内容紹介
現代宗教戦争とも擬せられる、911テロ、そしてイラク戦争以降、アメリカを中心に西洋社会では、宗教と社会、そして一見宗教とは正反対の位置に立つように見える科学との関係について、熱い議論が戦わされています。そんな中、現ブッシュ政権の支持母体のひとつでもあり、911以降のアメリカ保守化の先導役でもあるアメリカのキリスト教原理主義団体は、神がこの世を創ったとする「創造論」をれっきとした科学である「進化論」と一緒に教えろ、あるいは「進化論」を排除して「創造論」のみを教えろ、という「創造主義運動」をより大きく展開し、米国の教育界、宗教界、そして科学者世界に波紋を及ぼしております。そんな中、声をあげたのがまさに米英の進化生物学者でした。「利己的な遺伝子」で日本でも有名なリチャード・ドーキンスは、キリスト教と神の存在も意義も真っ向から否定し(マザーテレサまで切り捨てる徹底ぶり!)、科学的t理性の普及を訴える『神は妄想である』を出版し、ノー宗教の立場を明らかにしました。一方、「社会生物学」の始祖であり、生物多様性思想の中心をつくったエドワード・O・ウィルソンは、新著『THE CREATION(創造)』は、対照的にアメリカの宗教関係者に対して、環境危機と生物多様性の保全のために、科学者と手を結ぼうと、あえて呼びかけます。
では、現代進化生物学の残り1人の大物であるスティーヴン・ジェイ・グールドは?
彼は残念ながら2002年、癌でこの世を去っています。が、しかし、グールドは生前、宗教と科学の問題に誰よりも早く言及し、考察した書を世に出していました。それが本書、『神と科学は共存できるか?』(ROCKS OF AGES)です。グールドはこの問題の当事者でもありました。人類の生物学的進化を否定する一部キリスト教原理主義者の「創造主義運動」と長年対決し、学校教育から「進化論」を押しのけ、「創造論」の授業を押し込もうとした運動に裁判で勝利した経験の持ち主でもあったのです。
ドーキンスが否定し、ウィルソンが融合を考えた、科学と宗教の関係。グールドは、科学と宗教が、重なりあわず独立して存在しているが、そのうえで互いに尊重すべき知的体系という関係にある、とみなした上で、そもそも科学と宗教を「対立構造」に見立てることそのものが間違いであり、愚かしい、と主張します。その立場を彼は、あえてカソリックの言葉を使用し、「非重複教導権(マジステリウム)の原理」と名づけ、本書を貫くテーマにすえます。
グールドは本書で、慎重に言葉を選びながら、そもそも科学と宗教が対立構造にあったケースは、古代からむしろ例外的であったこと、むしろ近代に入って科学の万能性を訴えるために、宗教の非科学性を強調すべく、対立構造が捏造されたことがしばしばあるということを、指摘していきます。たとえば、コロンブスがかつて大西洋を回ってインドへ向かおうとしたとき、時の宗教関係者が「地球は平らなのだから、絶対にたどり着けない」と反対したという有名な逸話があります。が、これも後につくられた「作り話」でした。さらに彼が直接かかわった現代アメリカにおける「創造主義者」たちの対決すらも、創造主義者のばかげた進化論否定で迷惑をこうむっているのは、科学者以上に他の「まともな」宗教関係者であり、創造主義と進化論をめぐる騒動を、「宗教対科学」の構図で見ること自体が誤りであり、危険である、と述べていきます。
いま、科学と宗教をめぐる問題を論じるのは日本でもホットになっています。そのうえでグールドの遺作である本書が示したスタンスは、この問題を考える上で重要な示唆を与えてくれます。が、残念ながら、一方で宗教と科学の問題は、キリスト教と進化論をめぐる知識と教養を前提としてもとめてしまうきらいがあり、日本人にはどうしてもとっつきにくい側面があります。そこで本書では、生物学者でグールドの訳者でもある新妻昭夫氏にグールド、ドーキンス、ウィルソンを取り上げながら、生物学的視点からこの問題の解説を記してもらい、科学者でキリスト教信者でもある古谷圭一氏に、アメリカのキリスト教原理主義の歴史と現在の解説を一方でお願いいしました。本編とあわせて読んでいただければ、いっそうの理解を深めることが可能だと思われます。