「昭和」が終わって三十数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするために、有効で安全なトリセツを考えてみましょう。今回は、昭和と令和で常識も感覚も激変した「働き方」について。
昭和と令和で大きく変わったのが、仕事や会社や働き方に対する意識です。有給が取りやすくなったとか付き合いの残業をしなくても責められないとか、実態もそれなりに変わりました。大きな流れとしては、きっといい方向に向かっているのでしょう。
しかし、どこか釈然としないものを感じている昭和人間は少なくないようにお見受けします。けっして「昔のほうがよかった」「昔に戻りたい」と思っているわけではありません。今、50代60代の昭和人間が自分の若い頃を思い出すと、楽しかった思い出もそれなりにありますが、「ひどかったなあ」とあきれたりもします。
60歳ぐらいの昭和人間がフレッシュな若手だった昭和末期から平成にかけて流行語になったのが、「24時間戦えますか」というフレーズ。時任三郎が出ていた栄養ドリンクのCMのバックで、このフレーズが入った「勇気のしるし~リゲインのテーマ~」が流れていました。お恥ずかしながら、カラオケで腕を振りながら歌った覚えもあります。もし今、部下に「24時間戦えますか」と尋ねたら、それだけでパワハラ認定されるかもしれません。
さらに時代をさかのぼると、高度経済成長まっただ中の昭和40年代には、「企業戦士」「モーレツ社員」という言葉が流行語になりました。「団塊の世代」と呼ばれる現在70代の人たちが、社会に出て働き始めた頃です。
少し下の「24時間世代」は、団塊の世代の先輩たちを見て「あそこまで会社に尽くさなくても」なんて冷ややかな視線を向けていました。今思えば「目くそ鼻くそを笑う」の域を出ません。60代はもちろん50代の昭和人間も、仕事や働き方に関する意識は、若い頃にたたき込まれた「24時間戦えますか」的な感覚を長く引きずってきました。
現在、大半の昭和人間は「かつての常識」が通用しないことは、百も二百も承知しています。そのいっぽうで、どこかに引っかかりを感じてしまうのは、どうしてなんでしょうか。令和的な働き方の常識に全面的に賛同できないのは、どのへんに原因があるのでしょうか。
何の引っかかりも感じていない昭和人間の方におかれましては、時代の変化への高い適応力と素直さに敬意を表します。「たしかに引っかかるかも」と同意してくださる方は、よかったら一緒に考えてみましょう。
「過去の自分を肯定して悦に入りたい」願望
昭和の働き方の「ダメな部分」は、あげ始めたらキリがありません。ただ、終身雇用(会社がずっと面倒を見る)や年功序列(年齢を重ねると給料も地位も上がっていく)という前提が、理不尽な働き方への不満を押さえつけてきた一面がありました。
その両方が崩れた今、昭和な働き方が目の敵にされるのは当然といえるでしょう。50代60代の昭和人間に昭和な働き方を教えてくれた上司や先輩を育てたのは、敗戦で焼け野原になった日本を復興させるために、なりふり構わず働いた世代です。当時は、四の五の言ってる場合ではありませんでした。昭和人間が「モーレツ社員」的な働き方を憎み切れないのは、そんな歴史的な背景(呪い?)が影響している可能性があります。
若い頃から引きずっている感覚を変えられずに、「最近の若者は気合が足りない」と思っている昭和人間は、「過去の自分を肯定して悦に入りたい」というけっこう恥ずかしい動機がベースにあることを自覚したいところ。理不尽な扱われ方をされても陰で愚痴を言うだけで結局は状況に甘んじていたことなんて、自慢にも何にもなりません。
そんなふうに、あの手この手で「昭和な働き方を肯定してはいけない」「令和の働き方のほうがいいに決まっている」と自分に言い聞かせても、なお残る引っかかりがあります。それは「今みたいに上司や先輩に甘やかされるのが当然と思っている若手は、10年後20年後、ちゃんと仕事をやっていけるのか?」ということ。大げさに言うと「日本の将来は大丈夫か?」と心配になります。
元気がないからと思って励ましの言葉をかければ「プレッシャーをかけられた。パワハラだ」と非難する、仕事のやり方について「それは違うよ」と注意すると「傷ついた」とこっちを悪者にする、アドバイスをしたくても「お説教はけっこうです」とケンカ腰になる、そもそも若くて伸び盛りで上司や先輩にあれこれ言ってもらえる時期に、仕事に本気で取り組まないことのもったいなさに気付いていない……。
すみません、書き始めたら止まらなくなってしまいました。
昭和人間とハサミは使いよう
こう感じるのは、大きなお世話なのでしょうか。いつの時代も年長者は若者に対して、物足りなさやもどかしさを覚えるという原則はあります。言っているほうは有益なアドバイスのつもりでも、何の役にも立たない自己満足な戯言でしかないこともあるでしょう。「相手のための厳しい指導」と「自分がうっぷんを晴らすためのパワハラ」は、少なくとも受け手にとっては紙一重です。
これから先も「誰も傷つかないやさしい働き方」の実現が最優先事項とされ、厳しさは悪だ時代遅れだと決めつける風潮がエスカレートしていったら、昭和人間が危惧している通り「イマイチ使えない中高年があふれる世の中」を迎えることになるでしょう。ただ、それが悪い世の中かどうか、今は判断できません。若者の皆さんがそういう世の中になることを望んでいるんだとしたら、どうぞご勝手にと言いたくなります。
もしかしたら、この「どうぞご勝手に」に深刻な問題点が潜んでいるかもしれません。昭和人間は「近ごろの若者は……」と嘆いていますが、若者の反撃を恐れて言うべきことを言えない昭和人間も、けっこう腑抜けで無責任です。さらに上の世代から見たら、「近ごろの中高年は……」と嘆きたくなるでしょう。
そりゃまあ、身内でも何でもない若者の行く末や自分がいなくなったあとの日本の将来より、今の自分の快不快や立場を大事にしたくなるのはやむを得ません。自分ひとりが流れに逆らったところで、大きな流れは変わらないというあきらめもあります。
だからといって「引っかかり」を覚えながら、世間の風潮に合わせて事なかれ主義を通すのは、ちょっとズルい態度かも。過酷な働かされ方に不満を覚えつつも陰で愚痴を言いながら従っていた若い頃から、ぜんぜん進歩がないという見方もできます。
もう少し、自分の中の「引っかかり」を信じて、言うべきだと思うことを言ってもいいのではないでしょうか。今そうしないと、70代を超えてからも自分をごまかし続けて、そのまま人生を終えることになります。想像すると、ちょっと残念な展開です。
若者の皆さんにおかれましても、まだまだ半人前である自分の至らなさと向き合いたくないからといって、世間の風向きに乗っかりながら、それなりに意を決して注意してくれた側を悪者にするのは慎みたいもの。それはそれで、ズルい了見です。何より損です。
ただし、昭和人間は「年長者であることに甘えがち」という傾向はたしかにあるので、調子に乗って自分に酔うための説教をしてきたといった場合は、相づちを生返事に切り替えるなどして目を覚まさせてあげてください。ともあれ、反面教師でも踏み台でも肥やしでもけっこうですので、自分が成長するために昭和人間をご活用いただけたら幸いです。昭和人間とハサミは使いよう、ってことで。
- 昭和的な働き方は、あくまで「遠くにあって思うもの」
- 自分の中にある「引っかかり」を信じて、大切にしよう
- 踏み台なり肥やしなり、若者は昭和人間を活用するが吉
文/石原壮一郎
