『言語の本質』(中公新書)、『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)、『英語独習法』『学力喪失』(ともに岩波新書)など、数多くのベストセラーを世に送り出している今井むつみさん。「○○を読んで面白かったけれど、次は何を読むのがオススメですか?」と聞かれることも少なくないといいます。そこで本連載では、「次に読む今井むつみさん」の参考として、今井さん自身が著書について、テーマごとに語ります。第1回は、「入門【今井むつみの本】の世界」。初めて今井さんの本を手に取る方、まず全体像をざっくりつかみたい方にぴったりの、入り口となる3冊を紹介します。

「今井むつみの本の世界」へようこそ

 私はこれまで、認知心理学・発達心理学の視点から、「言葉」「思考」「学び」などについての本を書いてきました。
 この連載では、その1冊1冊の内容や執筆の意図だけでなく、より体系的に「今井むつみの本」を捉えていただくための本同士の関係性についてもお話ししていきたいと思っています。

 最初に見ていただきたいのが、私自身が考えた「今井むつみの本MAP」です。

今井むつみの本MAP
今井むつみの本MAP
画像のクリックで拡大表示

 このMAPでは、テーマごとに分類した上で、一般的か専門的かという軸で並べ、本同士の関係を矢印で結んで表現しました。矢印で結んではみたものの、すべて読まないといけない、ということではありません(笑)。

 すでに私の本を手に取ってくださったことのある方は、その本を出発点に、テーマを深めたいのか、あるいは別のテーマに挑戦したいのかを選ぶための判断材料に。これから読んでみようと思ってくださっている方は、ご自身の興味関心により合う本を選ぶための道しるべとして活用していただければと思います。

 さて、今回紹介するのは、このMAPの中でも左の3冊「今井むつみの世界の入り口」となる本です。

今井むつみの世界の入り口となる3冊
今井むつみの世界の入り口となる3冊
画像のクリックで拡大表示

入門1冊目『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』

 『 人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学 』(2025年、日経プレミアシリーズ)は、私が、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)で28年間担当してきた「認知心理学」という授業の最終講義をベースにまとめたものです。

慶應大学SFCの最終講義が収録された『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』(2025年、日経プレミアシリーズ)。
慶應大学SFCの最終講義が収録された『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』(2025年、日経プレミアシリーズ)。

 この講義は、一般的な認知心理学の授業とは少し違っています。というのは、SFCのほとんどの学生は、心理学の研究者になりたいと思っているわけではなく、一般教養的なものとしてこの講義を受けていたからです。
 そのため、ただ「認知心理学の最新研究」を伝えるのではなく、「認知心理学がどのように人生に役に立つのか」を伝えたほうが良いと考え、毎年、学生の反応を見ながら少しずつ講義の内容に手を入れていきました。本書におさめた最終講義は、28年間の試行錯誤が詰まったものです。

「人生の大問題と正しく向き合う」が意味すること

 書名に「人生の大問題と正しく向き合う」とあるのは、私たちの人生というのは、意思決定に次ぐ意思決定だからです。授業を聞いている大学生は、まだ若い。就職、留学、大学院など、これからどのような進路を選択するか分かりません。また意思決定は、恋愛や結婚、離婚、子どもの教育など私生活の根幹にまで及びます。
 人生には本当に色々な問題があり、その1つひとつにどう答えを導くかということに、実は心理学が関わってくるのです。これはあまり知られていないことです。

 認知心理学が意思決定にどのような効果をもたらすのか。意思決定と「思考(シンキング)」は、ほぼ同じパッケージの中にあります。両方とも「考えること」です。いろいろな問題に対して、何らかの結論を得るために思考する。そのときに、人がどういう「バイアス」を持っているか。つまり、どういう思考の癖や偏りを持っているかを知ることがすごく大事になります。

 本書は、まず初めに「私たちはそもそも客観的に世界を見ることができているのか」という問いから始まり、記憶の脆弱(ぜいじゃく)さやさまざまな「バイアス」について取り扱います。また、人がとても苦手としている論理的思考や確率についても語ります。

 「自分は論理的思考が得意だ」という方がいらしたら、ぜひこの本に載っているいくつかの実験に挑戦してみてください。「ウェイソンの4枚カード問題」という古典的な論理の問題では、SFCの生徒であっても正答率は25%程度です。人は論理的思考がとても苦手なのです。

 私たちは自分が思うよりも、非論理的で、感情に左右され、思考バイアスにとらわれやすく、物事を単純化し、自分の価値観を過大評価しているということを知るだけでも、その後の意思決定の際に慎重になれるはずです。そして結果的に、より良い選択ができるようになるでしょう。

 「人生の大問題」に向き合う前の準備として、また認知心理学ではどのようなことを扱っているのかを知るためのマップとしても役に立つはずです。

入門2冊目『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』

 認知バイアスについて、もう少し詳しく知りたい場合は、私が初めてビジネスパーソン向けに書いた『 「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策 』(2024年、日経BP)がいいかもしれません。仕事や研究において、バイアスは大敵です。

『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(2024年、日経BP)は2種類のデザインで展開されている。
『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(2024年、日経BP)は2種類のデザインで展開されている。

 人は「自分は客観的でニュートラルだ」と思っていても、知らず知らずに偏った考え方をしてしまいます。というのも、そもそも「専門性を追究する」ということは、ある部分をどこまでも深掘りするということであり、それはときに視点を偏らせることにつながるからです。

