スピード、オーナーシップ、サイエンス、オープンネスの4つで構成されるギーク思考は、ルール、手続き、肩書、前例、ヒエラルキーを重視した工業化時代の組織とはまるで違う規範を作り上げ、企業をよりよく経営し、経済を支配している。研究開発から人事、デザインまで幅広い分野で使える型破りなアプローチを『ギーク思考 圧倒的な結果を出す型破りな思考法』(アンドリュー・マカフィー著/小川敏子訳/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。
新入社員もCEOに異議を唱える
ギーク企業は工業化時代の会社に比べてドレスコードがゆるく、無料の軽食が充実し、犬が多く、テーブルサッカーがたくさん置いてある。これは両者の重要な違いではない。ギーク企業かどうかを分ける重要な違いは何か。ざっくりと4つにまとめることができる。
2009年、ブライアン・ハリガンとダーメッシュ・シャアが創業したマーケティング・ソフトウエア企業ハブスポットは急成長していた。CEO(最高経営責任者)となったハリガンが私のオフィスを訪れ、自社の社内教育プログラムを構築しているのだと話した。
企業が独自の教育プログラムを立ち上げるのは、経営トップがある課題(たとえばインターネット経済)に向けて社内体制を整えようと、ビジネススクールと手を組んで実施することが多い。経営幹部とビジネススクールがカリキュラムを固め、プログラムが実現する。
ハリガンのアプローチは一風変わっていた。私とともに少しブレインストーミングした後、彼は提案した。「では、オフィスに行きましょう。いまのアイデアをハブスポットの社員にプレゼンして彼らの考えを聞きましょう」。
こうして実現したミーティングは、私のキャリアにおいて印象深いものとなった。ハリガンと社員のやりとりはじつに衝撃的だったのだ。
集まった社員は約20名。ハリガンは私を彼らに紹介した後、私とのブレインストーミングで話し合ったカリキュラムについて、そして彼が社員に身につけてほしいスキルについて話をした。最後に「みんなはどう思う?」という言葉で締めくくり、彼は腰をおろした。
私のそれまでの経験では、これを合図にCEOの提案を褒めたたえる言葉が社員から出るはずだった。的確なタイミングの的確な企画だとCEOの提案に賛同し称賛したうえで、ささやかな改善点が出るはずと予想した。
最初に発言した人物は、入社したてかと思うほど非常に若い社員だった。なんと彼は「いくつか気に入らない点があります」と切り出し、発言を続けた。
私はその若者が少し気の毒になった。CEOにあからさまに反論すれば、キャリアが閉ざされるとまではいかなくても、他の社員に対する見せしめとして懲らしめられるだろう。ハリガンのことだから「口を慎め」などと直截(ちょくせつ)的な言い方はしないだろうが、あえて自虐的なコメントをして暗黙のうちに警告を発するかもしれない。
他の出席者はそれを受けて、「おっしゃりたいことはよくわかります……」あるいは「みんな、同じ気持ちでいます!」などと我先に言うだろうか。それとも一体感を回復させるために、お決まりのフレーズが登場するだろうか。
実際には、ハリガンは「なるほど――いい指摘だ。それは考えていなかったな」と言い、さらに話しつづけた。彼のボディーランゲージに異変は見られず、室内の緊張感は高まらず、私を除いて誰も少しも驚いた様子はない。後日、私と会った際にハリガンからその件について話が出ることはなかった。彼にとっては、いたって普通のことだったからだ。
CEOのアイデアだからと社員があっさり受け入れたり、寛大さを褒めたたえたりするようなことを彼は望んでいなかった。検討課題について率直で対等な意見のやりとりを望み、それを実現していた。
ハブスポットの力強い文化を築こうというハリガンとシャアの長年の努力は報われた。2020年には、米国大企業の「最高の職場ランキング」の1位にハブスポットを選出した。
ギークが形成する成功する企業の規範
