スマートフォンやパソコンの画面に絶え間なく表示される広告に、嫌悪感を持つ消費者も少なくありません。広告ブロッカーにお金を払ってでも広告を避ける人もいる状況で、果たして従来の「マーケティング」や「広告」に、どのような意味があるのでしょうか? マスターカードを世界的ブランドに押し上げ、『フォーブス』誌の「世界で最も影響力のあるCMO(最高マーケティング責任者)」にも選ばれたラジャ・ラジャマナー氏による著書 『クオンタムマーケティング 「プライスレス」で世界的ブランドを育てたCMOが教える最新マーケティング論』 から一部を抜粋し、これからのマーケターやビジネスパーソンが持つべき新しい視点を紹介します。2回目は、マスターカードが実施した聴覚「メロディー」と味覚「マカロン」の多角的なマーケティング施策について。
効果的なメロディーをつくるために必要な6つの要素
前回 のソニックブランディングの有益なケーススタディとしてマスターカードの取り組みを紹介しよう。私たちは、30秒のメロディー制作を手始めに、包括的な音のブランド価値構造をつくっていった。このメロディーがソニックブランドの中核的DNAであり、音符を連ねて、何よりとても楽しいメロディーに仕上がった。
メロディーづくりの要件は以下のとおりだ。
●覚えやすさ
●口ずさめる
●中立的(ニュートラル)
●文化を超えた多様性
●あらゆる音楽ジャンルに適用可能
●あらゆる状況に適応する
これらの点を音楽制作会社に伝えたときの彼らの表情を、私はいまでも覚えている。あっけにとられた彼らの反応こそ、まさにプライスレスだった!
それから2年におよぶミュージシャン、音楽学者、作曲家、スタジオ、複数のアーティストたちとの集中的な作業を経て、メロディーが完成した。6つの要件を踏まえてつくられたこのメロディーは、マスターカードのすべての広告で使われている。BGM的に聞こえるときもあれば、主役になることもある。あるいはマスターカードのイベントやフォーラムで流れる。マスターカードのオフィスに電話をかけると、保留音の代わりに聞こえる。着信音も制作した。文字どおり何十ものパターンもつくり、誰でもダウンロードできるようにしている。
マスターカードのメロディーは、かなりの回数のテストにかけてきた。それは神経科学の観点からその有効性を確認するためであり、「感情に訴えかける」という結果を得た。つまり、世界のどの地域でも、どんな状況でも、人々はこのメロディーに親しみを感じ、好きになれる。いつどんな状況で聞こえてきても、違和感なく受け入れてもらえるものになった。
つくったメロディーを3つの「長さ」で使い分ける
「メロディー」がブランド価値構造における第1の、そして基礎的レベルである一方で、メロディーの一部を取り出したシグネチャーと呼ばれる3秒間の短縮版がある。「ソニックシグネチャー」の最たる例の一つはインテルのそれだ。どの広告も、最後にあの非常によく知られた音が流れて終わる。
マスターカードのソニックシグネチャーがユニークなのは、メロディーから派生したということだ。根本のメロディーと強く関連づけ、それによってソニックメロディーとの相乗効果を上げることで、マスターカードのソニックアイデンティティーはより強化される。マスターカードの広告はすべて、このソニックシグネチャーが流れて終わる。これがソニックブランディングの第2レベルだ。私たちはこれが聞こえる機会をできるだけ増やそうと考えた。例えば、会社のPC機器はすべて、起動時にソニックシグネチャーが流れる。
それから、第3レベルがある。ソニックメロディーのさらなる短縮版で、尺にして1.3秒ほどだ。これは、マスターカードとの物理的な、そしてオンラインのやり取りが行われるすべてのポイントに組み込まれている。私たちはこれを「アクセプタンスサウンド」と呼ぶ。決済が完了するたびに、消費者はマスターカードの再確認音を聞くというわけだ。本書を執筆している時点で、マスターカードのアクセプタンスサウンドは世界中の5000万を超える決済ポイントに導入済みで、今後もその数はどんどん増えていくだろう。
消費者の味覚までトリコにする「プライスレス」な価値の提供
聴覚を通じたブランド戦略に加えて、マスターカードは味覚を戦略に取り入れようと作業を開始した。味覚は原始脳と密接に関係していて、消費者にすぐ影響を与える。ほとんどの場合、人は瞬間的に味の好き嫌いを判断する。すぐ好きにならない場合、好きになるまでには長い時間を要する。味覚は、食品や飲料品関連のブランドにとってごく自然な感覚だ。
では、マスターカードのように味覚とつなげる必然性が薄いブランドについてはどうだろうか?
マスターカードは「プライスレス・テーブル」というプログラムを立ち上げた。1テーブルか2テーブル分の素晴らしいディナーを提供するという企画だが、一風変わった、そして想像もしないような場所にテーブルをセッティングしたのだ。例えばマンハッタンにあるビルボードの前だったり、シカゴの博物館内に展示されている恐竜の骨格標本の脇だったり、球場のグラウンドだったり。私たちは、消費者に素晴らしい体験を楽しんでもらえるよう、世界中で数千カ所にのぼるこうした場を用意した。これはマスターカードのブランドイメージ向上に直接貢献することとなり、SNS上でも多くの会話が交わされた。
さらに、マンハッタンを含む多くの場所でレストランを開いた。そのうちいくつかについては、あえて世界中の個性的なレストランを忠実に再現した。そして、店舗コンセプトの鮮度を保つため、店のテーマは頻繁に変更している。例えば、「The Rock」と言えば、文字どおりタンザニア領ザンジバル島沖にある岩場の上に建つ、とても個性的なレストランだ。私たちはこのレストランを完璧に再現した。窓から見える風景まで含めてオリジナルと寸分たがわない店をつくった。メニュー、海風、香り、そしてマスターカードのソニックメロディーを活用したBGMにいたるまで。驚くような多感覚のブランド体験を創造したのだ。
また、マスターカードは、フランスで最高のパティスリーである「ラデュレ」と組んで、オリジナルフレーバーのマカロンもつくった。一つはテイスト・オブ・オプティミズム(楽観主義)、もう一つはテイスト・オブ・パッション(情熱)だ。その二つを、マスターカードのロゴで使われる二色、赤と黄色で仕上げ、ラデュレの一部店舗で販売し、さらに各種イベントやカンファレンスにおいて、マスターカードの顧客にも配った。
このように多感覚へのアプローチを通じてブランド力の強化、そして認知度の向上に成功したのだ。私たちの意図は、単にお金を払うだけでは手に入らない健全な多感覚体験を、マスターカードが提供することにあった。
(訳:三宅康雄)

1人が1日に受ける広告メッセージの数は、平均3000から5000のあいだです。多過ぎる情報の中で、果たして“マーケティング”は本当にいまの消費者に刺さるのでしょうか? 多感覚ブランディングというクオンタム・マーケティングの考え方は、今後マーケターやビジネスパーソンが知っておきたいものです。『フォーブス』誌で「世界で最も影響力のあるCMO(最高マーケティング責任者)」にも選ばれたマスターカードのラジャマナーCMOが、歴史、最新技術、神経科学などから新時代のマーケティングを解説します。世界第一線で活躍するマーケターから「超実践的なマーケティング手法」を学びましょう。
ラジャ・ラジャマナー(著)、三宅康雄(訳)/日経BP/2420円(税込み)