 皆、自分のことには興味がありますが、人の関心事には同じ熱量を持って注目することはしません。自分の関心事はものすごく重要に思えるけれども、他の人がその人の関心事に大騒ぎしていても、それが大事なことに思えないこともあるものです。これは誰もが持つ典型的なバイアスで、私は「マイワールドバイアス」と呼んでいます。
 自分の関心事を重視して、他人の関心事は軽視してしまう。これが原因で起こるトラブルは想像以上に多いものです。

 とはいえ、バイアスがまったくないほうが生きやすいのかといえば、そんなことはありません。また、バイアスなくニュートラルにものを見て考えるというのは、人間にとってそもそも無理なことでもあります。
 どんな人にも必ずバイアスがあり、それは乳幼児期の子どもも例外ではありません。また、乳幼児期の子どものバイアスが言語習得に役立っていることも明らかになっているのです。

なぜこの本を「ビジネス書」として刊行したか

 この本はバイアスについても紹介していますが、メインテーマは「コミュニケーション」です。多くの読者の方から、「何回説明しても伝わらない」というフレーズに、共感の声をいただきました。きっと皆さんも日々、「何回も説明しているのに、どうして伝わらないんだ」「前にも言ったはずなのに」と思っていらっしゃるのだと思います。

 しかしこうした問題に、「うまい言い方」や「分かりやすい言葉への言い換え」で対処しようとしても、たいてい失敗します。なぜなら人は、「自分の都合がいいように、相手の言葉を理解する」生き物だからです。

 あなたが発した言葉は、相手の脳にそのままインプットされるわけではありません。往々にして違う形で、受け取り手によって解釈されたものがインプットされるのです。言葉は常に受け取り手によって解釈され、解釈されたことで初めて意味のある言葉として伝わります。そしてそれが、両者で一致しているかどうかは、誰にも分からないのです。

「同じ言葉だとしても、話し手と聞き手で同じように解釈しているかどうかは誰にも分からない」と今井さん。
「同じ言葉だとしても、話し手と聞き手で同じように解釈しているかどうかは誰にも分からない」と今井さん。

 本書は、認知心理学の基礎知識を持たないビジネスパーソンを念頭に、認知心理学の基礎的な知見を用いて、コミュニケーションの本質とその解決策について語ったものです。最初につけた帯の文言は、「人は、何をどう聞き逃し、都合よく解釈し、誤解し、忘れるか」。これを知ることが、いいコミュニケーションを実現するための出発点です。
 本書によって、日々、多くの方が感じられているコミュニケーションのモヤモヤがすっきり晴れてくれたらいいなと思っています。

入門3冊目『AIにはない「思考力」の身につけ方』

 次にご紹介するのは、『 AIにはない「思考力」の身につけ方 ことばの学びはなぜ大切なのか? 』(2024年、ちくまQブックス)です。

 「ちくまQブックス」は、10代向けのノンフィクションレーベルです。本書は、2020年に同じく筑摩書房から保護者さんほか子どもの養育・教育を担う大人向けに出版した『親子で育てる ことば力と思考力』(本連載第5回目で紹介予定)を、中高生向けにやさしく書き直した上で、新たにAIに関する最新の知見を加えて出版しました。このレーベルは学校図書館向けと聞いていたのですが、一般の書店でもずいぶん買っていただいているようです。

『AIにはない「思考力」の身につけ方』(2024年、ちくまQブックス)は身近な具体例がふんだんに盛り込まれている。
『AIにはない「思考力」の身につけ方』(2024年、ちくまQブックス)は身近な具体例がふんだんに盛り込まれている。

 この本の特徴は、私がそれぞれの本で展開している理論や実験を、中高生が実感できるような具体例をたくさん入れて解説していることです。まさに「中学生にも分かるように」説明しているわけです。
 次回以降、紹介していく『言語の本質』(2023年、中公新書)のキーワードでもある「アブダクション推論」についても同様です。「アブダクション」という言葉を、中高生向きの書籍で使ったというのは、画期的なことかもしれません。

鍵となる用語をやさしく理解できる本

 「アブダクション推論」とは「仮説形成推論」といわれるもので、持っている知識を組み合わせて、直接目で見たり観測したりすることのできない現象を推論することです。中高生でいえば、相手に送ったメッセージが「既読スルー」になっていたときに、「何か怒らせちゃったのかな……」と考えてしまうことも、アブダクションです。

 また、子どもは言葉を覚えるときにも、アブダクションをしています。本書ではその例として、「いちごのしょうゆ、ちょうだい」と言った子どもを紹介しました。この子は、しょうゆをかけておいしくなったという経験から、「食べ物にかけて、おいしくする」という目に見えないメカニズムを発見し、「おいしくする液体=しょうゆ」というアブダクションをしているのです。

 この子が求めているのは、コンデンスミルクですね。これは数あるアブダクションの一つの例であり、このようにして子どもは言葉を増やしていきます。

「子どもが言葉を覚える上で、アブダクション推論の能力は不可欠」と語る今井さん。
「子どもが言葉を覚える上で、アブダクション推論の能力は不可欠」と語る今井さん。

 アブダクションはあくまで「仮説」ですから、もちろん間違えることもあります。既読スルーの話でいえば、怒らせたわけではないことがほとんどですし、コンデンスミルクは「しょうゆ」ではありません。
 間違えることも多いものですが、私たち人間にとってアブダクション推論はとても重要なものだと私は考えています。詳しくは『言語の本質』のところでお話しします。

 本書では、アブダクションの他にも、「記号接地」「AIと思考」「直観」のような、私の他の書籍で扱っている内容をやさしく説明しています。副読本としていただいてもいいですし、これから私の本を読まれる方は最初にこの本を読むと他の本が読みやすくなるかもしれません。

(構成=黒坂真由子、写真=稲垣純也)