「昭和」が終わって三十数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。有効で安全なやり取りをするために考えた書籍 『昭和人間のトリセツ』 。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするだけで、世代を超えた有意義な時間やコミュニケーションが生まれるかもしれません。今回は、中高年となった昭和人間の「同年代との接し方」について。
令和の今、昭和人間は押しも押されもせぬ中高年になりました。
還暦を過ぎたぐらいの昭和人間たちが、同窓会などで久しぶりに顔を合わせたとします。
「いやいや、懐かしいねえ。元気そうで何よりだよ」
「お前もすっかりおっさんになったな。まあ、それはお互いさまか。ハハハ」
こういう会話を交わしているうちは、何の問題もありません。しかし、お酒が入って自制心がゆるくなると、同級生たちが笑顔の奥で眉をひそめることを言い出す輩が、しばしば現れます。それでいて本人だけは満足そうなのが、また物悲しいところ。
いくつかのパターンがありますが、いずれも「中高年であるが故の落とし穴」にはまっている状態といえます。ほかの昭和人間のふり見て、我がふり直せ。おもに男性の昭和人間を想定しつつ「同年代に嫌われる話題」をあげてみましょう。
その2「子どもがいかに出来がよくて順風満帆かをほのめかす」
その3「定年後も仕事や地域でいかに頼りにされているかをほのめかす」
その4「やがて受け取る予定の年金の額がいかに多いかをほのめかす」
その5「株式投資や新NISAについていかに詳しいかをほのめかす」
人は年齢を重ねるにつれて、どんどん「自慢したい欲」がふくらんでいきます。しかも、仕事を半分ぐらい引退して、具体的な成果と縁が薄くなると、上のようなことを自慢しがち。聞いている側は、いちおう「それはすごいねえ」なんて感心してあげてはいますが、内心では「それがどうした」と鼻白んでいます。
女性の昭和人間の場合は、子ども関連の自慢(いい年になると夫関連の自慢は少なめ)はありそうですが、それ以外の項目に関連する自慢が飛び出すケースは少ないでしょうか。もしかしたら、身に着けている服や靴やアクセサリー、行きつけの美容院や愛用している化粧品などを「さりげなく」自慢する人はいるかもしれません。
つい出てしまう「自慢」のネタは、染み付いた価値観や人生観の反映です。昨今はこれだけ「ジェンダー(社会的・文化的な性差)」という言葉が注目を集めているのに、女性の社会進出もそれなりに進んだのに、自慢ネタのジェンダーギャップはまだまだなくなりそうにありません。いや、それは今回のテーマとはまた別の話ですね。
自分の価値観は正しい、という思い込み
同年代との接点は、同級生のほかにもさまざま。地域や趣味の集まりで出会った人やたまに会う親戚の場合も、嫌われないための注意点は同じです。「嫌われないこと」を気にするのは、自分のみっともなさをさらけ出さないためであり、相手を無自覚に不愉快にさせないため。ご機嫌を取ったり媚を売ったりしろという意味ではありません。
さっきの「嫌われる話題」は、こうやって押さえておけば、うっかり口にしそうになっても「おっと、危ない」と早めに気が付くことができます。中高年になった昭和人間にとって、さらに危険な落とし穴は「自分の価値観や考えを『正しい』と思い込んでいる」ということ。しかも、年代的に「スキあらばアドバイスしたがる」という習性を備えていることが、危険性をさらに増幅してしまいます。
たとえば、誰かが「都会に出た娘がいくつになっても結婚しない。いい人がいる気配もない」「小学生の孫がぜんぜん勉強しなくて、中学受験をさせたい息子夫婦とケンカばかりしている」といった家庭内の悩みをこぼしたとします。
場に適切な話題かどうかはさておき、言った当人は深く悩んでいて、誰かに聞いてもらわずにはいられなかったのでしょう。それぞれに背景や理由があるはずで、他人が軽々しく口出しするのは、明らかに大きなお世話です。
しかし、昭和人間は「自分が役に立つことを言ってやりたい」という欲望を抑えきれません。結婚しない娘の話で、今どき「無理やり見合いさせればいいんだよ」なんて言う人はさすがにいないでしょうけど、「まずは、ひとりの老後がいかに寂しいかに気づかせなきゃね」といった謎理論を言い出す昭和人間はいそうです。そんな話をしても娘の考えは一ミリも変わらないし、そもそも結婚していれば寂しくないわけじゃないのに。
