これまでのお話で紹介したのは、ウクライナ戦争についての情報をまとめた本や、「戦争」について思考を深めるときに役立つ本でしたが、今回紹介するのは、それらとは全く異なるジャンルの一冊です。

 ちょうど自著『ウクライナ戦争は世界をどう変えたか』(KADOKAWA)を書いている最中だった私は、少しリセットしたい気分だったのでしょうか、ロシアにもウクライナにもアメリカにも関係ない本が無性に読みたくなったんです。

 そして、六本木にあるカフェ併設の本屋さんでこだわりの本が並んでいる店内をふらふらと巡り、偶然手に取ったのが、この本 『一万年生きた子ども』 (ナガノハル著、現代書館)でした。

「ふと目に留まって、手に取りました」
「ふと目に留まって、手に取りました」
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 扉を開いて2ページ、3ページ・・・、ふと気づいたら立ち読みのまま数十分が過ぎていました。

 本書は、漫画家のナガノハルさんが、統合失調症を患う母親のケアに追われた子ども時代をつづった手記。描かれているのは、自分がこれまで知らなかった――でも本当は想像力を働かせるべきであった――精神疾患を抱えた人とその家族の現実です。

 妄想にとらわれて何度も失踪する母を、多忙な父に代わって連れ戻しに行く8歳の私。あるとき、母の通院に付き添った帰りの電車の中で、母は床に大の字になって寝てしまいます。その姿を前に私は弱り果てる。でも、周囲の大人は哀れみと奇異のまなざしを向けるだけで、誰も助けてくれない。

 「その瞬間に私は年を取る」とナガノさんは述懐します。その体験がどれほど壮絶なものだったのか。そして、それは繰り返されてきたわけです。

 時は1980年代、精神疾患に対する差別も偏見も今よりもずっと強かった。その中を「1万年生きたかのような大人の心を持った子どもとして生きてきた」とナガノさんは言う。それは、あの環境で生き延びるための生存戦略であったのだ、と。

 その後、母の病状は回復しますが、それに合わせるかのように、今度はナガノさん自身が心身の不調に襲われることになります。中学時代はリストカットを繰り返し、高校生になってからは精神科の通院が欠かせない状態に。就職後は周囲が気になってたまらず不眠に悩み、やがて双極性障害Ⅱ型という診断を受ける。そして、今も病気を抱えながら日々を送っていらっしゃるのです。

 「私の人生は、ほとんどすべてが『一万年生きた子ども』であった頃の後遺症」という言葉が、6歳の娘の父親でもある私の胸に重く迫ってきます。

「娘を持つ父として、ナガノさんの一つ一つの言葉が心にずしりと重く響きました」
「娘を持つ父として、ナガノさんの一つ一つの言葉が心にずしりと重く響きました」
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 子ども時代を子どもとして生きられなかったことの代償はかくも大きい。すべての子どもたちに、安心して生きられる環境を。それをつくっていくことは、私たち大人の役割なのでしょう。

 今になって、ヤングケアラーの問題が注目されるようになってきましたが、親のケアに追われている子どもの存在はなかなか表には現れてきません。もしかしたら、今住んでいるマンションの隣の部屋にも、苦しくても声を上げずに頑張っている子がいるのかもしれない。そんなふうにミクロレベルで肌感覚に訴えてくるのが、リアルな筆致で子どもの思いをつづったこの本の力ではないかと思います。

自分では気づけない世界がある

 以前の記事 「豊島晋作 なぜ戦争を繰り返すのか 歴史に本質を学ぶ1冊」 で紹介した『戦場としての世界』(H・R・マクマスター著、日本経済新聞出版)は、この地球で起こっていることをふかんして捉えた、自分が知らない世界観を示してくれる本でした。一方で、この『一万年生きた子ども』は、自分のすぐ近くで起こっているのに気がつけないでいた世界をミクロレベルで示してくれた本です。

 刻一刻と変化する世界の今を追い、伝え、自分でも本を書くことに集中していたあのときの私は、恐らくちょっとバランスを欠いていたのだと思います。

 でも、この本を読んで、バランスを取り直すことができた。考えなければいけない問題への気づきをもらえ、父親として考えさせられることもありました。こうした気づきと広がりをもたらしてくれるのが読書なんだと、改めて感じさせてくれた一冊です。

移動中のバッグの中には常に4冊

 本は、暇さえあれば読んでいますね。移動の時は、必ず何かを読んでいます。

 基本的に、僕は何もすることがない状態をつくるのが嫌で、暇を避けることには強迫観念すらありまして(笑)。だからバッグにはいつも本が2冊、いや3冊、いやいや4冊くらい入っています。

 移動している間に途中で読み終わってしまう心配もあるし、第一、ちょっと時間ができたそのときに自分が何を読みたいモードでいるかなんて、そのときになってみないと分からないですよね。例えば、喫茶店に入りソファに座る、その瞬間に判明するんです、今自分が欲している本が。私は、読みたい本を、読みたいときに読みたい…。

 だから、あらゆる事態を想定すると、4、5冊が常に手元にあるのがベストなんです。ジャンルの異なる本をいつも並行読みしていて、出かけるときは大きくて丈夫なバッグにそれを詰めて持ち歩きます。

