ソニー創業者の盛田昭夫氏が後進に残した言葉に、「常にネアカであれ」というものがあります。歴代のプレイステーションの開発責任者をしていた茶谷公之さんは、うまくいくプロジェクトとうまくいかないプロジェクトの違いは、メンバーが「結果に対して明るい希望を持てる性格か」ということが大切だと言います。新刊『 創造する人の時代 』から、チャンスをつかめる人、つかめない人の違いについて抜粋し、紹介します。
チャンスをつかむにはネアカであること
ソニー創業者の盛田昭夫が、後進に残した言葉に「常にネアカであれ」というものがあります。私は長年、先端技術開発の仕事に携わってきましたが、この言葉の重みを身に染みて感じています。
というのも、うまく進んでいくプロジェクトとそうでないプロジェクトはメンバーによってけっこう変わってくるからです。うまくいかないプロジェクトは、最初の時点でメンバーが口々にプロジェクトのリスクや懸念を述べがちです。
うまくいく理由ではなく、うまくいかない理由を滔々(とうとう)と語る者もいます。「過去に似たプロジェクトでうまくいかなかった」「時間と予算が十分でない」などなど。もちろん、リスクを洗い出すことは必要な作業ですが、最初からうまくいかない想定では成功する可能性も潰しかねません。
過去にうまくいかなかったとしても、外部環境も変わっていますし、顧客のマインドや嗜好も以前と同じではありません。異なる条件の中で、過去の事例を前提にして「うまくいかない」と言い切るほうが科学的でないようにも映ります。
一方、うまくいくプロジェクトは、メンバーの多くが楽観的で、失敗するとは露ほどにも思っていません。「何か新しいことができて、楽しそう」という雰囲気がメンバーから湯気のように立っている印象です。もちろん、技術的な見通しやマーケットの予測もせずに、楽観的というわけではありません。ゴールに対して、勝算が自分たちなりに持てているから、プロジェクト開始当初から楽観的でいられます。
重要なのは同じデータをどう受け取るかです。成功するか失敗するかが半々の手応えの場合、「失敗する確率が50%もある」と考えるか、「成功する確率が50%もある」と考えるか。そういう意味では、チャンスをつかむにはネアカであることが欠かせません。
ネアカで楽観的でいると、新しいアプローチを試してみたり、その分野のエキスパートに聞きに行ったり、成功に近づくアクションが自然にできます。結果的に成功に結びつく可能性が高くなります。
ですから、プロジェクトをうまく成功させる人が何度も成功できるのも、ネアカに関係しているかもしれません。何度もヒットを飛ばす人たちは総じてネアカと言えます。
HOWではなくWHYを問え
仕事ができる、できないで言えば、「HOWではなくWHYを問えるかどうか」も決定的な違いを生みます。
そこそこ発展を遂げてしまった日本では、長い間「つくる」ことができなくても、先人がつくったものやサービスをうまく運用したり、まねたりする能力があれば会社は安定的に回ってきました。そういう人が高く評価されてきたのです。
ただ、時代は変わりました。足元のビジネス環境を見渡せば、GAFAに象徴されるように、「Winner Takes All(勝者がすべて取る)」の状況です。これは、ネットワークの発達によって、さまざまな情報が高速で行き交い、豊富な知識が提供されるようになったことが背景にあります。
消費者から高い評価を得た製品やサービスの情報は、インターネットを通じて瞬く間に他の多くの消費者へも伝わり、売り上げトップの企業は2位以下に大きく先行する事態が生まれました。例えば、映画、ゲーム、書籍などのエンターテインメントコンテンツでは、ランキング1位のコンテンツとそれ以外のコンテンツでは、質的な差をはるかに上回る売り上げの差が生まれることがあります。
業界トップ企業から下位集団までが同じような規模で同じように均衡する環境はネットワークが未発達だったときの話です。日本が世界で存在感があった時代――つまり、インターネット登場より前の時代は、同じジャンルの企業間でも、生産性の差は小さく、横並びでした。つまり、「他社と同じであること」に価値がありました。
しかし、現在では勝者になるには他との明確な違いをイチ早くつくる必要があります。そのためにはHOWでなくWHYが求められます。つまり、どうやってやるかの前に、なぜそれをやるのかを考え、問題そのものを定義する姿勢です。
日本人の多くは与えられた課題をどう解くかについてはたけています。一方で、そもそもなぜそれが問題なのかは考えません。同じ商品やその周辺の製品をつくっていたら、それだけで売り上げがたつ時代が長かったので、問題そのものが適切かは、これまで考える必要がなかったからです。
しかし、現在のように新しく何かをつくらなければならない時代には、問題設定をしていくのが大切です。最初にそこを間違えていたら、解けても意味はありません。せっかく何かをつくったとしても、ムダな努力になります。
例えば、みなさんの目の前に片開きのドアがあったとします。開けにくかったらどうしますか。金具に油を差すかもしれませんし、ちょうつがいのねじを緩めるかもしれません。取っ手の調子が悪いのかもしれません。でも、もしかすると、ドアの設計自体がおかしいかもしれませんし、取っ手の形状が力を入れて回しにくい可能性もあります。
多くの人は油を差したり、金具を調整したりに固執しがちですが、開けにくいのは開けにくい構造をしているからかもしれないという地点まで、立ち戻って考えなければいけません。根本的な原因を考えることで初めて最適な解決法が導き出せます。
どうしても私たちは表層的な解を求めがちです。問題を与えられて、その解をひたすら求めてきた教育の弊害かもしれません。でも、その問い自体を問い直さなければいけない時代になっています。
問いを問い直せば、景色は変わります。材料を与えられて何かをつくれといわれても、その材料を使うのが本当に最適かということから考えなければいけませんし、そうした思考を持つことでよりよいものがつくれるようになります。
茶谷公之(著)、日経BP、1760円(税込み)