ギーク思考はテクノロジー(機械学習やロボット工学など)や戦略的思考のスタイルではなく、企業の規範に関わるものである。規範とは集団のメンバーが互いに期待する言動のことだ。規範に従わないメンバーには仲間がそれを思い知らせ、足並みを揃(そろ)えるようにさせる。地域に溶け込んだ駐在警官が、順法意識を高めさせるようなものである。規範は上意下達で維持されるのではなく、就業規則に明記されているわけでもない。漠然としているように見えたとしても非常に強力で、人々の言動を根底からつくり替えてしまう。
具体的なイメージをつかむために、まずは例をひとつ紹介しよう。1995年の春、バーバラ・レイ・トフラーは会計事務所アーサー・アンダーセンのシカゴ事務所の採用試験の面接に臨んだ。彼女はこう振り返る。
「気がついたら、ゴルフシャツの海を進んでいました。ネクタイが必須のファームで、カジュアル・ドレスコードではなかったのですが、その日は一連のワークショップがおこなわれていたこともあり、ドレスコードが緩められていたのです。カジュアルな装いなのに違和感を覚えたのは、誰もがまったく同じ服装だったから……それで、ここには独自の企業文化があるのだとすぐにわかりました」
トフラーは2つのことを素早く感じ取っていた。ひとつは組織文化には規範がつきものであること、もうひとつはアンダーセンには特徴的な規範があることだ。やがてトフラーは職場の強い同調圧力を、身をもって味わうことになる。画一的な「アンドロイド」のような服装に始まり、トフラーは職場の規範を吸収し身につけていった。初期の研修では、年長の同僚が「出世を妨げる行動」をコメディー調の寸劇で実演した。ユーモラスな表現で重要なポイントをしっかりと伝えていた。まずは「オフィスを過剰に自分仕様にカスタマイズ」したらどうなるか、という寸劇だった。
働く人を無能にするアンダーセンの規範はファームを衰退させ、ついには消滅させた。現代のビジネス・ギークが求めるのは、それとはまったく異なる規範である。成功と活力に結びつく4つの規範だ。
ギーク思考の4つの規範
第一の規範はスピードである。綿密な計画立案よりも、素早いイテレーションによって結果を出す。
第二の規範はオーナーシップだ。ギーク企業は工業化時代の会社に比べて1人ひとりの自律性が高く、権限委譲を含めてエンパワメントされており、責任の度合いが高い。また機能横断型プロセスが少なく、調整も少ない。
第三の規範はサイエンスだ。直感や専門知識ではなく、実験やテストをおこない、データを収集し、エビデンスの解釈について議論する。
第四の規範はオープンネスである。私が目にしたハブスポットのブライアン・ハリガンと社員とのやりとりは、その典型だ。ハリガンは自分の提案について開かれた議論をして、社員の異議を役職に関係なく喜んで受け入れた。一番重要なことは、ハリガンが自分の提案を否定するような意見、変更を要求するような意見を喜んで受け入れたことだ。
ギーク思考はスピード、オーナーシップ、サイエンス、オープンネスで構成される。ギーク思考は宇宙探査からクラウド・コンピューティング、ソフトウエア、広告までさまざまな業界で、また研究開発から人事、デザインまで幅広い分野で使える。同様に、ギーク思考を実践するのはコンピュータ・サイエンティストや科学、技術、工学、数学にかかわる人々に限られるわけではない。創業者、CEO、経営幹部、社員1人ひとりに至るまで会社全体だ。
ネットフリックスを成功させた「ルールなし」経営
ギーク思考は新しい。21世紀に入った頃にようやく孵化(ふか)し、2010年頃に具体的な形となってきたが、まだまだ未完成である。ABテストなどの「サイエンス」と人間の創造性がもたらす飛躍とのバランスをどうとるのか、といった重要な課題にビジネス・ギークはいまも取り組んでいる。マイクロチップや進化論と同じように、ギーク思考とは何かが完璧に定義されることはないだろう。知識の蓄積とともに、変化し改良されていくからだ。
ギーク思考を探求するにあたり、まず断っておきたい。ギーク思考は厳密である一方、体系化されていない。ギーク企業は、たとえばグーグルのように多くの意思決定においてデータに基づいた厳密なアプローチをとるが、ハブスポットのように地位や立場に関係なく平等主義で社内の階級を取り払ったやりとりをめざす。多くの場合、ギークはかたくななまでに体系化や組織化をしようとしない。
