コロナ禍を経た今、オンラインでのミーティングは当たり前のものとなりました。しかし、「移動時間が不要だから」などの理由で、隙間なく予定を詰め込んでしまってはいませんか? 実は、時間においても空間においても「戦略的に余白をつくっていくこと」が、仕事や生活にメリハリをつけ、本当に重要な物事を際立たせるために大切であると、経営者でありデザイナー・アーティストでもある山崎晴太郎さんは指摘します。なぜ戦略的な余白が重要なのでしょうか。新刊『 余白思考 アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術 』(日経BP)から、余白の重要性を考えます。
なぜ今、余白が大事なのか?
「パーソナルスペース」という言葉があります。他者が自分に近づいて不快にならない限界範囲のことで、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車や混み合ったエレベーターなどではこれが侵されて、とてもイヤな気持ちになることがあります。
身体(物理)的にまったく余白がない状態というのは、耐え難いものです。それは、誰もが本能的な体感として知っています。だから、人は他者との間に身体的にも心理的にも、「不快ではない」適度なスペースをつくろうとします。
ただ、これには個人差があります。そのため、歩いているときに周囲の人が思いのほか近くにいて手や肩が触れ、身体的な距離感が気になったり、新しく知り合った人の発言で、心理的に「この人、ぐいぐい来るなあ」なんて思わず苦笑したりすることもあります。
しかし、少なくとも他者との間に一定のスペースが必要だということは、みんなわかっているでしょう。
それなのに、僕たちはつい、身体的にも心理的にも、物事をいっぱいまで詰め込んでしまいます。そして、それに慣れていく。
満員電車に乗って感じていたはずの、「至近距離に人がいることの不愉快さ」も、平日の5日間、毎日満員電車に乗っていると、「これはしかたない。当たり前」と思うようになる……。
もともとはスペースを求めていたはずなのに、精神的に「しかたない」「当たり前」と妥協したことで、身体のパーソナルスペースも奪われてしまうのです。
コロナ禍での通勤では、ウイルスに対して心配や不安を抱えつつも、いつもより空いている電車内に「これだけは悪くないな」と思った人も、案外多かったのではないでしょうか。
「毎日、つらい」原因は、実は余白不足かも
今この瞬間も、何かに追われているようなプレッシャーを抱えている人もいるでしょう。
仕事でもプライベートでも、人間関係でストレスが多い、という人もいると思います。
もっとストレートに「とにかく毎日しんどい」「明日、仕事に行きたくない」という、ため息まじりの声もあがるかもしれません。
そう感じている方の多くは、きっと、とても「まじめ」なのだと思います。悩みやストレス、プレッシャーを抱えながらも、やるべきことを果たそうとして努力を重ね、仕事仲間にも家族にもできる限り親切にやさしく接しようとしている。
そのせいか、案外、周りの人たちからは悩みを抱えているようには見えなくて、順風満帆だとうらやましがられている。
そしてときにはそれが、また、別のプレッシャーになってしまう。外では楽しそうに過ごしているのに、自宅に帰って1人になったとたんに、まるで仮面をはぐようにつらい顔、暗い顔、悩み多き様子になっているとしたら、それはとても残念です。
こんなつらさの原因の1つも、実は「余白」の欠如にあるとお伝えしたら、驚かれるでしょうか。
自分自身と「外」の間に、安心できる適切な距離を確保できていない。仕事人としての自分と、家庭人としての自分が隙間なく接続している。肩書や役割から離れた何者でもない自分に戻れる時間がない。
そうなってくると、人は、必然的に「心の疲れ」を感じます。それぞれ充実している一方で、何かで「現実逃避」したくなる。
それは、旅行かもしれないし、読書かもしれないし、食に走ることかもしれません。いずれにしても、それらを積極的に楽しむ気持ちに加えて、どこかで「逃避」の気持ちが芽生えたら。「私だって頑張っているんだから、たまには自分だけの時間がほしい」と周囲に当たりたくなったら。気分転換したりしているのに、ふと何かを思い出してまたため息をつきたくなったら。そのときは自分自身の余白を見直していただきたいと思います。
余白を上手につくれれば、忙しくてやらなくてはいけないことがあっても、毎日を今より「ラクに」「楽しく」「前向きに」生きられるはずです。
単なる能天気さや、生まれ持った性格うんぬんの話ではなく、これはある種の心の持ち方(=思考法)という“技術”のたまものです。
