ライフネット生命保険創業者で、立命館アジア太平洋大学(APU)前学長・名誉教授の出口治明氏は、大の本好き、歴史好きとして知られ、歴史に関する著作も多い。好評を博した『一気読み世界史』に続き、このたび『一気読み日本史』を刊行する。出口氏による日本史講義を、書籍から抜粋して、お届けする。今回は、人類の誕生から、日本に文明が生まれるまで。

 人間の歴史に入ります。

 僕たち人類の祖先であるホモサピエンスは、今から25万~20万年前に東アフリカで生まれ、10万~6万年前にアフリカを出て、世界に旅立ちました。この旅をグレート・ジャーニーと呼びます。

 なんで旅立ったかといえば、ステーキが食べたかったのです。

 東アフリカを出発するころ、ホモサピエンスは言語を獲得しました。なぜ、ホモサピエンスが言語を獲得できたかというと、脳が発達して、思考を整理するツールが必要になったからという考え方が、有力です。

 人間の脳は、体重の2~3%の重さもないのに、体全体のエネルギーの20~25%くらいを使っています。脳でこれだけのエネルギーを使うとなると、体のほかの部分で節約しないと持ちません。じゃあ、どこで節約したかというと、消化器ではないかと考えられています。

 草食動物の腸管が長いのは、十分な栄養を取るには大量の草が必要で、それを消化するのにたくさんのエネルギーが要るからです。けれど、焼いたお肉は消化しやすくて高たんぱくです。

 ホモサピエンスは、焼いたお肉が好きなのです。だから、ステーキを求めてアフリカを出た。実際、地層を調査すると、メガファウナと呼ばれる大型草食獣が急に消える時期に、ホモサピエンスの骨がたくさん出てきました。これはもう、ホモサピエンスが食べたとしか考えられません。

ホモサピエンスたちが、日本に到着

 アフリカから長い、長い旅をへて、およそ4万~3万年前、今の日本列島にたどりついたホモサピエンスたちがいました。

立命館アジア太平洋大学(APU)前学長・名誉教授。ライフネット生命保険創業者。1948年、三重県美杉村生まれ。1972年、京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などをへて2006年退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年、ライフネット生命保険株式会社に社名変更。2012年、上場。2018年1月より立命館アジア太平洋大学(APU)学長。2024年1月より現職。『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『人類5000年史』シリーズ(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文藝春秋)、『全世界史(上・下)』(新潮文庫)、『一気読み世界史』(日経BP)など著書多数。(写真=栗原克己)
立命館アジア太平洋大学(APU)前学長・名誉教授。ライフネット生命保険創業者。1948年、三重県美杉村生まれ。1972年、京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などをへて2006年退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年、ライフネット生命保険株式会社に社名変更。2012年、上場。2018年1月より立命館アジア太平洋大学(APU)学長。2024年1月より現職。『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『人類5000年史』シリーズ(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文藝春秋)、『全世界史(上・下)』(新潮文庫)、『一気読み世界史』(日経BP)など著書多数。(写真=栗原克己)

 当時は、更新世(こうしんせい)と呼ばれる氷河時代で、日本列島は大陸とほぼ地続き。焼肉になるゾウやシカを追い、ある者は陸路で、またある者は海路で、アジアのさまざまな地域を経由してやってきました。朝鮮半島から対馬を経由したり、沖縄を経由したり、シベリアから北海道を経由したりしました。だからでしょう。DNAを調べてみると、日本列島に住む僕たちは、中国や韓国の人たちと比べて遺伝子的な多様性に富み、単一民族と呼ぶにはほど遠いことがわかります。

日本の土器は、中東の土器より古い

 日本列島にやってきたホモサピエンスは、狩猟採集の生活をしていました。最初は、主に石器を使い、やがて土器も使うようになりました。

 青森県の大平山元(おおだいやまもと)遺跡から出てきた土器を放射性炭素年代測定という方法で調べると、約1万5000年前のもので、これは世界的に見ても結構、古いのです。例えば、中東で最古の土器は約9000年前のもの、中国の長江流域では約1万8000年前の土器が見つかっています。とはいえ、土器の使用は、文明の誕生とは関係ありません。

 狩猟採集の生活が終わったのは、更新世が完新世(かんしんせい)になったころ、約1万2000年前のことです。氷河時代が終わって、地球が暖かくなり、定住が始まりました。最初に定住が始まったのは、肥沃な三日月地帯と呼ばれるメソポタミアからシリア、パレスチナ、エジプトのナイル川流域を結ぶ地域だといわれていて、ここから文明も始まりました。

 定住というのは、ものすごい変化で、ドメスティケーションと呼ばれます。だって、それまでは「ステーキがあるなら、どこでも行くで」と、みんなが思っていたわけです。それが「ここにずっとおるで」と変わり、「ここらを支配するで」となりました。

 植物を支配するのが農耕です。動物を支配するのが牧畜で、金属を支配するのが冶金です。そのうち、自然界の原理も支配したいとなって神を考え出しました。西アジアでは、この時期の人々が拝んでいたと思われる像がたくさん出土しています。

 農耕と牧畜が始まると、食糧が余り、余った食糧が貯蔵され、交易が始まり、貧富の差が生まれます。王が生まれ、神官が生まれ、商人が生まれて、こうした食糧生産に直接携わらない寄生階級が住む場所として都市が生まれます。そこから、国が生まれ、文明が誕生しました。日本の縄文時代の始まりもこのころだ、という説があります。

 日本に文明が生まれたのは、いつごろでしょうか。

日本の稲作は「ガラケーをすっ飛ばしてスマホ」だった

 定住によって農耕が生まれ、牧畜が生まれ、冶金が生まれ、文明が生まれるのでしたね。日本の農耕といえば、稲作です。稲作は、中国の長江流域で1万~7000年前に始まり、それが日本に伝わったようです。伝わった時期は紀元前10世紀ごろという説が有力です。海外に遅れること約7000年という、文明の萌芽です。

 稲作には、水路をつくらず、低地を利用する湿田と、水路をつくる乾田があって、もちろん乾田のほうが、進んだやり方です。だから、湿田稲作から乾田稲作に進化していったのだと昔は考えられていましたが、日本の場合、いきなり乾田稲作が始まったという考え方が、今は有力です。なぜかというと、日本は発展途上国だったからです。発展途上国では、ガラケーをすっ飛ばして、スマホが普及しましたよね。それと同じ理屈で、最先端の乾田稲作が、ダイレクトに大陸から伝来したというわけです。

日経ビジネス電子版 2025年12月16日付の記事を転載]

宇宙の起源から日本の歴史を8時間で一気読み。大きな世界につながる、私たち「日本人の物語」。一気に読むから、流れがわかり、教養になる。古代中国の大帝国と激突した「白村江ショック」に、欧州勢を呼び寄せた戦国時代の「銀バブル」、ペリー来航に始まる米国との対峙など、大国の狭間で生きてきた日本人の歴史に、現代に通じるヒントを探ります。 出口治明著/日経BP/2200円(税込み)