「昭和」が終わって三十数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするために、有効で安全なトリセツを考えてみましょう。今回は昭和人間が「今どきの若者」だった頃について。

 「今どきの若者は気合が足りない」など、一部の昭和人間は「今どきの若者批判」が大好きです。それは「今どきの昭和人間」に限った話ではありません。こっちが子どもや若者だった昭和の頃も、大人世代は若者世代を批判するのが大好きでした。

 こういう話になると、待ってましたとばかりに「古代エジプトのピラミッドの壁画にも、今どきの若者を嘆く言葉が書かれているらしいからね」と言い出す人がちらほらいます。しかし、それはいろんな俗説が合わさってできた「デマ」という見方が有力。得意気に口にしないように、くれぐれも気を付けましょう。

 ただ、誰かが目の前で口にしても「それはデマなんだよ」と教えてあげる必要はないかも。なんせそういうことを言いたがる人だけに、面倒臭い反応をされる可能性が大です。昭和人間同士の場合は「話を膨らませようとしてくれたんだな」と感謝すればいいし、あなたが若者で昭和人間が言い出した場合は「ド定番のウンチクを堂々と披露する危険性を教えてくれる反面教師」ぐらいに思っておいてください。

 とはいえ、いつの時代でも世界のどんな場所でも、大人世代は若者世代の批判が大好きだったであろうことは、きっと間違いありません。大人世代も自分が若者だった頃は、大人から「今どきの若者は」と言われるのは鬱陶しかったはず。「自分は年を取っても、そういうことを言う大人にはならないようにしよう」ぐらいに思っていたでしょう。

 しかし、いざ大人になると、けっこう高い確率で「今どきの若者」を批判するという甘い誘惑に負けてしまいます。自分ではしなくても、「今どきの若者」を批判するニュース記事などを読んで、大きくうなずいたり溜飲を下げたりしがち。LINEの文末に句点を付けると怖がられるという「マルハラ」が大きな話題になったのは、根底に「今どきの若者を嘆きたい」という中高年の切実なニーズがあるからに他なりません。

 年齢を重ねて「今どきの若者批判」をするようになった昭和人間は、かつてどんな「今どきの若者」だったのか。当時の大人から、どんな目を向けられていたのか。そのへんを振り返りつつ、今の自分を省みてみましょう。

昭和人間が「今どきの若者」だった頃

 産労総合研究所が3月末に発表した2024(令和6)年度)の「新入社員のタイプ」は、〈自分の未来は自分で築く! 「セレクト上手な新NISAタイプ」〉でした。時代ごとの特徴的なキーワードと若者の特徴を結びつける力業には、毎度感服させられます。

 現在の昭和人間が社会人になった頃の「新入社員のタイプ」は、どうだったのか。当時は公益財団法人日本生産性本部が発表していました。

 1985(昭和60)年度は「使い捨てカイロ型(もまないと熱くならず、扱い方もむずかしい)」、翌年は「日替わり定食型(期待したわりには変わり映えせず、同じ材料の繰り返し)」、そのまた翌年は「テレフォンカード型(一定方向に入れないと作動しないし、仕事が終わるとうるさい)」などなど。今の60歳ぐらいの昭和人間が社会人になった頃です。どの年も、要は「今どきの若者はなっちょらん」と言っていますね。

一部の中高年が「今どきの若者」を嘆く構造は今も昔も変わらない(写真:Metro Hopper/stock.adobe.com)
一部の中高年が「今どきの若者」を嘆く構造は今も昔も変わらない(写真:Metro Hopper/stock.adobe.com)
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 現在61歳の私が若者だった頃は、大人世代から「新人類」と呼ばれていました。従来とは価値観やライフスタイルが大きく変わって、ゲームやアニメなどのサブカルチャーが存在感を増し、個性を大切にするなどの特徴があるとされていたみたいです。

 もう少し年上の人たちも含めて「しらけ世代」と呼ばれることもありました。その上の「団塊の世代」が学生運動などに熱中していたのに対して、無気力・無関心なのが特徴だとかなんとか。そこに「無責任」も加えて「三無主義」と言われることもありました。

