「Newsモーニングサテライト」でキャスターを務めている豊島晋作さんは、テレビ東京報道局の政治担当の記者として仕事を始めた。その後、「ワールドビジネスサテライト」の番組制作を担当。2016年からはロンドン・モスクワ支局長として、ヨーロッパやロシア、アフリカ、中東での取材を重ねてきた。
2019年からはYouTubeなどのネット配信にも取り組み、最近はウクライナ戦争や台湾有事など最新の国際情勢について解説する動画「豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス」を配信。ウクライナ戦争を解説した動画はYouTubeだけで総再生回数が4000万回を超えた。前回の記事 「豊島晋作 なぜ戦争を繰り返すのか 歴史に本質を学ぶ1冊」 で紹介した、米国国家安全保障問題大統領補佐官にして、戦車戦史上類いまれな戦果を上げた軍人であり、歴史学者でもあるH・R・マクマスター氏へのインタビューは反響を呼んだ。
なぜ、豊島さんが配信する動画は、注目を集めるのか。その人気の秘密は、豊島さんが伝える情報のわかりやすさだ。
これまで映像の世界で活躍してきた豊島さんは、2022年8月、初の自著『ウクライナ戦争は世界をどう変えたか』(KADOKAWA)を出版し、活字での発信にも挑戦。あらゆるチャンネルで、情報を届け続ける豊島さんにとって「伝える」とはどういうことなのか――。
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自由と民主主義が広がったこの21世紀に、ビルが立ち並ぶ大都会で、あの残虐な戦争は起こりました。
なぜ起きたのか、どうして世界はそれを防げなかったのか、 日本はこれからどうやって平和を維持していくべきなのか。私たちには、今受け止めなくてはいけないこと、今考えなくてはいけないことがたくさんある。「伝えること」を仕事にしてきた“テレビ屋”として、それを活字の世界でわかりやすく伝えられないか―― 『ウクライナ戦争は世界をどう変えたか』 (KADOKAWA)を書いた大きな理由の1つに、そんな思いがあります。
出版のきっかけになったのは、開戦の1カ月前に「テレ東BIZ」に投稿した「“ウクライナ戦争”という危機」という私の解説動画。これにたくさんの反響があったことで、動画で伝えきれなかったことや、私自身の思考の積み重ねを本の形にしてみないか、というお話をいただきました。
でも、自分が書く意味って何なんだろう? 立ち止まって考えましたね。
この分野の専門家や研究者、元外交官などそうそうたる方々が書いた本が並ぶ書店の棚を思い浮かべました。
“テレビ屋”の自分が「書く」意味
法学部から政治学研究科に進んで修士課程を終えただけの私は、専門領域をちょっとかじったにすぎません。国際政治や東欧政治の研究者をはじめ、専門領域を持ったプロの書き手にしてみれば、こんな人間がウクライナ戦争について本を書くなんて大それたことを、と思う人もいるかもしれない。ウクライナ戦争は起こったばかりじゃないか、どうやって事実確認をするつもりなのか? 界隈からそんな声が聞こえてきそうな気がしました。
確かに今、本を書くとなれば、戦況が錯綜(さくそう)しているなかで事実を確認しなければならず、それが困難なことは予想がつきます。
でも、戦争が起こって間もないこのタイミングだからこそ、今、入手可能な情報をリアルタイムに近い形で限界まで集め、できる限りのことをやってみることに意義があるのではないか。それに、専門家による専門家のための本や論文はもちろん大切だけれど、それらは社会とはちょっと隔絶されたところにあるというか、一般の人が手に取りにくい。
戦況がコロコロ変わる今、広く求められているのは、「今、起こっているのは、こういうことですよ」とわかりやすく伝える本ではないのか。それを書くということは、社会と情報の接点で人と情報をつなぐことなのかもしれない。
とはいえ、いくら役割を果たしたくても、なじみのないエリアで起きたことだったり言葉の壁があったりしたら、一次資料にアクセスすることはほぼ不可能、挑戦することはなかったと思っています。でも、この戦争は、ヨーロッパで起き、世界中が注目するなかで進行しているんです。動画もあれば英語の文献もどんどんアップデートされて上がってくる。情報へのアクセスという点では、学者であろうと、私のような者であろうと、そんなに大きな差はありません。
だったら、今このホットなタイミングで、誰にでもわかりやすく伝えることにはきっと意味があるはずだ、と。それで、テレビ出演や動画配信と並行させて、かなり追い込まれながら(笑)、書き上げたのがこの本だったのです。
本にできて、動画にはできないこと
日ごろ、私のやっている動画配信は、今起こっていることをインスタントに理解したいというニーズに応えるべく、情報をぎゅっと凝縮して簡潔に早く伝える、その繰り返しなんです。言ってみれば、毎回100メートル走をやっているような感じで作ります。
これに対して本を書く作業は、100メートル走を何本も何本もつなげて10キロ走り切るみたいな感じ。これまでにない体験でした。
何より時間軸が長く取れるので、動画だとどうしてもこぼれ落ちてしまう詳しい説明や歴史的な背景の細部も書き込むことができる。将来を見通すには、まず過去を振り返ること。これができたのは、本の形ならではだと思います。
100メートル走を1本1本つないでいくことは、まさに自分の思考プロセスをたどる作業でした。
情報や書こうとしていることを並べてみて改めて「大きな流れってこうなのか」と気づくこともあったし、動画と動画の意外な接点を見つけたり、自分が見て見ぬふりをしてきたものに直面させられたり。そして、結果的には本を書くことが、自分にとっての思考とロジックの整理になりました。
豊島式「わかりやすい」をつくるコード
この本は、執筆時点で入手することのできたウクライナ戦争に関する可能な限り多くの公開情報に基づいて書いています。自分が戦地へ行って取材をしたわけではないので現場発ではないし、先ほどもお話ししたように深く研究を重ねたアカデミズム発でもありません。
この場合、一番怖いのは、誰かの書いた論文なり記事なりを読み、それをきっかけに思考したことなのに、さも自分が思いついたかのように書いてしまうこと。だから、なぜ自分はこう考えたのか?と自問し、根拠となる資料を一つ一つたどって、自分の思考と資料との間を行きつ戻りつしながら、誰の言説なのかを整理する作業にかなり時間をかけました。
このプロセスは、動画配信の場合も同じ。自分への戒めの意味もあって、私は毎回、動画の冒頭で参考資料を伝えるようにしているんです。この本でも、最後に参考文献一覧を並べました。
もう一つ、書きながらずっと念頭に置いていたのが「わかりやすく」ということ。
学生時代の指導教官だった先生に言われた「Aである。なぜか。それはBだからである」というシンプルな構文を常に意識し、「問い」と「簡潔な説明」をできるだけ短い文で重ねていくようにしたつもりです。それは、動画を作るうえでも大事にしている部分です。「伝える」ときに、自分の中に刻まれているコードのようなものですね。
“テレビ屋”としてこれまで発信してきた経験を生かし、情報と社会とをつなげる「接点」であることを意識すること。専門的になり過ぎず、できるだけ分かりやすい言葉で届けること。それが、私が動画でも本でも意識してきた「伝えるということ」。
そして、ウクライナ戦争が突き付けた残酷な世界の現実を、私たちはどう見るべきなのか――この問題を、目を背けずに、みんなで考え続けていきたい。そう思っています。
取材・文/平林理恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部) 写真/斉藤順子