韓国で「こんな先輩がほしかった」と大反響のビジネス書『会社のためではなく、自分のために働く、ということ』(チェ・イナ著、中川里沙訳)。著者が「平均は危険だ」という理由とは。連載第3回。

平均は安全ではない

 ブランドというのは本来、特定の生産者や販売者の製品やサービスを区別するのに使われる名称だ。所有主を区別するために家畜に焼き印をつけたことが始まりだという。そもそもブランドの本質は、「区別すること」にある。

 ところが、いまやたくさんの製品やブランドがあふれているので、顧客がそれぞれの違いを区別できないこともある。数多のブランドが消費者に認識してもらえずに消えていく。日々、多くのブランドが誕生する一方で、同じくらい多くのブランドが市場から追いやられている。それは競争相手に押し出された結果だが、そもそも顧客から選ばれるほどの十分な価値がなかったとも言えるだろう。

 たとえ市場に残っていても、存在感が十分ではないブランドはたやすく代替される。ブランドAとBのあいだに大差がないとき、顧客は悩むことなく購入を決める。AがあればAを買い、AがなければBを買うという具合に。あるいは、セールでBのほうが安くなっていればBを買うだろう。他者と区別するためにつくられたブランドが、コモディティ(commodity)に転落する場合だ。コモディティとは、顧客を引き止める付加価値が落ち、別の商品に代替されるブランドを指す。

チェ・イナ本屋の入り口にある自身の名前をつけた看板。自分をブランドとして捉え、店の名前を決めた
チェ・イナ本屋の入り口にある自身の名前をつけた看板。自分をブランドとして捉え、店の名前を決めた
画像のクリックで拡大表示

働く人がコモディティ化するということ

 少し乱暴な言い方だが、ブランディングのおもな目標はそのブランドがコモディティ化しないようにすることだ。だからブランディングの専門家たちは、そのブランドならではの価値を生み出して提供し、競合ブランドとの違いをはっきりさせることに尽力する。そうでなければ、すぐ価格競争にさらされ代替されてしまうから。

 ほかと区分され、唯一無二の価値を提供するブランドは、価格競争から脱却できる。たとえば、私にはお気に入りのスニーカーブランドがある。オニツカタイガーというブランドで、第一(チェイル)企画にいたころ、クライアントの商品として出合ってから履きつづけている。ほどよいクッション性と履き心地のよさ、派手でもなく地味でもないデザインが、私の好みにぴったりだ。ほかのブランドに比べると少し値が張るが、スニーカーにうるさい私はそのブランドの製品を選ぶ。今後しばらくはほかのブランドの靴を履くつもりはない。少なくとも私にとっては、たやすく代替できないブランドなのである。

 ハイブランドも同じだ。品質、訴求力、コンセプト、どれをとってもほかのブランドに置き換えられない価値をもっている。そのため顧客は、高いお金を払ってまでそのブランドに固執する。

 コモディティは、ブランドの世界だけではなく働く私たちにも起こりうる問題だ。自分だけのはっきりした価値がなければ、商品だろうと人だろうと、コモディティ化してしまう。働く人がコモディティ化すると、パフォーマンス面で他人と区別がつかないため、年俸の低い人に置き換えられる可能性が高まる。「この仕事をどうしても任せなければならない」または「うちの会社にどうしても必要な」人材ではないという意味でもある。恐ろしい話だ。

 のちに詳しく話すが、ここには時間という不確定要素も加わる。私の経験上、入社3年目から5年目までは年次とパフォーマンスが比例する。新入社員よりは主任のほうが仕事ができ、主任よりは課長のほうがいい成果を出す。ところが5年目以降は、必ずしも年次とパフォーマンスが比例するとは限らない。部長よりもマシな課長、課長よりも仕事ができる主任が出てくるようになる。

 年次に見合ったパフォーマンスが出せなくても、給料はたいてい部長が課長よりも、課長が主任よりも高い。その場合、経営者はどう思うだろう? 彼らもコスパを考慮するのではないだろうか。

 このあたりで、自分に訊いてみよう。ひょっとして私はコモディティなのか? たやすく代替できない自分だけの価値を提供しているだろうか? もし確信がもてないなら、真剣に悩んで答えを探そう。他者とはっきり区分でき、長く求められるブランドになるために。

広告代理店に勤めていたころ、撮影でシドニーを訪れたチェ・イナ氏。当時は広告業界の“パワーブランド”になりたかったという
広告代理店に勤めていたころ、撮影でシドニーを訪れたチェ・イナ氏。当時は広告業界の“パワーブランド”になりたかったという
画像のクリックで拡大表示

「中くらいでいいだろう」

 自分をブランドとして見つめるときに邪魔になるものがある。それは「中くらい」や「平均」に内在する認識だ。

 韓国には昔から「中くらいでいいだろう」と考える人が多い。何かを買うときや、飲食店でメニューを選ぶときも中間の価格帯を選ぶ。中間は目立たないから安心だと考えているのだ。似たような概念に「平均」がある。中くらいを安易に考える人は、「平均はやっておこう」と考えがちだ。

 しかし、中くらいや平均は危険だ。急激に発達したAI時代。AIがまず代替するのは平均だ。正規分布のグラフを例に挙げよう。正規分布では、中央の平均値から離れていればいるほど珍しい性質であることを表すため、AIによって自動化されるまでに時間がかかる。しかし、曲線の真ん中、つまり平均的な存在は真っ先に自動化される。平均は決して安全ではない。

 AIの話が出たので、ChatGPTに触れないわけにはいかないだろう。OpenAIでChatGPTの開発を主導したのは、最高技術責任者(CTO)のミラ・ムラティ。アルバニア生まれの天才エンジニアだ。彼女は特定の仕事にたけたAIではなく、あらゆる仕事をやってのけるAI、いわゆる「汎用人工知能(AGI)」のビジョンを示す。つまり、グーグルのアルファ碁のように囲碁に特化したAIや、音声認識と文字起こしに特化したネイバーのCLOVA Noteとは異なる、人間の仕事をそつなく引き受けるレベルを目指しているという。

 彼女の話を聞いていると、ある重要な疑問が浮かぶ。自分の仕事がいつかAIで処理できるようになったらどうしよう? 何をもって自分らしくいればいいのだろうか?

 コモディティの話に戻ろう。私がコモディティに言及したのは、たやすく代替されづらい自分だけの価値をもつべきだと伝えるためだ。ChatGPTをはじめとし、着々と日常に浸透するAIを見ているとますますその思いが強くなる。もし唯一無二の何かがなくて悩んでいるなら、できるだけ早く見つけよう。

(写真はすべてチェ・イナ氏提供)

韓国の大手広告代理店を40代で辞め大学院で学び直した著者は、ある日もう一度働くことを通して社会に貢献すると決め、人々の悩みに寄り添った〈チェ・イナ本屋〉を始める。会社員、起業家、学生と多様なキャリアを歩む著者の言葉や選書が、仕事で悩む人々の評判を呼ぶようになる。「がんばりすぎず力を抜こう」という時代、それでも、仕事をがんばるあなたへ。なぜ、どのように働くのか。本質を問う仕事論。

チェ・イナ著、中川里沙訳、日経BP、1980円(税込み)