 「新人類」には持ち上げるニュアンスも含まれていましたが、当事者としてはうれしかったわけではありません。「分かってないくせに勝手なこと言いやがって」ぐらいに思っていました。「しらけ世代」や「三無主義」は、明確に「今どきの若者」を批判している呼び方です。当時の若者は、当時のおじさんたちが「俺たちがキミぐらいのときは」と言い出すたびに、心の底からウンザリしていました。しかも、よく言われたんですよね。

 ためしに、1985(昭和60)年4月の新聞をめくってみたところ、「朝日新聞」4月2日付の紙面に「フレッシュマンに望む 入社式での社長語録」という記事を発見。「『おはようございます』も満足に言えない人は、即刻退社して頂きたい」(堤清二・西武セゾングループ代表(当時))、「ビジネス社会では正解は一つとは限らない」(徳増須磨夫・住友海上火災保険社長(当時))、「国際性豊かな人間になること。自己研さんに励んで」(石原俊・日産自動車社長(当時))といった言葉が並んでいます。今年4月の「社長語録」だと言われても、とくに違和感はありません。大人が若者に望むことは、いつの時代も変わりはないようです。

若者批判の動機はたいていロクなものではない

 時は流れ、かつて「新人類」や「しらけ世代」と呼ばれた昭和人間は、押しも押されもせぬおじさんおばさんになりました。少し後ろには、かつて「バブル世代」や「団塊ジュニア世代」と呼ばれた昭和人間も続いています。

 そのあたりの昭和人間がもう少し若かった頃は、昭和の終わりから平成の初めごろに生まれた「ゆとり世代」を嘆いていました。最近のターゲットは、もっぱら「Z世代」(1996~2010年生まれ)です。「Z世代」の特徴とされているのは、デジタルネイティブでPCやスマホを使いこなせることや、他人の価値観を尊重しつつ自分の考えを貫くことができる、など。当事者にしてみれば「勝手に言ってろ」という感じでしょう。

 自分が若者の頃は「若者批判をするような大人にはなるまい」と思っていたのに、ちょっと油断すると見事にそうなってしまうのはなぜなのか。それはきっと、年齢や経験という文句なしに自分が優位に立てる部分にすがりつきたいから。若者のためを思ってではなく、自分を救済したり慰撫したりするための批判だと言っていいでしょう。

 人は年を取ると、体力も気力も知力も衰えていきます。微妙なお年頃の昭和人間としては、なるべく衰えを自覚したくないもの。「自分はまだまだ大丈夫だ」と思うには、若者のアラ探しをして「今どきの若者は…」と嘆くのが、最もお手軽で効果的な方法です。根っこには、若さへの妬みや未知の世代への畏れがあるのかもしれません。

 「そうじゃない。自分たちが若い頃と比べて、今の若者は特別にダメなんだ。だから言ってやってるんだ」と本気で思っているとしたら、それは大きな勘違いです。いや、批判する気持ちよさに溺れている人は、勘違いだと認める気はないでしょうけど。

 同年代しかいない場で「今どきの若者」を嘆いたり愚痴をこぼしたりするのは、中高年ならではの楽しいひとときです。ただ、その場合も「自分たちが若者だった頃だって、かなりひどいもんだった」という客観的な視点は忘れたくないもの。それさえあれば、単なる手前味噌な過去の美化ではなく、少しは発見や反省につながるでしょう。

 若者の皆さんにおかれましては、先々が不安だし自分に自信はないしで、大人世代からのちょっとした批判にいきり立ちたくなる気持ちも分かります。ただ、批判している側の動機や根拠も、ここで書いてきたようにロクなもんじゃありません。役に立つと思える部分は受け止めていただけたらと思いますが、基本はスルーでけっこうです。

 よかったら、昭和人間のフリ見て「自分は若者を批判する大人にはなるまい」と決意してください。にもかかわらず、きっと20年後30年後には若者を批判しているでしょう。お互い、年代に応じた感情に振り回されながら、たくましく生きていきたいものです。

昭和人間(自分を含む)との付き合い上の注意――今回のポイント
  • 大人世代が若者世代を批判したがるのはいつの時代も同じ
  • 「自分が若者の頃もひどいもんだった」という視点は大事
  • 若者を批判する側の動機や根拠なんてロクなもんじゃない

文/石原壮一郎 写真/Adobe Stock