勉強しない孫に関しても、自分の限られた経験や知識をもとに「いい塾を知ってるよ。紹介しようか」と言ってみたり、逆に「中学受験なんかさせてもロクなことにならないよ」と根底から否定してみたり……。親の介護というデリケートな問題について、中途半端な知識の披露や無責任で残酷な批判をするケースも多々あります。
相手と「きょうだい同然に気心が知れている仲」なら、率直な意見を言ってもいいでしょう。しかし「古い付き合い」という程度の関係で、よかれと思ってどうでもいいアドバイスをするのは、かなり乱暴な行為です。相手も大人なので露骨にムッとはしないにせよ、心の中で舌打ちされて徐々に距離を置かれても仕方ありません。
過去の「成功体験」を絶対視しがちなのも昭和人間の悪い癖。しかも、たとえば子どもの教育についての持論(厳しく育てるのがいい、ほうっておくのがいい、など)にしても、会社の経営に関するご高説にしても、たまたまうまくいったことを自分の手柄にしがち。配偶者や従業員が、同様に高く評価しているとは限りません。
自慢とアドバイスはすべて封印する
中高年の昭和人間が同年代との付き合いで嫌われないためには、何はさておき「自慢」と「アドバイス」を封印しましょう。あわせて、自分の価値観を絶対視せず、世の中にはいろんな考えの人がいて、いろんな正解があることを念入りに肝に銘じることも大切。当たり前過ぎるぐらい当たり前のことですが、年齢を重ねるにつれてつい忘れがちです。
苦労話が出たら「たいへんだねえ」「つらいねえ」と寄り添い、相手が「こうすることにした」と言った場合は「それがいいと思うよ」という賛同のリアクション以外は必要ありません。強い疑問を覚えた場合も、「そっか、うまくいくといいけどね」ぐらいの表現で違和感をにじませるのが精いっぱいです。
「気をつかってばかりいたら、話していても面白くない」というご意見もあるでしょう。極めてもっともです。昭和人間同士の交流においては、原則として「ややこしい話」はタブー。政治や宗教の話題は論外ですが、社会的地位や収入にまつわる話にせよ家族の悩みにせよ、昭和人間が悪い癖を発揮して不愉快な方向に話が転がりがちです。「ややこしい話」を避けるのは、和やかに会話を続けるための生活の知恵に他なりません。
となると、安心して話せるのは、昔の話か共通の知人の近況か大谷翔平のことぐらいになってしまいます。いわゆる「バカ話」で盛り上がれるのが理想ですが、なかなか難易度が高く、誰もが上手にできるわけではありません。趣味の話も無難といえば無難ですけど、同好の士ばかりの場じゃないと、それこそ価値観の違いで「ゴルフなんて何が面白いんだ」と言い出すヤツが出てくるなど、それなりの危険性をはらんでいます。
そんなさまざまな葛藤や逡巡(しゅんじゅん)や失敗を乗り越えた結果、多くの昭和人間は「どんな話も適当に聞き流す」という技を身に付けました。同時に「同じ場で話をしてうなずき合うこと自体が重要で、内容はどうでもいい」という悟りの境地(?)にも達しています。
昭和人間同士の交流においてもっとも大切なのは、相手のうかつな発言をいちいち問題視せず、おおらかに許し合うことかもしれません。欠点だらけなのも面倒臭いのも、お互いさまです。その上で、自分なりに気を配って、なるべく「よき昭和人間」であることを目指しましょう。ただ、ひそかながんばりが「自分はほかのヤツとは違う」といった半端なプライドに結びついてしまったら最悪。ああ、人生は落とし穴だらけですね。
- 「自慢」や「アドバイス」をしたくなる落とし穴に注意
- 昭和人間同士が安心安全に話せる話題は限られている
- 人の話はおおらかに受け止めつつ、自分は気を配りたい
文/石原壮一郎 写真/PIXTA
なぜ10年前の出来事を最近のことのように語ってしまうのか? LINEが無意味に長文になる理由は? ――仕事観やジェンダー観など多様な切り口から「昭和生まれの人間」の不可解な生態に肉薄し、その恥部をも詳らかにする日本初の書籍。「【注】知っておかなくても構わない昭和・平成用語集」も収録。
石原壮一郎著/日本経済新聞出版/990円(税込み)

