほど悲観していない。これまでの人類の歴史の中で、「効率性」ということばを辞書にもたない人たちがたくさん存在し、そういう人たちが人類の文明・文化をつくり、科学を進歩させてきたことを知っているからだ。
筆者はオランダで行われた国際認知科学会に参加したときに、帰りのフライトの出発が夜だったので、日中をアムステルダムにあるゴッホ美術館で過ごした。ゴッホは現代でもっとも高く評価され、人気が高い芸術家である。独特の色使い、一筆一筆が生き物のようにうねり、躍動するタッチ。人はそこに美と生命力を見出し、熱狂する。しかし、私がもっともこころ動かされたのは、彼の残した非常に多くの作品から透けて見える、彼の生き方そのものである。
彼はつねに探究していた。色の使い方、筆の使い方の違いが、彼の表現したいもの──彼の眼を通した世界、彼の内面、彼の感情──にどのような効果をもたらすかを見極めるため、毎日実験を重ねていた。彼は描かずにいられなかったのだ。たとえ同時代人からは評価されず、困窮の中に身を置かれても、向上するために。そして、自分が自分であるために描かずにいられなかったのだと思う。ゴッホは人生の最後の70日でおよそ80点の作品を描き、私たちに遺してくれた。そこに私たちが見出すものは単なる「美」ではない。単なる「美術の革新」でもない。「生きるために、よりよいものを創造するために、あがき続け、失敗を繰り返しながら、探究を続ける人間の姿」なのである。
真の効率化とは何か
現代にも、「探究する人」はいたるところに存在する。著名な人物に限らない。他者に評価されるためではなく、高収入を得るためだけでもなく、今の自分より向上し、少しでもよい仕事をするために探究を続け、学び続ける。向上することに価値と喜びを見出す。そういう人たちが大勢いる。乳幼児が世界を探索し、言語と生きるための知識を自分で果敢に身につけていく姿を見る。毎日探究を続ける達人たちの姿を見る。今を生きる人間たちのそういう姿と、これまでの人類が文化や科学を発展させてきた歩みとを重ねてみれば、人類全体が、記号接地をしない方向に歩んでいくとは思えない。しかし、個人のレベルでは、生成AIが個人の幸せの達成に影響を与える懸念も払拭できない。
AIを使いこなす人と使えない人の分断を心配する人は多い。しかし、筆者は、AIの時代に、自らを世界に接地させ、概念を抽象化して、記号接地できる人と、それをAIに任せてしまう人との間の分断のほうがもっと心配だ。後者の人たちには、AIと共存して幸せに生きる明るい未来はないような気がしてならない。
筆者は、教育現場で子どもに対して生成AIを使うことをやみくもに否定するつもりはない。テクノロジーを使うリテラシーは、現代を生きるためには大事なことだろう。しかし、テクノロジーを何のために使うのかは、子どもにも大人にも、明確に意識してほしい。効率は大事だ。しかし何のために効率性を追求するのか。それを考えずに効率性だけを追求することが目的になると、大きな落とし穴が待っているように思える。少なくとも、各分野で達人であろうとする人たちは、自分にとってほんとうに大切なこと、大事なことに対して効率性というものを考えたりしない。大事なことに対して無制限に時間を使えるようにするために、大事でないことを切り捨てるか、簡略化しようとしている。それこそが、効率化なのだろう。
テクノロジーは進化し、変わっていく。パラダイムシフトもまた起こるだろう。そのときに、自ら学ぶ力さえあれば、どんな変化にも対応できる。いつ、どういう目的でテクノロジーを使うべきか、どういうときにはテクノロジーに頼るべきでないのか。これからを生きる子どもたちには、その判断を自分でできる人間に育ってほしい。そのためには、幼少期から、自分の身体で世界を探索し、記号接地することが何よりも必要なことなのである。
