スマートフォンやパソコンの画面に絶え間なく表示される広告に、嫌悪感を持つ消費者も少なくありません。広告ブロッカーにお金を払ってでも広告を避ける人もいる状況で、果たして従来の「マーケティング」や「広告」に、どのような意味があるのでしょうか? マスターカードを世界的ブランドに押し上げ、『フォーブス』誌の「世界で最も影響力のあるCMO(最高マーケティング責任者)」にも選ばれたラジャ・ラジャマナー氏による著書 『クオンタムマーケティング 「プライスレス」で世界的ブランドを育てたCMOが教える最新マーケティング論』 から一部を抜粋し、これからのマーケターやビジネスパーソンが持つべき新しい視点を紹介します。1回目は、これから重要になる「感情」と「理性」の両方に働きかけるマーケティングについて。
多過ぎるコンテンツがマーケティングの常識を変えた
新しいデバイス、スクリーン、人の関心を引き寄せて没入させるコンテンツが大量に現れ、ただでさえ情報過多の消費者は、さらに膨大な量の情報に押し潰されそうになっている。消費者は、自分たちが浴びているそれらの情報を処理しきれなくなるだろう。そうすると、チャンネルを変えるか、スクリーンを閉じるか、自費で広告遮断環境を手に入れるかなどの対応をとるようになる。
消費者に接触するだけなら簡単だが、無数の商品がひしめく環境下で彼らの心をつかむことは難しい。それでもマーケターは、それが商品であれ、サービスであれ、ブランドであれ、自分たちのストーリーを伝えなければならない。では、どうやって?
一言で言えば知覚だ。人は、五感を通じて脳にさまざまな情報を絶えず送り込んでいる。脳の異なる部位がこれらを処理し、私たちの周囲に広がる世界の意味を理解する。マーケティングと直接的な関係がある部位と処理のいくつかに絞って見ていこう。
訴えかけなければいけないのは「どっちの脳」か?
一つ目に、従来から原始脳と呼ばれている部位がある。ここは急速に、かつ簡単に機能する。例えば、私たちは虎を見たら、何も考えずすぐ逃げるだろう。これは反射的行動だ。原始脳が危険を察知し、激しい恐怖を感じ、アドレナリンが出て、命がけで走る。
感情(フィーリング)の大部分は原始脳で生まれる。情動(エモーション)が生じるのもこの部位だ。原始脳は「システム1思考」と結びついている。速くて、努力を必要とせず、無意識で直感的な思考が、私たちの行動や意思決定の多くを導いているのだ。
二つ目は認知脳で、「システム2思考」と呼ばれるものと結びついている。認知脳は、情報や状況を慎重に分析し、その結果が人の行動や反応の仕方を決定する。私たちが何かを決めるとき、ほとんどは感情、つまりシステム1思考が後押ししている。認知脳は決定を伝えるかもしれないが、決定そのものは感情によって後押しされる。
仮に消費者が、ある食品のラベルに「たんぱく質 6グラム」という記載を見たら、その情報はシステム2を通じて理性的に処理される。価格表示も同様に、システム2を通じて評価される。しかしここで、システム1は無意識に「言外の意味をくみ取る」仕事をしている。使われている言葉、書体、色、かたち、ビジュアルなどが、より深くて微妙な意味を、異なる経験を持つ私たち一人ひとりに思い起こさせ、あるいは伝え、結果として購買の判断を促すのだ。マーケターは感情や言葉にできない側面を、理性的な側面よりもかなり強く意識すべきだ。
脳により大きなインパクトを与えるためにすべきこと
解剖学的には、香りの情報を処理する脳の部位は記憶を蓄える海馬の近くにある。従って、香りが最も強く記憶を呼び起こす。メッセージは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚を通じて消費者に伝わる。私たちは自覚していないが、私たちの記憶には数百万ものデータポイントが蓄えられている。マーケターが適切なビジュアル、シンボル、音楽、リズム、質感、感触、香り、風味を駆使することができれば、単なる合理的な宣伝文句よりも深く、消費者の心に共鳴するはずだ。
