日経プレミアシリーズ『 働かないニッポン 』では、「ジジイの壁」を含む社会構造によって、日本人が働く意欲をなくしていると指摘しています。そもそも「働く」とは何で、私たちは本当に働けているのでしょうか。頑張っても報われない社会で「有意味感」を取り戻す方法を著者の河合薫さんに聞きます。
前編 「河合薫 なぜ日本の『ジジイの壁』はこれほど強固なのか」
「お金のために働く」人が目立つように
編集部(以下、――) 新刊『働かないニッポン』で紹介しているギャラップの調査によると、日本の従業員エンゲージメントは145カ国中最下位という結果でした。
河合薫さん(以下、河合) 仕事への熱意や職場への愛着が生まれないのは、日本人が「働いている」のではなく「働かされている」と感じてしまっているからではないかと思います。さらに言えば、「働き損」だと感じている人も多いのではないでしょうか。
人はなぜ働くのかというと、私は幸せになるために働いているのだと思います。
「働く」という行為は、お金を稼ぐための手段だけではありません。1日のルーティンができる、社会とつながりができる、能力発揮の機会が得られる、新たな人と出会える、人に敬意を払ったり払われたりすることで人間として成熟していくなど、それら全てが「働く」という行為です。
私は講演会やセミナーの冒頭でいつも、参加者に向けて「何のために働いていますか?」という質問をします。これまでは「自己実現」とか「社会貢献」といった回答が8割くらいを占め、「お金のため」と答える人は少数派でした。しかし、この2~3年で「お金のため」と答える人が急増しているのです。この間の女性マネジャー向けセミナーでは、実に9割が「お金のため」と答えたのです。これはかなり衝撃的でした。
なぜお金のために働くようになったのか。それは能力発揮の機会がないからです。誰からも敬意を払われることがなく、上から「これをやれ」と言われたことをやっているからです。それは単なる「労働」であって、幸せになるための「働く」という行為ではありません。
働く=幸せになることは、人として向き合ってもらって初めて達成されます。ですから、経営トップや会社側から「あなたはわが社の大切な社員ですよ」というメッセージをもらってしかるべきなのに、そういう声をかけてもらっている人が果たしてどれだけいるのでしょうか。一人の人間として向き合ってもらっていないということは、まさに「働き損」という状況になっているのだと思います。
働けど報われず「有意味感」を失う人々
新刊『働かないニッポン』の中では、これらの状況によって日本人の「有意味感」が失われている、としています。
河合 「働き損」を感じるということは「有意味感」が持てなくなるということです。けれど、そこに至るまでにはもっと深い問題があります。日本の会社組織に根付く「日本的マゾヒズム」です。これは上からの命令で、無理難題を押し付けられても、次第に、理不尽が理不尽でなくなってしまい、逆にそれを望んでしまうような心理状態です。
元は江戸時代からあり、徳川幕府がその権威を絶対的なものにするために、家臣に服従心を強く植え付けたことから始まっています。下は上に「義」を尽くし、上は下に「情」で返す。それは、戦後の高度経済成長期の企業にも、深く根を下ろしました。下(社員)が懸命に働いて「義」を尽くせば、それに対して上(会社や上司)は年功賃金や年功序列、長期雇用、終身雇用という形で「情」を返し「徳」を積んできたのです。
経済が成長している間は、この関係はある意味「強さ」となって日本の躍進を支えていました。しかしバブル崩壊後は、年功序列や長期雇用を維持するのが難しくなり、情と徳は失われ、人を見ていない経営に変わってしまいました。会社にとって社員は「大切な人」ではなくなったのです。
なのに、人間関係など外から見えないものは、最も変わりづらい部分ですから、就職氷河期世代以上の人たちは、「理不尽でも上に尽くす」忠義の心をいまだに持っています。また、組織に属していると主体的に動かなくても自動的に給料が入ってくるので、言われたことだけやるという受け身の気持ちも強まりがちです。こうした背景から、社員は上からの命令に対して頑張り過ぎてしまい、時には不正をせざるを得ないような状況にまで追い込まれてしまうことがある。悲しいけれど、これでは単なる労働の奴隷であって、主体的に働いているとは言えません。
一方、そこまでやらない人、頑張り過ぎない人もいます。世間ではそういう人のことを「働かないおじさん」と呼ぶのかもしれませんが、「働かないおじさん」と呼ばれている人たちも実際は、目に見えないことや成果に直結しないことを一生懸命やっている人がほとんどで、本当に働かない人というのはごく一部だと思います。
ですから、頑張り過ぎてしまう人も「働かないおじさん」と思われている人も、幸せになるために働くという意味では、皆、働けていないのです。「働かないニッポン」ではなく厳密に言えば「働けていないニッポン」なのです。
人間誰でも自分がここに存在する意味を感じたい、自分への自信や仕事への誇りを持ちたいのに、それができない、あるいは持ちづらいのが今の日本の会社です。多くの人たちが「有意味感」を失っています。自殺する若者や孤独を感じる30代、あるいは自暴自棄になる40、50代というのは、有意味感をずっと失って取り戻せていないのです。
格差社会が生む「カネが全て」という感覚
仕事の面で有意味感が得られないから、若者がそれを求めてお金持ちになりたがるという側面もあるのでしょうか?
河合 仕事で有意味感が得られないと「カネが全て」だと思いがちです。本来、有意味感は、所得の多寡とは関係のない感覚なのに、資本主義社会では「お金のあるなしと有意味感が直結してしまうこと」が起こりやすいのです。
気がつけば、日本の格差社会は全ての世代で顕著になっています。お金のある家庭の子どもは学習塾に通ったり海外に行ったりいろいろなチャレンジができますが、非正規雇用の低所得世帯の子どもが同じような機会を持てるかというと持てないわけです。そうすると「結局、世の中カネが全て」と感じるようになってしまうのです。お金のある高齢者とそうでない高齢者では、老後のあり方が変わってくるという厳しい現実も、若い人にはよく見えているように思います。
経営者や管理職が現場を歩いていない、人を見ていない経営をしていると、現場と意思決定層との乖離(かいり)も深まっていきます。トップが社員と「人」として向き合わない限り、仕事での有意味感は形成されません。有意味感には、「あなたは大切な人」というメッセージが必要なのに、それがないのです。
半径3メートル世界を温かいものに
社会構造はなかなか変えられるものではありませんが、働く人たちが職場など半径3メートルから変えていこうという話を『働かないニッポン』の中ではしています。
私は健康社会学が専門なのですが、その中で分かっているのは、人の幸福感や生きる力に最も影響を与えるのは、「自分を取り囲む半径3メートル世界」だということです。どれだけいい国に暮らしていても自分の半径3メートル世界の質が悪ければ幸せではないし、逆に戦争をしているような国でも半径3メートル世界の人たちから自分が必要とされていると感じられるなら幸せな気持ちになります。
会社でも同じです。頑張っていい結果を出し社長賞をもらっても、職場のメンバーから「よかったね」と言ってもらえるような環境でなければあまりうれしくないでしょう。社長賞はもらえなくても、周りから「あなたがいてくれてよかった、ありがとう」と声をかけてもらえることのほうがよほどうれしいのです。
日本社会の構造、組織の構造をどうにかするのは本当に難しいのですが、まずは自分の周囲から始めてほしいと思っています。自分の有意味感を取り戻すためにも、自分の周囲の人が「ここにいる意味」を感じられるような温かい半径3メートル世界を作ることを、少しだけ余裕のある人、少しだけ元気のある人がやってみてほしいと思います。
文/橋口いずみ 写真/稲垣純也
河合薫著/日本経済新聞出版/990円(税込み)