 読書はジャンルは問わず、がモットー。テレビの視聴者は子どもから高齢者まで幅広く、カフェ巡りが好きな人もいれば、ワインのソムリエを目指している人も。盆栽が趣味の人も、バレエファンもいる。日々のオンエアで、オールジャンルに対応するためには、伝える側の私自身も興味の幅を広げておく必要があると思うのです。

 それに、今回、自分で本を書くことで改めて感じたのですが、分かりやすく話したい、分かりやすく文章を書きたいと思うなら、『戦場としての世界』みたいな難しい本だけを読んでいてもうまくはならない。国際政治についての知識をいくら増やしたところで、国際政治について、分かりやすく伝えることにはつながらない。やはり必要なのは、受け手がどんなことに興味を持っていて、それにはどんな魅力があり、その世界でどんなコミュニケーションがなされているかを知っておくこと。どんなテーマで何を伝えるにしても、オールジャンルで見ていくことが大切なのではないかと思います。

 読書であれなんであれ、自分の知らない世界に首を突っ込んでみるのが一番じゃないかと思っています。

アイドル担当の記者時代の経験が生きる

 かくいう僕は、よくびっくりされるのですが、入社したとき、アイドル担当だったんです。国際政治を勉強し、報道に就きたいと思って入社した自分にとっては、まさにあずかり知らない世界。

「最初は、『ミニスカポリス』とか『ジャニーズ』とか、土地勘のないフィールドで正直、戸惑っていました」
「最初は、『ミニスカポリス』とか『ジャニーズ』とか、土地勘のないフィールドで正直、戸惑っていました」
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 でも、知らないことばかりの未体験ゾーンでの仕事は面白かったですよ。何よりもそのとき見聞きしたことや培った人間関係が、後になって生きてきた。 国際政治界隈の人に、「アイドルの場合はこうなんですよ」と話したら、相手が興味津々になって話が弾んだり、アイドル業界の知り合いに、「あの話、実はどうなっているの?」と聞いて、“時の人”の話題を解説してもらったり。興味関心が薄くても、自分の世界を広げることは何一つムダになることはない、そう思います。

アマゾンランキングは見ない

 読書は、「紙で読む派」です。

 本が背表紙をこちらに向けて本棚にきれいに並んでいる姿が好きなんです。だから、読み始める前に、カバーや帯はすべて外して大切に保管しておく。そして、読み終えて本棚に並べるときに丁寧に付け直す。ウチの妻は、信じられないことに、付けたまま読むんですよ。で、カバーが汚れたり、帯が破れたりしても、全然気にしない。

「大事なカバーが汚れるなんて、僕としてはあり得ないと思ってしまいます(笑)」
「大事なカバーが汚れるなんて、僕としてはあり得ないと思ってしまいます(笑)」
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 逆に本の中は、アンダーラインを引いたり、書き込みをしたり…ある意味、汚しまくってます。

 例えば「動画の解説で使えそうだな」と思う情報に出合ったら、そこにラインを引き、付箋を立て、その作業を通して記憶として定着させる。紙だからこそできる作業です。しかもこの作業をしないと、僕自身が出力モードになれないんです。だから、純粋にストーリーを追って楽しむものならともかく、アウトプットにつなげる読書については、僕の場合は、紙の本一択。こういう紙の効用を実感する人は、私以外にもきっとたくさんいるはず。

 紙の本を買うのは、中小のこだわりの本屋さんや丸善などの大型書店の店頭ですね。ネットで本を買うことはほぼないんです。アマゾンなどのランキングも全然見ない。

 だって、書店の店頭の情報量はすごいんですよ。平積みコーナーを見れば、数十冊分の情報が目に飛び込んでくる。「今、メタバースがきているんだな」とか、この経営者が人気なんだな、ということが瞬時に分かります。これだけの情報をネットショップから得ようとしたら、いったいどれだけスクロールすることになるのか。

「書店は、私にとって、最高の情報収集の場です」
「書店は、私にとって、最高の情報収集の場です」
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「書店は、世界の縮図」

 中小の本屋さんの店頭を比べてみるのも楽しいです。「この店はこのジャンルにめちゃくちゃ力が入っているなあ、店主さんのどんな思い入れがあるんだろう」と思いを巡らすのもいいし、「あれ、ベストセラーのあの本が置いてないぞ、あえて置かないことがこの店のこだわりなのかな」など、品ぞろえから見えてくることもある。

 私は、通勤途中やよく行く場所からの帰り道に立ち寄る本屋さんをなんとなく決めてあって、週に1度は見に行くようにしています。国際関係の領域についての新しい動きのチェックの意味合いもありますが、今、世の中で何が面白がられているか、求められているかを知りたいという気持ちが強いですね。

 書店の店頭は、そのときの世相や人々の趣味嗜好を切り取っているので、毎週店頭を眺めることで、情報をアップデートし続けることができる。書店巡りは楽しいだけでなく、テレビ屋の仕事にも大いに役立つというわけです。

 書店に行くということは、世界の縮図を手に入れに行くこと。大きな書店なら、富裕層向けの旅行雑誌から貧乏旅行向けガイドまで何でもそろう。俳句の入門書も軍事マニア向けの本もある。一棟のビルの中で、世界のすべてに出会えるんです。こんな面白い場所に足を運ばないのはもったいない、と思うほどです。

第1回 豊島晋作 なぜ戦争を繰り返すのか 歴史に本質を学ぶ1冊

第2回 豊島晋作「わかりやすく伝える」動画と本は何が違うのか

取材・文/平林理恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部) 写真/斉藤順子