内容紹介
世界文化賞を受賞し、欧米からも新作の依頼が絶えない80歳の美術家が綴る1000日に及ぶ日記。その日常からは、はっとする箴言が顔を覗かせる。おすすめポイント
ある年代以上の人には寺山修司・唐十郎のアングラ演劇や少年マガジンの表紙で、またはポップアートの世界的な作家として、あるいは篠山紀信氏や糸井重里氏らと一世を風靡した80年代広告文化の担い手として、近年では欧米からアジアまで新作の依頼が絶えない美術家として、80歳を迎えた現在でも、ジャンルにあてはまらないエネルギッシュな活動を続ける美術家の1000日あまりの日記である。横尾氏は60年代から90年代にかけて複数の日記を出版しているが、約20年ぶりの日記は80歳を迎えての「老い」を見つめる日記。しかし、病や怪我で入退院を繰り返しながらフランスからの依頼で百数十点の肖像画を短期間で仕上げ、NYの画廊からはひっきりなしに注文が寄せられ、世界中のどこかの美術館で展覧会が企画されている日常は「老い」のイメージを覆すものだろう。
からだの声に耳を傾け、永遠の未完を指向する。「嫌なことはしない、好きなことだけをする」と隠居宣言をして以降の「老い」への向き合い方は、アートのことを綴っていてもとても身近だ。それは食べることや眠ること、愛猫への想い、公園でのひなたぼっこなど、日常と密接につながっているからであり、生と死、夢と現実の境界が実感としては溶けていく状態を受け入れることでもあるからだ。シリアスでいながら笑いを誘い、どうでもいいことから深遠な箴言が導かれる自在さは、日記というスタイルならでは。どこから読んでも、何ページ読んでもその神髄に触れられるという意味では稀有な書物である。
系統だっていないため時折思い出す過去の秘話も満載。たとえばYMO(イエローマジックオーケストラ)の初期のメンバーだったかもしれないこと、デヴィッド・ボウイが影響を受けた人として来日時には会いに来たことなど、本書には事欠かない。書くこと自体が現実の虚実皮膜をつむぐこと、日記ゆえの面白さがここにある。