「ワインを飲む楽しみの半分は、ワインについて語ることである」(作家モーリス・ヒーリー)。毎年11月第3木曜日に解禁され、リカーショップやスーパーの店頭を賑わせるボジョレー・ヌーボー。その起源をご存じでしょうか? ワインスペシャリストの渡辺順子氏による日経ビジネス人文庫『「家飲み」で身につける語れるワイン』から抜粋します。
14世紀のフィリップ王の一言がきっかけに
ブルゴーニュ地方の南、フランス第2の都市リヨンの北に広がるボジョレーは南北55キロメートル、東西15キロメートルの丘陵地に位置し、ここで約4000人の生産者がボジョレーの代名詞であるガメイ種を栽培しています。
その歴史は14世紀まで遡ります。ガメイは育ちやすいぶどうで大量生産ができるため、当時はとても重宝された品種でした。味わいは軽めで酸味が強く、ラベンター、ざくろ、ブラックベリー、クランベリーの香りに、ローレルなどの風味が加わり、どんな料理とも相性がよい万能なワインに仕上がります。
対照的に同じブルゴーニュで栽培されるピノ・ノワールは繊細かつエレガントな味わいで、王の食卓に並ぶ特別なワインと評されました。ブルゴーニュ公国フィリップ王の食卓にも毎晩ピノ・ノワールが運ばれ、王はご満悦でした。
あるとき王の側近は「ガメイ種のワインは苦味がありブルゴーニュワインのイメージダウンになりますぞ」と耳打ちしたのです。その助言に促され1395年、フィリップ王はピノ・ノワールを支持する法令を発令しました。
「ピノ・ノワールはブルゴーニュの一等地で栽培してよいが、ガメイはそれ以外で栽培すること」と命じ、ガメイ種は南のボジョレー地区へ追いやられてしまいました。ピノ・ノワールが栽培されるブルゴーニュの一等地ボーヌ、ディジョン、シャロンは品種、収穫量、栽培方法に基づいたワイン産地として確立され、これがのちに原産地呼称統制(産地名を名乗るために品種、収穫量、醸造法などの品質規格基準をクリアする必要がある)のコンセプトとなります。
後に法令の効力は弱まりガメイ種も中心地で栽培可能となりますが、依然“ピノ・ノワール種ファースト”は続いたようです。
さてフィリップ王はある日、ワインを口にしながらこんなことをつぶやきました。「確かにガメイのワインは苦味が強い、若いうちは甘みがあるのだが……」。この一言がのちにボジョレー・ヌーボーの発想に結びついたと言われます。
ヌーボーは労働者の収穫後のご褒美だった
19世紀、ボジョレー産地では毎年収穫後の重労働をねぎらい、また十分なぶどうが実ったことに感謝を込めて、できたばかりの若いワインでお祝いをしていました。収穫はぶどうを傷つけないように手摘みで行います。現在も手作業で行われますが、非常に過酷な労働です。労働者たちは収穫後のご褒美で飲む甘くてフレッシュな新酒を毎年楽しみにしていました。
1935年、フランスにAOC(原産地呼称統制)の制度が設けられると、認定された55カ所の産地は新酒ワインの生産・販売が許可されました。1937年、ボジョレーもAOCとして認められ、AOCの規則により12月15日以降であれば正式に新酒ワインの販売が許されることになりました。
早飲みに適していたガメイはフレッシュではじけるような果実味と香りたつアロマが評判を呼び、おしゃれなパリジェンヌの間で人気が高まりました。その人気に便乗して1951年、新しく命名した「ボジョレー・ヌーボー」の解禁日が定められます。当初の規則よりも1カ月前倒しの11月15日です。
当初の解禁日は家族や友人が集うだけの日でしたが、次第に一大行事となり過激なお祭り騒ぎと化していきました。
解禁の瞬間に最初のボトルをボジョレーからパリへ届けるカーレースが開催されると、ボジョレー・ヌーボーの第一人者ジョルジュ・デュブッフは「Le Beaujolais Nouveau est arrivé!」(ボジョレー・ヌーボーが到着!)と書かれた横断幕を掲げ祝賀行事を宣伝しました。年々メディアの注目が高まっていきます。
木曜日解禁は「パリピ」のための配慮?
1970年代、地元ではヌーボーの発売を記念して120以上のパーティーやフェスティバルが企画されました。なかでも有名なLes Sarmentellesはボジョレーの街で5日間にわたるフェスティバルを開催します。ライブ、ダンス、パレードに加え参加者が自分の体重と同じ量のヌーボーを飲むコンテストまで用意されました。発売日には花火を打ち上げ、盛大にヌーボーワインの発売を祝います。もちろんイベントは早朝まで続き、大量のワインが飲み干されます。
こうしてヌーボーのイベントはますます白熱していきました。解禁日、最初のボトルを抱えたソムリエはタキシードに身を包み、パリの街にパラシュートで降下し、エッフェル塔の下でグラスを手にするお客さんにサーブしました。
デュブッフ氏自身はパリからコンコルドに乗って解禁日最初のボトルを届けたり、またバブル全盛期の日本ではヌーボーの解禁日が世界で一番早く訪れるとあり、専用機でヌーボーが空港に到着するライブ映像を流したりしました。空港に行っていち早く飲む人まで現れたほどです。私もライブで流れる映像を鮮明に記憶しています。毎年100万ケースがフランスから各国へ送られ、祝賀行事が終了するまでに6500万本を超えるボトルが消費されました。
1985年、それまで11月15日とされていた解禁日を11月の第3木曜日に変更しました。解禁日が週末に近い木曜日ならパーティー好きにとって好都合だとちゃかされますが、この変更はマーケティング的に大成功しました。大きな輸出先であるアメリカは七面鳥を食べる感謝祭(毎年11月第4木曜日)のちょうど1週間前に当たります。ボジョレー・ヌーボーと七面鳥は最高のマリアージュだと宣伝し、毎年感謝祭で消費される4600万羽の七面鳥とともにヌーボーも大量に消費されました。
全盛期、アメリカのある店舗では118万5000本が売れたと言います。英国でも1999年のヌーボーの消費は約74万本でピークに達しました。
「意外と知らないボジョレーの由来」「ラベルに書かれた格付けの読み解き方は?」――世界の一流品を知る著者が、ジョージア、エジプトから、イタリア、フランス、日本まで、各地域のお勧め銘柄を紹介しながら、深いワインの世界に導きます。
渡辺順子著/日本経済新聞出版/990円(税込み)

