「小説は『人間』を身体化する。髙樹のぶ子先生が語ったこの言葉が最も印象に残りました」(高校1年生)、「『あはれ』を表現した小野小町を、たった十八首の歌からその機微を読み取り、小説にした髙樹のぶ子先生の強い意志に感銘を受けました」(中学3年生)――。2025年12月、桜蔭学園(東京都文京区)で行われた髙樹のぶ子さんによる『小説小野小町 百夜』の特別授業では、生徒からこういった感想が寄せられた。
 「生き方を選べなかった時代に、小町は思うにまかせぬことと向き合い、宿世として受け入れながら、言葉を紡ぎ歌を詠み、必死に生きてきました。小野小町という人の名誉を回復したい――そんな思いを込めて書いたのがこの『小説小野小町 百夜』です」。髙樹のぶ子さんが中高生に贈ったメッセージとは。

「ことば」が最も力を持っていた時代

 この10年ばかり、ずっと平安時代に題材を採った作品を書いてきました。
なぜ平安時代なのか。
 それは、作家として興味がつきないから。平安時代は日本史上文学が非常に発達し、「ことば」が最も力を持っていた時代です。かな文字が誕生して女性が歌を詠み始め、私たちが生きる「いま」につながる日本の文化や美意識の礎が完成したのもまたこの時代です。

 『 小説小野小町 百夜(ももよ) 』は、そんな平安を代表する歌人である小野小町の人生を、歌を中心に描いた小説。文体は文語と現代文を混ぜ、五音と七音を意識して私が作った「平安雅文」というものです。

髙樹のぶ子
髙樹のぶ子(たかぎ・のぶこ) 作家
1946年山口県生まれ。80年「その細き道」で作家デビュー。84年「光抱く友よ」で芥川賞、94年『蔦燃』で島清恋愛文学賞、95年『水脈』で女流文学賞、99年『透光の樹』で谷崎潤一郎賞、2006年『HOKKAI』で芸術選奨、10年「トモスイ」で川端康成文学賞。『小説伊勢物語 業平』で20年泉鏡花文学賞、21年毎日芸術賞。著作は多数。17年、日本芸術院会員、18年、文化功労者。新作「小説 紫式部 墨染」を文芸誌「すばる」(集英社)2月号から連載開始

十八首の歌からよむ生涯

 小野小町はどんな女性だったのでしょうか。並外れた歌の才の持ち主であった、“絶世の美女”であった――といわれますが、その実像はほとんど知られていません。

 一方、観阿弥の能楽「卒塔婆小町」に登場するような、乞食になって野たれ死ぬという晩年の姿は知れ渡っています。これは「男を惑わせるけしからん女は、哀れな末路をたどるしかない」と思いたい後世の男たちがつくりあげたイメージなのでしょう。

 そんなはずは絶対にない、小町が遺した歌を味わいながら、私はそう確信していました。
 生き方を選べなかった時代に、小町は思うにまかせぬことと向き合い、宿世として受け入れながら、言葉を紡ぎ歌を詠み、必死に生きてきました。彼女の人生を貫くのは、「あはれ」という情感だった。
 知的で情感豊かな彼女が、晩年になってあんなひどい落ちぶれ方をするわけがありません。

 小野小町という人の名誉を回復したい――そんな思いを込め、私なりに小町の人生を解釈して書いたのがこの『小説小野小町 百夜』です。

 小町には多くの伝説が残っているものの、出自や生涯は明らかではなく、生年も没年も分かっていません。資料もなく、遺されているのは、『古今和歌集』の十八首の歌だけです。
 私はこの十八首をよりどころに、10歳の少女時代から晩年まで小野小町の生涯をたどりました。

高樹さんの著書『小説小野小町 百夜』(右)と、第48回泉鏡花文学賞を受賞した『小説伊勢物語 業平』(左)
高樹さんの著書『小説小野小町 百夜』(右)と、第48回泉鏡花文学賞を受賞した『小説伊勢物語 業平』(左)

「あはれ」はかなわぬもの

 今日はそのなかから2つの歌を選び、「あはれ」と「うつろい」についてお話ししようと思います。

 「あはれ」という情感は、もともと日本人の中にあったとされていて、『万葉集』でも見ることができます。
 でも、この「あはれ」を「こういうものである」と初めてきちんと定義したのは、実は小野小町でした。

あはれてふ言(こと)こそうたて世の中を
  おもひはなれぬほだしなりけれ

 言葉にすれば哀れというただのひと言でございますのに、このひと言ゆえ、もの思いの多いこの世を捨てることもならず、牛馬をつなぎ留める「絆(ほだし)」のごとく人をつなぎ留め、心を解き放つことも許さぬのでございます。

『小説小野小町 百夜』より(画:大野俊明)
『小説小野小町 百夜』より(画:大野俊明)

 小説の中で小町は、信頼していた男性のひどい裏切りに遭い、地獄を味わったときにこの歌を詠みます。
 人生で最もつらく苦しい場面で、小町はその苦痛に潰されるのではなく、「あはれ」とは何かを歌に詠み、「あはれ」という感覚があるから生きていけると詠いました。

 「あはれ」はかなわぬところにある。「人の不完全さを許す」こと、そこから生まれるのが「あはれ」なのですね。
 苦しみのなかで、小町は文学者として大事な感覚をこのときに手に入れたのではないでしょうか。

