親から殴られたことはない。愛情ももらった。それでも、「何かがおかしい」と親子関係に違和感や悩みを抱くことはありませんか。必要なのは、親子関係があなたの心に与えている影響に自覚的になることです。現実の親子関係を変える必要はありません。『毒親グレーゾーン 親の目から自由になれない大人への処方せん』(鈴木裕介著/日経プレミアシリーズ)から抜粋・再構成して、その具体的な方法をお伝えします。第1回は、「自分で選んだのに苦しい」が起こる理由についてです。
その選択に、親はどれだけいるか
親子関係について考え始めた人が、しばしば口にする言葉がある。
「でも、最終的に選んだのは自分です」
親に勧められた学校へ進学した。親が安心する会社に就職した。親の希望に沿って地元に残った。結婚や出産についても、親の期待を考慮した。
しかし、親が無理やり書類を書いたわけではない。最後に「はい」と答えたのは自分だったので、そのため、後になって苦しくなっても、親の影響だったとは言いにくい。
そして、「嫌なら断ればよかった」「自分にも責任がある」「自分で決めたことを、親のせいにするのは違う」、こう考えてしまうのだ。
もちろん、成人後の選択については、本人が引き受けなければならない部分もある。ただし、同意したことと、自由に選べたことは同じではない。
親から明確に命令されなくても、子どもには親の期待がわかるものだ。
親が喜ぶ選択をしたときの安心した表情や、反対の意見を言ったときの沈黙やため息。「あなたの人生だから好きにすればいい」と言いながら、明らかに落胆している様子。家庭によっては、親の期待に反する選択をすると、会話が減る、不機嫌になる、経済的援助を止めるとほのめかす、他の家族を介して説得するといったことも起こる。
そのような状況で子どもが「自分で選んだ」としても、選択の自由度は高くない。本人は、自分の希望だけでなく、親との関係が悪化する可能性、親を失望させる罪悪感、経済的な不安などを同時に背負って決めているからである。
たとえば、親が医師で、子どもにも医学部進学を期待していたとする。親は「必ず医師になれ」と命令したわけではないし、「あなたの人生だから」と口では言う。
しかし、医学部を目指すと伝えたときだけ、親は明らかに喜んでみせたり、親戚にも誇らしげに話したりする。別の進路のことを相談すると、「その仕事で将来食べていけるのか」と繰り返し心配を口にしたりするわけだ。
そんな「誘導」があれば、心優しい子どもは医学部を受験するだろう。自分で願書を書き、自分で試験を受けたのだから、形式的には本人の選択である。それでも、その選択から親の期待を完全に差し引くことはできなかったであろう。
自分の価値基準で人生を選ぶために
ここで話したいのは、「誘導的な親がけしからん」ということではない。人の選択は、常に周囲の影響を受けているし、親の意見を参考にすること自体が不健全なのでもない。
ただ、親の期待と異なる選択肢を考えたときに、本人のなかで強い恐怖や罪悪感が起こるとすれば、それは健全ではない。人生の選択に親の影響が入り込みすぎて、他の選択肢を現実的に検討できていないとしたら、形式上は自分で決めていても、それは自由とはいいがたい。自らの人生の主導権を取り戻していく必要があるだろう。
自由とは、誰の影響も受けずに決めることではない。
「親を失望させるかもしれない」という罪悪感にのみ込まれず、自分の望む選択肢を、自分の価値基準で並べられることなのだ。
鈴木裕介著/日本経済新聞出版/990円(税込み)

