量子コンピュータには、従来のコンピュータでは解けない問題を解決する可能性があります。それほど期待されながら、なぜまだ本格的な実用化に至っていないのでしょうか。最大の障害の一つが、外部環境との接触によって量子状態が壊れる「デコヒーレンス」です。『 量子革命 量子コンピュータからネット、ハード、AIまで ― すべてを変える新技術 』から抜粋し、「シュレーディンガーの猫」とともに、その意味を読み解きます。

古典コンピュータでは手の届かなかった問題に挑戦できる量子アルゴリズムの登場は、量子コンピュータの開発を大きく加速させました。新千年紀に入って以降、世界中の大学や研究機関では、量子コンピュータや関連技術を研究する研究室が爆発的に増加しています。今日では、量子コンピュータに関する講義を一つも持たない物理学科を探すほうが難しいほどです。二〇〇〇年代初頭までは、ほとんど未開拓の分野だったことを思えば、驚くべき変化です。
こうした急速な発展を見ると、私たちの教育のあり方についても考えさせられます。知識がすぐに古くなってしまう時代では、若者に知識を詰め込むだけでは十分ではありません。むしろ重要なのは、批判的思考力を鍛え、絶えず進歩する科学知識によって生み出される新たな課題に柔軟に対応し、解決できる能力を身につけさせることです。その意味で、プルタルコスの「若者は満たされるべき器ではなく、燃え上がらせるべき炎である」という言葉は、今ますます重みを増しています。
量子コンピュータ実用化を阻む最大の壁
量子コンピュータが秘める驚異的な可能性と、それに投じられている莫大な資金を考えると、なぜ私たちはまだ量子コンピュータを目にしていないのかという疑問が湧いてきます。少なくとも巨大な計算センターで稼働し、古典コンピュータでは解けなかった問題を次々と解決しながら、科学や技術のあり方を一変させていてもよさそうなものです。しかし、後で見るように、私たちはまだ試作機の段階にあります。もちろん、その性能は急速に向上しており、ますます洗練されたものになっています。実用化に向けた最大の障害であり、同時に最大の課題となっているのが、「デコヒーレンス」と呼ばれる現象です。デコヒーレンスは量子コンピュータの安定性と有効性を損ない、その性能を根本から脅かします。この障害を克服することは決して容易ではなく、たいへんな努力と継続的な技術革新が必要となるでしょう。しかし、それこそが量子コンピュータ実現への最大の挑戦なのです。
デコヒーレンスとは、量子系が外部環境と制御不能な形で接触してしまうことで、量子状態が乱され、保存・処理していた情報が失われてしまう現象です。静かな湖面を優雅に滑る白鳥を想像してみてください。水面には整った波紋が広がっています。しかしそこに突然、雨や風が吹き込み、水面が乱されると、その繊細な波紋は崩れ、拡散し、やがて消えてしまいます。量子コンピュータもこれとよく似ています。量子コンピュータは極めて繊細なため、周囲の環境から守らなければなりません。量子ビットを、縁を床につけて立たせたコインだと考えてみましょう。ごくわずかな、ほとんど気づかないほどの弱い力がかかっても、コインはどちらかの側へ倒れてしまいます。その結果、「表」か「裏」かが決まってしまうのです。
量子アルゴリズムを実行するとき、私たちはまるでオーケストラの指揮者のように、量子ビットの状態を精密に制御しなければなりません。量子ビット同士の相互作用をオン・オフし、CNOTゲートのような量子論理ゲートを実現しなければなりません。そのためには、量子コンピュータを外界からほとんど完全に隔離する必要があります。周囲の電場や磁場、さらには近くの高温物体が放つ熱放射でさえ、量子状態を壊してしまう可能性があるからです。目的はただ一つ、デコヒーレンスを防ぐことです。もし量子ビットが外界と相互作用してしまえば、せっかく作り出した重ね合わせ状態は崩壊し、量子コンピュータの優位性は失われてしまいます。この精密な制御の舞台においては、量子操作の完全性を守り抜かなければなりません。私たちは量子コンピュータという繊細な装置を、絶えずその調和を乱そうとする外界の混沌とした力から守る必要があるのです。
「シュレーディンガーの猫」が示す量子と現実の境界