 「あはれ」は、『源氏物語』の中でも、繰り返し使われています。紫式部の時代には、広く受け入れられ、定着していたということでしょう。これが、やがて日本の文学や文化の柱になっていく。その最初の一滴が小町の感性だったというわけです。

 「あはれ」とのつながりのなかで「うつろい」についてもお話ししたいと思います。
 小町の歌で最も有名なのは、百人一首にも採られているこちらでしょう。

花の色は移りにけりないたづらに
     我が身世にふるながめせしまに

 花の色は盛りのときは色濃くありますが、時経れば褪せて、このように薄く淡く移ろうのが定めでございます。我が身もまた、いたずらに長くこの世に生き永らえて、色褪せてしまいました。

 自分の容色の衰えを重ねて嘆いているというのが一般的な解釈でしょうか。この歌は、色がうせ、花が散ってゆくことを定めと受け入れれば、恐れることはなくなるということも示しています。「あはれ」を覚悟として受け入れる、小町の美意識と人間的な強さを端的に表しています。

 「あはれ」と「うつろい」とはどのような関係にあるのでしょうか。どうせ消えてしまうものではあるけれど、それを少しでも永らえさせたい、その思いが「あはれ」です。「うつろい」は、消えゆくまでのプロセス。つまり、「あはれ」の本質とは、うつろいゆく姿をいとおしむ心そのものでもあるのです。

 これは、満開の花よりも散る美しさに引かれるという日本人の美意識にも重なりますよね。「うつろう」ことは決してマイナスなものではないのです。そういう滅びの美が示されているからこそ、この歌は愛され、小町の代表作になったのでしょう。

 小町がそんな思いを歌に託し、遺してくれたからこそ、私は歌をよりどころに、小町という人を描くことができたのです。

「小町が思いを歌に託し遺してくれたからこそ、私は歌をよりどころに小町という人を描くことができたのです」(髙樹のぶ子さん)
「小町が思いを歌に託し遺してくれたからこそ、私は歌をよりどころに小町という人を描くことができたのです」(髙樹のぶ子さん)

他者と理解し合うために、小説を読んでほしい

 ところでみなさんは、小説をよく読みますか? 小説を読む意味ってどこにあると思いますか?

 私はこんなふうに考えています。

 世の中は「悪(黒)」と「善(白)」の二者択一ではありません。真っ黒でも、真っ白でもない「グレー」の方が多いし、その「グレー」にも濃淡がある。このグラデーションへの理解がない人ばかりでは、社会は成り立たない。自分以外の人間を理解するために、小説ほど役に立つものはほかにないと思うのです。

 『小説小野小町 百夜』のように、1000年以上も前の人の思いを受け止めて味わうこと、その時代のその人の立場で、ものを見て、感じて、考えること――これは小説にしかできないことなんですね。

 だから今、そんな時間をみなさんにたくさん持ってもらえたらいいなと思うんですよ。

桜蔭の生徒から様々な感想が寄せられた

「小説は『人間』を身体化する」というお言葉が最も印象に残りました。歴史上の人物は、どこか自分たちと違う遠い存在のように思うこともあったけれど、先生のお話を聞いて、小説の中ではそんな歴史上の人物も、私たちと同じように確かに存在しているのだと思いました。(高校1年生)
血筋や金、武力などの上辺だけのものよりも、人を説得する言葉が最も力を持っていた平安時代の魅力を改めて知りました。(中学3年生)
「あはれ」という言葉には、全ての命は消えうせることを知っていながら、少しでも生き永らえてほしいという切なる願いが込められていると知り、とても美しいなと感じました。(高校1年生)
「あはれ」を表現した小野小町を、たった十八首の歌からその機微を読み取り、小説にした先生の強い意志に感銘を受けました。(中学3年生)
「あはれ」という言葉は「不完全であることを許し、愛でる」という意味だと知り、現代社会の激しい競争社会で生きている人たちにとって、なぐさめになり、励まされる言葉ではないかと考えました。(中学3年生)
平安時代、女性の権利が今ではありえないくらいに乏しかったことを知りました。小野小町のように、鋭い感性と表現力で文学界に名を残した人たちの積み重ねがあって、今の女性の立場があるのだと誇りに思います。(中学3年生)
小野小町を「女性としての強さ」という面から考えたことはありませんでしたが、平安時代という明らかに男女に差がある時代に、自分を貫く意志を持っていたことに衝撃を受けました。(高校1年生)
メモを取りながら熱心に講義を聞く、桜蔭の生徒たち。特別授業には、中学3年生と高校1年生が参加した
メモを取りながら熱心に講義を聞く、桜蔭の生徒たち。特別授業には、中学3年生と高校1年生が参加した

取材・文/平林理恵 構成/石純馨(日経BOOKSユニット) 写真/鈴木愛子

一生の宝物になる。
先生たちに聞いた人生を支える一冊

 あの名門校の先生は、これから大人へと成長していく、中学生・高校生たちにどんな本を薦めているのでしょうか?生徒たちに薦めたい本、授業で扱った本、自分が好きな本を紹介しながら学校の特色や、本にまつわるエピソードまでをとことん語ります。
【掲載校】開成/灘/渋谷幕張/豊島岡女子学園/フェリス女学院/広尾学園/聖光学院/国際基督教大学(ICU)高校

平林理恵著、日経BOOKプラス編/日経BP/1760円(税込)