内容紹介
日本経済停滞の原点は1970年代にあった--「失われた30年」をもたらした思考法や行動様式は今も日本に根を張り続けている。
抜本改革を先送りし減量経営に走る「縮み志向」はどう企業を縛ってきたのか。
変われなかった50年を終わらせるために必要なカギがここにある。
1990年代初頭にバブルが崩壊し、成長力を失った日本経済。アベノミクスによって
戦後最長の景気拡大になったともいわれるが、往時の力強さは姿を消したままだ。
「失われた30年」とまで称される長期停滞はどうすれば終わるのか。
そのカギは1970年代にあった。
為替の変動相場制移行や2度に渡る石油危機によって、奇跡と称された戦後の高度成長は終焉。
生き残りをかけて企業が向かったのは、人件費や新卒採用の抑制、設備投資の手控えなどコスト削減と多角化だった。
売上高の伸び悩み・減少に応じた減量経営と、少しでも稼げそうな分野に出て行くことで
危機を乗り越えようとしたが、リスクをとって事業構造を作り替える抜本改革は先送りされた。
取材を通して見えてきたのは、そんな思考法や行動様式に今もとらわれ続ける日本の姿だった。
ホンダを創業した本田宗一郎氏やマクドナルドを日本に持ち込んだ藤田田氏らが戦後を繁栄と躍進を
もたらす一方で、ダイエー創業者の中内功氏、リクルートの江副浩正氏といった「異才」はなぜ躓いたのか。
「電子立国」を掲げ、半導体などで世界を席巻した時代がどう終わりを迎え、
インターネットという新時代の波に乗り遅れたのはなぜか。
台頭する新自由主義の下で拡大した非正規労働と格差は日本経済に何をもたらしたか……。
ホンダのプリンスと呼ばれた入交昭一郎氏、ダイエー創業者の長男、中内潤氏、
田中角栄元首相の秘書官を務めた小長啓一(元通産事務次官)氏ら、当時を知る多数の証言者への
取材を通して、「1970年体制」の呪縛が生まれた経緯、そして、そこから解き放たれるために必要なポイントを探る。
<目次>
はじめに
第1章 1970年代に根付いた縮小均衡思考が今も続く
証言 1940年体制が戦後経済の原点となった 野口悠紀雄 一橋大学名誉教授
証言 OAPECの原油禁輸表明で日本は震撼した 小長啓一 元通産事務次官
第2章 リーダーは何を変え、何を変えられなかったのか
◇本田宗一郎と藤田田が問いかけるもの
◇田中角栄とは一体何だったのか
◇大蔵大臣は悲壮な覚悟で臨んだ
◇中内功、江副浩正の光と影
◇会計基準の変更が経営者を大きく揺さぶった
証言「使命は日本産業の啓蒙」と本田宗一郎さん 入交昭一郎 ホンダ元副社長
証言 価格破壊と土地購入に矛盾はなかった 中内 潤 元ダイエー副社長(創業者・中内功の長男)
第3章 日本企業の挑戦と挫折
◇広がる「軽薄短小」の流れ
◇電子立国の夢は幻に
◇長く変えられなかった日本型人事制度
◇超円高が日本に残したもの
◇環境技術大国への道のり
◇インターネット時代の幕開け
◇大型M&Aが問う日本企業の経営力
◇中国が世界経済の主役に
証言 デジタル化が中国の台頭を後押しした 谷井昭雄 元松下電器産業(現・パナソニック)社長
証言 ネットにはもっと可能性がある 鈴木幸一 インターネットイニシアティブ(IIJ)会長
第4章 令和に先送りされた構造問題
◇バブル経済はどこから火がついたのか
◇バブル崩壊と終わらない金融危機
◇貿易摩擦が変えた日本経済
◇国・地方の累積債務1100兆円
◇「政治とカネ」で怒り沸騰
◇新自由主義の台頭で高まる規制緩和の熱気
◇開き続けた格差、非正規労働が急拡大
◇砂上の「100年安心」、遅れ続けた年金改革
◇保護がむしろ“弱体化”生む
◇東日本震災が変えた日本経済
◇進まぬ再生可能エネルギー育成
証言 変動相場制移行まで地政学的理由で円は安かった 行天豊雄 元財務官
証言 郵政民営化の改革は後退している 生田正治 日本郵政公社初代総裁
証言 バブル崩壊はすべてを見せてくれた 河谷禎昌 北海道拓殖銀行元頭取
第5章 アベノミクス超え、新経済モデル構築へ何が必要か
◇アベノミクス、一定の成果は上げたが停滞へ
◇盛り上がる第4次ベンチャーブーム
証言 これ以上、日銀は金融緩和できない 木内登英 野村総合研究所 エグゼクティブ・エコノミスト
証言 起業家を育てる難しさは大きく変わった 森川 亮 C Channel社長CEO
特別インタビュー「日本再成長に向けて」 日本電産 永守重信 会長CEO
おわりに
年表でみる経済の動向と企業・社会の変化