リード・ヘイスティングスも同様だ。著書『 NO RULES(ノー・ルールズ) 世界一「自由」な会社、NETFLIX 』(エリン・メイヤーとの共著/土方奈美訳/日経ビジネス人文庫)でヘイスティングスは「ネットフリックスにも、安全第一で、誤りを防ぐことを最優先させるべきところがある。そこは完全に区別し、小さなオーケストラが完璧な音楽を奏でるように、完璧なルールと手続きを実行する」としたうえで、これをルールにするのではなく、例外にすべきだと述べる。「イノベーション、スピード、フレキシビリティーが成功のカギとなるところで……活動している人々は、オーケストラを抜けて、まったく違う音楽をつくる」
ギークたちは物事の根本に至るためにひたすら情熱を注ぐ。会社組織、意思決定、大型プロジェクトの進行、社員間のやりとり、情報共有など、工業化時代につくられた基本的な大前提をビジネス・ギークは疑ってかかった。そして大部分は正しくないという結論に至った。
正しくないのは、時代遅れになったからということもある。デジタルデータが少なくアルゴリズムを走らせるコンピュータが利用できない時代には、専門家の判断に頼るのは理屈にあっていた。一方で、そもそも正しくないから、正しくなかったということもある。専門家のアイデアだからといってストレステストもおこなわずに採用するというのは、テクノロジーの次元とは関係なく誤ったやり方である。
ギークたちは経済を支配している
現代のビジネス・ギークは、競合他社を引き離している。なぜなら、自分自身の思い込みを含め企業経営の前提を根本的に問い直し、うまくいかないものを切り捨て、よりよいものに置き換えているからだ。つまり、ギークは企業をアップグレードしているのである。しかもこのアップグレードは、どんな会社でも適用可能で、実行可能だ。
必要なのは、従来のやり方とは違う方法をいくつか実行する意志だけだ。難しいのは、いくつか実行することが、すべて根本に関わるということだ。たとえば、主要業務の体系化、意思決定、業務の実行と調整、社員間のやりとりなどで、もっとも重要だと思われるのが称賛される行動と奨励されない振る舞いを決めることである。
ギーク思考を取り入れてアップグレードした会社は、見た目はそっくりとは言い難いが、いくつかよく似ている点がある。スピード、オーナーシップ、サイエンス、オープンネスの規範が実践され、工業化時代の会社に比べると企業文化が自由奔放で、動きが速く、エビデンス重視、平等主義、議論好きで、社員の自律性が高い。
こうした文化が驚異的な業績をもたらす。アマゾンとグーグルの成功がそれを物語っている。ハリガンが創業し成長させIPO(新規株式公開)に漕(こ)ぎ着けたハブスポットは、米国でもっとも人気のある職場としてたびたび名前が挙がっている。
いずれも例外ではなく、ビジネス・ギークの根本的な思考が新しい企業経営を生み出しているという実例である。いまギーク企業に注目すべき理由はいくつもあるが、そのひとつは、卓越した業績だ。だがもうひとつは、社員をエンパワメントし、自律性を持たせる環境をつくり、それを維持していることだ。これはビジネス研究の領域では以前から関心が高かったテーマである。
ギーク企業の社員は、エンパワメントも自律性も非常に高いレベルで実践されていると語っている。加えてイノベーション、実行、アジリティ(敏しょう性)の面でも優れていると。言うまでもなく、こうした会社は働きたい魅力的な会社として非常に人気がある。
ギークのやり方は、私たちが思い込んでいる「実行できることと、できないこと」の境界線を考え直させ、どのように企業が変われるのか、変わるべきなのかについて、考え方を改めさせてくれる。ギーク思考は主としてテック業界から出現しているが、他業界にも広まっている。経営手法としてうまくいくからだ。その結果、シリコンバレーとはおよそ縁のなさそうな業界にもいや応なしに変化の波が押し寄せている。
ギークたちが、企業をよりよく経営する方法を編み出し、経済を支配している。しかもこれはほんの始まりに過ぎない。
アンドリュー・マカフィー著/小川敏子訳/日本経済新聞出版