余白は、意図せずにできるものではありません。明確に意識をして、上手につくってはじめて、価値が生まれるものなのです。
「余白」を持つというのは、自分自身と「外」との間に適度な距離をとるということです。もちろん物理的に、ということもありますが、まずは心理面を考えましょう。
常に心の中で(あるいは頭の中で)、外の世界や対する相手との間に適度な距離をおく。これだけで、現在抱えている多種多様なストレスやプレッシャー、悩みの多くは自然と解決の方向にむかうはずです。
余白を「どうつくるか」が全体の質を決める
僕が生業にしているデザインの仕事は、感性の部分の影響が比較的大きく出る世界です。日々、様々な感性のデザイナーとともに仕事をしています。また、大規模な映像作品や建築などは「総合芸術」と呼ばれ、多くの関係者の感性を1つにまとめていくことが必要になります。
常に求められるのは、自分と違う感性を受け入れるということ。他人を受け入れて初めて、仕事が進んでいきます。
ただ、感性うんぬんの前に、デザインを「伝わるもの」として成立させるためには、基本的に「余白」が必要です。
「余白が足りない」デザインをつくる。これは、若くて経験の浅いデザイナーに多い失敗です。
人間は本能的に、空いているスペースがあると埋めようとします。意味のある余白にするよりも、空虚が怖くて、どうにかして埋めたくなる。余白のあり方に思いをはせる前に、とにかく詰め込んで満足してしまう。
皆さんの中にも、「スケジュールがまっ白」だと不安になる方はいるのではないでしょうか?
「5連休なのに、1日も予定がなくて不安」
「せっかくの休みなのに、予定がないなんてもったいない」
「きょうの仕事は、これといった予定がない。これは怠けているのかも?」
反対に、1日中会議が続くようなときは、本当にすべき仕事は全然進んでいないのに、疲れとともに変な充足感を覚えてみたり。ある意味「暇が怖い」症候群とでもいうのでしょうか。心当たりのある人は多いと思います。
余白は無駄、余白は怖い、余白は不安。余白という存在にネガティブな感情を持つ人がとても多いことに、驚いています。
「余白思考」としての提案は、その逆です。
不安なときは、余白をもっと広げるべきだ。
なぜならその不安は、自分の内面が外の世界や他者からの干渉を過度に受けていることが原因かもしれないからです。
物事は「余白ありき」で考えよう
リアルなイメージで考えるなら、昔は多くの家にあった「縁側」「土間」のようなもの。いわゆる内と外の概念が曖昧になる、中間領域と呼ばれる部分です。
誰かの部屋でもないし、台所やお風呂のように決まった使用目的を持つ場所でもない。子どもが遊んでいることもあれば、猫が昼寝をしていることもある。近所のおじいちゃんが遊びにきて将棋を指していたり、家族でスイカを食べたり、座布団を敷いて昼寝をしたり。内と外の概念も溶け、「何をしてもいい」ユニバーサルスペース。
こういう場所が上手につくられている家は風通しもよくて、自由度が高い。楽しいことが入り込む余地がたくさんあります。
反対に、もしもそのようなスペースが、まったくなかったらどうなるでしょう。窓を開けたとき、すぐそこに誰かが立っていたり、始終いろいろな人がうろうろしていたりしたら、まったく落ち着かないですよね。家の内部(自分の大事なところ)を見られているのではないかという恐怖も感じます。
そんなときには、カーテンを閉めるなり、奥の部屋にいくなり、とにかく距離を取ることが何よりの解決策になるでしょう。他者との間に物理的な余白を増やすことで、精神的な安寧を手に入れ、一息つくことができます。
このとき、「見られているなら、部屋の中を片付けなくちゃ」とか「見えてもいいように、いつでもよそ行きの服を着ていよう」と考えなければいけないとしたら、疲れは増すばかりです。
この感覚は、精神的な活動においても同じです。
どんな人にも、自分自身が大切にしている、他人には触れられたくない大切な場所があります。素のままの自分でいられる場所。誰も立ち入ることができない、自分だけが存在する、社会武装されていない、相対的な仮面をつけていない、少しでも触れられたら壊れてしまいそうな、とてもとても柔らかい場所(僕はその場所を「コア」と名付けています)。
そのコアと他者や社会との間に、意図的に空白地帯、つまり余白を設けましょう。その間に、コアを保護するために、ワレモノを宅配便で送るときのふわふわしたシートのような緩衝材を置きましょう。このイメージが、精神面での余白なのです。
山崎晴太郎著/日経BP/1760円(税込み)