通常、マーケターが広告を企画する際は、静止画の広告、音声の広告、あるいは音と映像を使った広告を考えようとするだろう。どのタイプか、あるいはどのメディアを通して発信するかにかかわらず、最もインパクトの強い広告とは、システム1思考を通じて正しい関連づけがなされるもの、ひいては認知脳を必要としないほどのものだ。
マーケターが、適切な無意識の連想(例えば信用、信頼性、革新性)をキャンペーンと効果的に結びつけられれば、成果を最大化できるだろう。理性的な認知脳に訴えかける追加要素があれば、さらに素晴らしい。
従来のマーケティングで、マーケターは圧倒的にビジュアルと音に頼っていたが、新時代のマーケティングであるクオンタム・マーケティングでは、できるかぎり五感のすべてを活用する必要がある。五感をまとめて使えたら、そのインパクトはとてつもなく大きい。それが「多感覚ブランディング」そして「多感覚マーケティング」と呼ばれるものだ。
イヤでも聞いてしまう「特性」を利用しよう
音、とりわけリズムと音楽は、脳の原始部位に働きかけ、それはすぐに意識、感情、ときには動きにまでつながっていく。さらに、消費者は、見たくないものからは目をそらせばすむが、流れている音は、それが何であれ、生物学的に聞かざるをえない(聞かないという選択ができない)。耳栓でもしていないかぎり、音は必ず人の注意を引く要素であり、心に訴えかける強力な方法でもある。
音にはさまざまな形態がある。例えば音楽、ナレーターやキャラクターの声、環境音などだ。これからの時代に音を活用するうえで一つ大きな飛躍となりうるのは、「視覚的なブランドロゴやデザインシステムに相当する要素を音声の領域でつくること」だ。
これを、私たちは「ソニックブランディング」と呼ぶ。ブランドの個性をつくり出し、差別化するためのサウンドには、さまざまなものが考えられるだろう。
マーケティングにおいてブランディングは必須要件だ。そして、ソニックブランディングはブランディング全般を強化するきわめて重要な要素であり、クオンタム・マーケティングの鍵となる要素だ。ソニックブランディングは、単にすてきなBGMやジングルをつくることではない。音による包括的なブランド価値構造の創造であり、現代のマーケターがビジュアルでブランド価値構造を持っているのとほぼ同じことだ。人々が、ブランドを固有のロゴやデザインシステムと関連づけるように、マーケターは人々がすぐに認識できる音のブランドアイデンティティーをつくり出す必要がある。
初期のマーケティング・パラダイムでは、ジングルが使われていた。あるメロディーとブランドとを強く関連づけるものだ。一面的なアプローチとはいえ、これは非常に有効に機能していた。多くの読者と同様に、私自身も子ども時代に聞いたさまざまなブランドのジングルをいまでも覚えている。自分が好きなブランドも嫌いなブランドもあったが、記憶に残らないものはなかったことからも「聴覚」へのアプローチは効果抜群だ。
(訳:三宅康雄)

1人が1日に受ける広告メッセージの数は、平均3000から5000のあいだです。多過ぎる情報の中で、果たして“マーケティング”は本当にいまの消費者に刺さるのでしょうか? 多感覚ブランディングというクオンタム・マーケティングの考え方は、今後マーケターやビジネスパーソンが知っておきたいものです。『フォーブス』誌で「世界で最も影響力のあるCMO(最高マーケティング責任者)」にも選ばれたマスターカードのラジャマナーCMOが、歴史、最新技術、神経科学などから新時代のマーケティングを解説します。世界第一線で活躍するマーケターから「超実践的なマーケティング手法」を学びましょう。
ラジャ・ラジャマナー(著)、三宅康雄(訳)/日経BP/2420円(税込み)