「昭和」が終わって三十数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするために、有効で安全なトリセツを考えてみましょう。今回は「デート」にまつわる昭和ならではの“風習”について。
昭和人間の多くは若かりし頃、デートに対して並々ならぬ情熱を燃やし、無限の夢と希望を抱いていました。もし、昨今の若者がその気合の入りっぷりを目の当たりにしたら、激しくドン引きすることでしょう。自分で思い出しても、「あの頃は、どうかしてたなあ」と、恥ずかしさと甘酸っぱさが入り交じった微妙な気持ちになります。
そう、昭和人間にとって「デート」の三文字は、特別な輝きを放っていました。男性は「Hot-Dog PRESS」(講談社)や「POPEYE」(マガジンハウス)など男性誌のデートマニュアルを熟読し、女性もファッション誌などの「モテ指南」や「デートでの振る舞い方」の記事をチェックして、それぞれにバラ色やピンク色の妄想を膨らませていたものです。
当時だって、恋愛や性的なあれこれに、さほど興味がない人もいたことでしょう。しかし、雑誌もテレビドラマも社会の風潮も、何はさておき恋愛に情熱を燃やせとあおりまくっていました。そんな雰囲気に後押しされて、よっぽどの強い意志で我が道を貫けるタイプ以外は、素直に恋愛にうつつを抜かしていたものです。
令和の若者は、そのへんどうなんでしょうか。「草食男子(草食系男子)」という言葉が広まって、昭和人間を驚かせたり嘆かせたりしたのは、もう15年以上前です。もはや草食であることが当然となり、テンションが低いまま粛々とデートしている姿しか想像できません(偏見)。昭和人間がかつて、下心を全身に充満させていたのとは大違いです。いや、表現方法が違うだけで、きっと今の若者もそれなりに情熱を燃やしてますよね。
昭和人間にとって大切なのは、「デートの常識は昭和と令和では大きく違う」と念入りに肝に銘じておくこと。そうしないと、男性の場合は「男は押しの一手だよ」「部屋に呼んでくれたってことはOKに決まってるじゃない」なんて“男性にとって都合がいい古の解釈”を若者の前で口にして、顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまいかねません。
女性の昭和人間が気を付けたいのは「奢られること」の意味合いが、大きく変化していると認識しておく必要があること。「デートに誘っておいて割り勘だなんて、そんなケチ臭い男は問題外よ」「奢ってくれないってことは、あなたを女として見てないのね」といった発言は、誤解に基づいたミスリードである可能性が大いにあります。
映画館や観覧車でも…「デートのお約束」
かつてはあんなに大事だった「デート」ですが、ほとんどの昭和人間にとっては、めっきり縁遠いものになってしまいました。元気だった頃の自分を思い出すべく、昭和のデート事情を振り返ってみましょう。
「オリジナルで選曲したカセットテープをプレゼント」「デートコースの下見(それが遠くへのドライブデートだったとしても)」「彼女の自宅に電話したときのお父さんブロック(彼氏の自宅に電話したときに妙にはしゃぐお母さんとの長話)」「デート後のお礼のお手紙(もちろん郵便。しかも可愛い封筒と便せん)」「会う前にこっそりガムをかんでおく」…。
こうしたことに身に覚えのある昭和人間は少なくないはず。今思うと、なんてケナゲだったのでしょうか。「ペアルック」や「おそろいのペンダントに相手の写真を入れる」なんてのも、けっこうメジャーな行為でした。日本の社会全体に「恋愛という覚えたばかりの楽しい行為」に対する浮かれた気持ちが漂っていたのかもしれません。
まだまだ恋愛に不慣れで純情だった男女の背中を押す必要があったからか、「デートのお約束」や「デートの心得」も、たくさん存在していました。
「映画館では頃合いを見計らって手を握るべし」「観覧車では頂上の手前で隣りの席に移動し、A(註:キス)のチャンスをうかがうべし」「街を歩くときに彼女が自分に近い側の手に荷物を持っていなかったら、手をつないでもいいというサイン」…。
