2020年、世界が新型コロナウイルス感染症によるパンデミックに陥る中、世界各国の研究者が未知のウイルスに対して立ち上がった。多数の論文が発表されたが、日本発の論文は少なかった。しかし大学の垣根を越えた共同研究組織「G2P-Japan」が活動を開始してからムードが一変した。「ネイチャー」「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」など、世界でトップレベルの学術雑誌に世界が注目する論文を連発し始めたのだ。主導したのは、東京大学医科学研究所・佐藤佳教授(当時准教授)。佐藤教授はじめ集結した研究者たちはいずれもコロナウイルスは専門外だった。彼らがなぜ大きな業績をなし得たのか。その一部始終をドキュメントした 『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(佐藤佳著、聞き手・詫摩雅子/日経サイエンス社) について、著者である佐藤教授に聞いた。
有事のときに活躍できる研究者になりたかった
佐藤さんはウイルス学が専門で、ずっとエイズを引き起こすHIV(Human Immunodeficiency Virus=ヒト免疫不全ウイルス)を研究してこられた。新型コロナウイルスを研究しようと思われたのはなぜだったのですか?
佐藤佳教授(以下、佐藤) ウイルス学者の中には、「専門外のウイルスには手を出すべきではない」という暗黙の了解があるんです。ある種の縄張り意識のようなものかもしれません。一口にウイルスといってもHIVとコロナウイルスではウイルスの性質も全く違います。自分自身は新しい感染症が広がるのを研究者として経験したことがないというのも躊躇(ちゅうちょ)した理由でした。
また、東京大学医科学研究所(以下、医科研)には、河岡義裕教授(当時)という呼吸器感染症の代表格であるインフルエンザウイルス研究の第一人者がいて、自分の出る幕はないと思ってました。なので2020年1月、中国・武漢で感染が広まり始めた頃、新型コロナウイルスには手を出さないつもりでした。しかし、2月、3月と日本でも感染が広がり始めた頃には、ウイルス学者として何もしないわけにはいかないという気持ちになりました。
僕自身、研究者になったきっかけの一つは映画や小説などです。映画『アウトブレイク』では感染症が、鈴木光司さんの小説『リング』や『らせん』、浦沢直樹さんのマンガ『20世紀少年』ではウイルスがそれぞれ登場し、それに立ち向かう研究者の姿が描かれていた。自分もあんな有事の時に活躍できる研究者になりたいと思ったわけです。
2020年、まさにそんな状況が目の前に現れた状況でしたね。「8割おじさん」こと西浦博北海道大学大学院医学研究院教授(現・京都大学大学院医学研究科教授)が数理モデルを駆使して、積極的に提言していました。
佐藤 以前、一緒に研究させていただいた西浦先生の「リアルタイム研究」には大きな刺激を受けました。僕もやるしかないという思いでした。僕の研究対象だったHIVは、すでにかなり研究が進んでいて、この先のことを考えると、違う研究対象も視野に入れた方がいいかもしれないという考えも後押ししました。また、これまでに呼吸器感染症のウイルスを扱ったことはありませんでしたが、HIVやHIVを含むレトロウイルスの研究を通じて身に付けた実験法や解析法は、コロナウイルスでも役に立つだろうという自負もありました。
最初に書いた論文を2020年5月、生命科学分野の査読付き学術雑誌「Cell Reports(セル・リポーツ)」誌に投稿、リバイス(査読を受けた再投稿)を経て9月に受理されました。SARSウイルスと新型コロナウイルスのORF3b遺伝子があって、それがインターフェロンの産生を抑え、免疫機能を阻害し重症化させていたわけですが、論文では重症化の程度など、それぞれの違いを実験に基づいて明らかにしました。
生命科学では査読済みの論文公開までは研究成果を公表しないのが常識でしたが、新型コロナウイルスを通じて、査読前でもどんどん研究成果を公開するという流れができました。これは大きな変化だと思います。
僕の研究室のスタッフや以前一緒に研究した仲間などと手探りで始めたのですが、最初は「できるわけないやろ」って反応でした。でもそこは同じ世代のいいところで、あまり時間もなかったので、「この実験、朝までにやっといてよ」などと気軽に言えました。だから急ピッチで進めることができて、僕自身も論文を書くのはすごく速いので短時間で投稿できました。みんな「あれ、できるかも」っていう希望を持つようになったんです。
それからもう1本ORF6遺伝子をテーマにした論文を書いた後に、国の新型コロナ研究に関する年間1億円の大型研究予算に応募しました。医療分野の研究開発を助成するAMED(日本医療研究開発機構)の公募でしたが、発表済みだった2本の論文もプラス評価に働いたのか、獲得することができました。
これだけの予算があれば、手がけたい研究がたくさんできる。しかし進めるにはもっとたくさんの研究者がいないとダメなんです。そのためにも国内の研究者が連携して研究を進める仕組みをつくることが必要だと思いました。
HIV研究での挫折が取り組みの原体験に
研究者を集めようにも、専門外のウイルス研究に手を出さないという暗黙の了解があるし、大学の垣根もある。難しかったのではないですか?
佐藤 けっこう苦労しましたね(笑)。
まず声をかけたのは、エイズ研究者です。一緒に研究したことのあるメンバーですね。実は僕らの世代のエイズ研究者は若手の頃に屈辱を味わっているんです。15年ほど前の日本ではエイズ研究に潤沢な予算が出て、研究が盛んだった。なのに「ネイチャー」や「サイエンス」に論文を出せていないんですね。僕らの世代はその状況を見て痛感したんです。
「やっぱり世界で戦えることをやらなきゃダメだ」って。これは僕らの世代のエイズ研究者たちが共有している原体験です。その忸怩(じくじ)たる思いがあるから、今度こそは、という気持ちがありました。
もう一つ重視したのは、同じぐらいの年齢の研究者を集めることでした。気を遣わずに意見を言える関係でなければ、風通しの悪い組織になって、いい研究ができないからです。ただ年齢が同じぐらいでも、研究室を持っていない人には積極的に声をかけませんでした。彼らが所属する研究室のボスがいい顔をしないことが予想されたからです。
誘った時の反応はそれぞれでしたが、共通していたのは「ウイルス学者であればこの危機に何かしなければいけない」という研究者としてのプライドでした。
こうして違った専門知識・技術を持つスペシャリストが集まりました。ウイルスの遺伝学的解析技術、新型コロナウイルス変異株の人工合成技術、培養細胞や動物を使った実験技術、データ解析など、実に多岐にわたっていました。
当時、イギリスで「G2P-UK」という大規模な研究コンソーシアムがスタートしたという話を耳にしました。G2Pとは「遺伝型から表現型まで」(Genotype to Phenotype)の略称で、基礎研究から臨床研究までさまざまな分野の専門家を集め、遺伝子の変異によるウイルスの性質がどう変わるかを突き止めようという組織でした。それと同じやり方でやろうと考え、2021年1月、大学の垣根を越えた共同研究組織、「G2P-Japan」を立ち上げたのです。
(後編に続く)
取材・文/西所正道 構成/市川史樹(日経BOOKプラス) 写真/鈴木愛子