ここで読者の皆さんは、ある疑問を抱くかもしれません。量子力学の奇妙な現象である重ね合わせや量子もつれは、ミクロな世界で起きると説明されます。しかし、どの程度まで小さければ、そのような現象が現れるのでしょうか。私たちの日常世界では、そうした現象を目にすることはありません。まるで人間の目から隠されているかのようです。そこで次のような問いが生じます。量子世界を覆う幕が取り払われ、代わりに私たちに馴染み深い古典物理学の法則が支配するようになるような、古典と量子の境界は存在するのでしょうか。ある物体が量子力学の奇妙なリズムに従って「踊る」ほど十分に小さいかどうかを、私たちはどのように判断できるのでしょうか。これらは、目に見える世界と目に見えない世界の境界に関する疑問であり、私たちの知的好奇心を強く刺激する問題なのです。
この問いに見事に答えているのが、量子力学の創始者の一人であるエルヴィン・シュレーディンガーが1935年に考案した有名な「シュレーディンガーの猫」の思考実験です。密閉された箱の中に、放射性物質、放射線検出器、ハンマー、毒薬の入った瓶、そして一匹の猫が入っていると想像してください。放射性物質は、基底状態0と励起状態1という二つの状態を取ることができる原子です。原子が状態1にある場合、ある確率で崩壊して状態0になります。
その際、光子が放出され、それを検出器が感知します。するとハンマーが作動して瓶を割り、毒が放出されて猫は死んでしまいます。
最初、原子と猫からなる系は「原子が状態1にあり、猫が生きている」という状態にあったとしましょう。時間が経つと、原子は状態0に崩壊するかもしれませんし、しないかもしれません。原子が崩壊すれば猫は死に、崩壊しなければ猫は生きています。一見すると、ここには特に驚くべきことはありません。実際、確率という考え方は私たちの日常生活でも広く使われています。たとえばコインを投げた場合、結果を確認する前であれば、そのコインが細工されていない限り、「表の状態」にある確率と「裏の状態」にある確率は等しいと言うことができます。
では、シュレーディンガーの猫の何が奇妙なのでしょうか。問題は、量子力学によれば、箱の中を観測するまでは、原子と猫の系が「原子が状態1にあり、猫が生きている」状態と「原子が状態0にあり、猫が死んでいる」状態の重ね合わせになっていることです。猫が生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせが生じているというのです。これは、私たちの古典的な直観からすると極めて奇妙な状況です。
この重ね合わせは、二つの原色が混ざり合って新しい色を生み出すような古典的な重ね合わせとはまったく異なります。たとえば青と黄色を混ぜると緑になるなど、色は自然に混ざり合って新しい色になります。しかし、「生きている猫」と「死んでいる猫」の重ね合わせは、古典的な感覚では理解できず、しかも直接観測することもできません。ここにシュレーディンガーの猫の奇妙さがあります。この思考実験は、私たちが現実について当然だと思っている考え方を問い直させるのです。
この奇妙な状況を解決するのが、デコヒーレンスという現象です。原子と猫からなる系は、決して完全に孤立しているわけではありません。必ず何らかの形で周囲の環境と接触しています。そして、この環境との相互作用が、実質的には測定装置の役割を果たし、猫が生きているのか死んでいるのかという情報を「読み出して」しまいます。ここで重要なのは、人間の観測者が必ずしも必要ではないということです。環境そのものが測定装置の役割を果たします。環境が猫と相互作用することで、猫の状態は乱され、量子力学の法則に従って、「生きている」か「死んでいる」かのどちらか一方の状態へと収束します。つまり、原子と猫の間にできていた量子もつれが壊され、量子的な不確定性が失われるのです。その結果、私たちが日常的に経験する古典的な現実、すなわち猫は生きているか死んでいるかのどちらかであるという現実に戻るのです。
桁外れの計算能力を持つコンピュータ、盗聴を検知する通信、超高精度センサー。夢のような革命を「量子技術」が実現します。科学の最前線を、誰もが理解できる言葉で描いた一冊。
ジュリアーノ・ベネンティ(著)、ジュリオ・カサティ(著)、シモーネ・モンタンジェロ(著)、森弘之(訳)/日経BP/2750円(税込み)