例に挙げたのは男性視点の内容ですが、当時は「男性は隙あらば果敢にチャレンジすべし」という呪縛があったことを感じさせられます。そして、女性の側だって、男性の「果敢なチャレンジ」を期待していなかったとは言わせません。こうした暗黙の了解は、双方が同じ方向性で抱いている分には、デートを盛り上げるスパイスになってくれました。
ただ、それは「お互いに憎からず思っている間柄」であることが大前提。男性側がただやみくもに「デートでは積極的にならなければ」と張り切って、悲しい独り相撲を取ってしまうケースもたくさんありました。相手のことが好きかどうかは二の次で、果敢にチャレンジすることが目的になっていたケースもあったかもしれません。
いっぽうで、ここぞというときに一歩を踏み出す勇気がどうしても出せなくて、いい感じだった相手と距離ができてしまった悲しい思い出を持つ人も多いでしょう(自分含む)。昭和の頃のデートで「いくじなし」と言われたことがある男性や、言ったことがある女性は、それなりにいらっしゃるかと。男女の仲は、つくづく難しいものです。
嘆かわしいのは、令和になった今も、ごく一部の昭和人間の男性が「男は積極体にアプローチすべし」という価値観を引きずって、ちょっと親切にしてくれた女性を戸惑わせている事例をしばしば見聞きすること。若い頃に積極的にアプローチできなかったが故に、歳を重ねて備えたずうずうしさをベースに張り切っているのかもしれません。
「青春を取り戻したい」と思うのは勝手ですが、そのずうずうしいアプローチは、ひとつ間違えると「セクハラ」や「ストーカー」と呼ばれる行為となります。美術館などに出没するという「(女性にだけ)教えたがりの高齢男性」も、ほぼ同類。迷惑で残念なおじさんやおじいさんになっていないか、常に己を客観視することを忘れないようにしましょう。
大きな意味があった「3回目のデート」
昭和における「デートのお約束」のなかには、現在の価値観にそぐわないものも多々あります。特にギャップが大きいのが、いわゆる「性同意」をめぐる問題。昭和の頃は性行為をストレートに提案したり、同意の言葉を口にしたりすることへの抵抗感が、今よりはるかに強めでした。そこで生まれたのが、さまざまな「暗黙の意志表示」です。
「3回目のデートのときは踏み込んだアプローチをしなければならない(その気もないのに3回目のデートをしてはいけない)」「恋人同士が部屋で二人っきりになったということは、OKと解釈していい」「(さまざまな状況で)『何もしないから』と説得して『絶対に何もしないでね』と言われても、本当に何もしないのは失礼」などなど。とはいえ、実際は例外的な展開のほうがむしろ多かったと思われます。
ほとんどの昭和人間は、そういう暗黙の暗黙の共通認識がなくなったことを嘆きたいわけではありません。最近の若い人は気の毒だと言うつもりもありません。昭和人間が知らないだけで、今の若者にもきっと「暗黙の意志表示」があるのでしょう。一部、嘆いたり気の毒がったりしている昭和人間もいますが、実害がない限り言わせておいてあげてください。
ただ、今の感覚を基準に当時のデートの“風習”を全否定されるのは、いささか不本意という気持ちはあります。正しいとか正しくないとか、アップデートがどうとかという話ではありません。背景や歴史の流れを無視して、昭和という時代や昭和人間に気安く「野蛮」のレッテルを貼るのは、それこそ野蛮な行為ではないでしょうか。
「デート」が心躍る特別なイベントであるのは、きっといつの時代も同じ。それぞれのお作法と感覚で、存分に楽しみましょう。昭和人間も負けてはいられませんが、残念ながら大半の昭和人間に、そういう情熱や行動力はもうありません。残り火を大事にしながら、ささやかに夢を追っていきます。なんだか寂しい締めになってしまいました。
- 昭和の若者は呆れるぐらいデートに情熱を燃やしていた
- 昔のデートの常識を口にするのは危険。実践するのは論外
- 今の感覚を基準に当時の“風習”を否定されるのは不本意
文/石原壮一郎 写真/PIXTA
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