「仕事と読書を両立するのは難しい」。でも、だからこそなんとかしたい!と思っている人も多いのではないでしょうか。働きながら本が読める社会をつくることを目指す文芸評論家の三宅香帆さんが、働きながら読書する日々を綴り、「働いているからこそ面白く読める本」を紹介します。シリーズ3回目は「ライフワークバランスを考える」3冊を取り上げます。

(写真:PIC SNIPE/shutterstock.com)
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2月某日

 毎年、2月がいちばん苦手だ。というか人生で2月にいい思い出があったためしがない。毎年「うう」とうめきながら過ごしている気がする。学生時代は、2月というのは試練の時期だった。中高時代に所属していた合唱部では、毎年2月に定期演奏会があって、その本番に向けてしんどかった思い出しかない。さらに学力テストもあり、その結果で次学年のクラスが決定した。私は進学クラスにいたのだが「来年もこのクラスにいるのかどうか」が決まるのだ。この季節は「あー、憂鬱(ゆううつ)だ」と思っていた記憶しかない。

 高校3年生に至っては受験だ。憂鬱どころの騒ぎではない。大学に入ると2月は春休みなのでハッピーになってもよい話なのだが、京都の2月は信じられないほど寒く、やっぱり憂鬱なのだった。

 要は寒い時期が苦手という話ですねこれは。ちなみに社会人になると2月は年度末が近づいてきて忙しくなり、やっぱり憂鬱だった。さらにいえばなぜか私の本は春か夏ごろに出ることが多く、そうなると2月は原稿のヤマ場なのである。なぜこんなスケジュールになっているのか分からないが、たぶん寒い時期になると自分の体が「試験モード」みたいなものになるのだろうか。とにかく2月は憂鬱である。2月にいい思い出などない。寒いのが本当に嫌だ。

 さて、そんなダウナーな気分の2月であるので、今年も例にもれず鬱々と過ごしていたのだが、これはもう働き方を変えた方がいいのだろうか、なんて思って読んだ本が、『 静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す 』(シモーヌ・ストルゾフ著、大熊希美訳/日本経済新聞出版)だった。

『静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す』(シモーヌ・ストルゾフ著、大熊希美訳/日本経済新聞出版)
『静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す』(シモーヌ・ストルゾフ著、大熊希美訳/日本経済新聞出版)
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 静かな働き方。なんて魅惑的なタイトルなのだ。私も静かに働き「ほどよい時間」を持ちたい。本書は「働き過ぎる」人々に対して、「愛社精神」や「ワーキズム教」の誤謬(ごびゅう)を訴える形で、「そんなに働き過ぎも幸せになれない」ことを説く本である。

 私は働き方というテーマに以前から興味があるのだが、こういう本がサンフランシスコの広告代理店で働くアメリカの著者から出てくることに新鮮な驚きがあった。最近は「バーンアウト症候群」という言葉がアメリカでも説かれているらしいが、やりがい搾取(さくしゅ)や働き過ぎをやめようという主張が欧米でも流行しているのだ。日本だけの議論ではないのだ、これは。

   だから、僕からは親愛なる読者にこう問いたい。
  仕事をしていない自分を愛するためにできることは何だろう?
  (『静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す』)

 すごい、アメリカでもこういうことをいう人がいたのか。そのことに私は感動した。そして同時に、アメリカであっても日本であっても変わらず「働き過ぎない」ことは難しいんだなあ…という切なさも感じてしまった。どうしたら働き過ぎずにいられるのだろう? それは資本主義というシステムが悪い、と本書が説いている通りなのだが、個人で実践するのはとても難しい。まあ、私も働き過ぎないように働きたい。難しいけど。

2月某日

 というか、よく考えると、私が憂鬱になっているのは決して「働き過ぎている」ことによる疲労ではないのだ。労働に対して憂鬱になっているのではない。私が憂鬱になっている理由は、主に「返信」である。

 そう、返信が私はとても苦手である。告白しよう。返信が嫌いだと言っても過言ではない。苦しい。返信はいつだって苦しい。正直、200文字のメールを返信することと、原稿を1000文字書くことのどちらが大変かと言われると、どう考えてもメールを200文字返信するほうが大変なのである。ほんとすみません。原稿のほうがずっと好きです。自由だから。こういうことをいうとそろそろ社会生活に問題がありますね。

 いや、でも、返信はするよ。社会人だから。返信こそが社会人の基本である。そんなことは分かっているので、返信はする。そのために「●●へのLINEを返す」というリマインダーすら設定している。しかしそれでも返信がつらい。プライベートへの返信だろうと仕事の返信だろうとどっちにしても結構つらい。つらいと思い過ぎると本当につらいので、できるだけ普段はつらくない顔で生きている。だがつらい。

 そんなことを考えていたので、『 働き方全史 「働きすぎる種」ホモ・サピエンスの誕生 』(ジェイムス・スーズマン著、渡会圭子訳/東洋経済新報社)において人類が仕事を通してまったく幸せになっていない様子を見ていると「おい! 人類! もっと幸せになるために働く方法ないのか!」とツッコミを入れてしまう。

『働き方全史 「働きすぎる種」ホモ・サピエンスの誕生』(ジェイムス・スーズマン著、渡会圭子訳/東洋経済新報社)
『働き方全史 「働きすぎる種」ホモ・サピエンスの誕生』(ジェイムス・スーズマン著、渡会圭子訳/東洋経済新報社)
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 石器時代からの人類の働き方を綴った本書は、日本に限らず、世界のどこにおいても「働くこと」はいずれ過労を生み、みんな働き過ぎてしまうし、労働によって幸福を得ている人はわずかである、という身もふたもない事実を明らかにする。返信がつらいのは私だけではないのだ。みんなつらいのだ。どうしたら労働で人は幸せになれるのだろう? なぜこんなに人を幸せにしないシステムが続いているのだろう? うーん、私たちは幸せになるために生きているわけではないから、なんだろうな。

2月某日

 『働き方全史』が面白かったので、もっと人類と働き方に関する本はないかなと探してみたところ、『 遊びと人間 』(ロジェ・カイヨワ著、多田道太郎、塚崎幹夫訳/講談社学術文庫)がすごく良かった。本書は働き方に関する本ではなく、「遊び」を論じる本。

『遊びと人間』(ロジェ・カイヨワ著、多田道太郎、塚崎幹夫訳/講談社学術文庫)
『遊びと人間』(ロジェ・カイヨワ著、多田道太郎、塚崎幹夫訳/講談社学術文庫)
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 カイヨワいわく、遊びは4つに分類できる。アゴン(Agon)=競争、アレア(Alea)=運、ミミクリ(Mimicry)=演技や模倣、イリンクス(Ilinx)=スリル。いずれもギリシャ語だが、確かにどれも人々が熱狂するために必要な要素である。納得できる。こういう遊びの要素があってはじめて、人は創造性が発揮できるし、楽しさを感じることができるのだ、と本書は語る。

 私は本書を読みながら、カイヨワのいう「遊び」の要素があるから仕事も楽しいんだなあと思っていた。たとえば競争や運といった要素は仕事のやりがいを大いに支えているだろう。あるいは演技やスリルもまた、職種によっては大いに存在する要素であり、私たちはそれをなんとなく楽しいと感じるように生きている。社会人のふりをするのが楽しいとか、うまくいくかどうか分からないスリルがあるから楽しいとか、仕事で感じたことのある人も多いのではないか。

 しかし一方で、「遊び」の要素だけでは仕事は成り立たないことも確かだ。当然である。だとすれば、むしろ「遊び」ではない仕事を、どうすれば楽しむことができるのか、という難題を考えることが重要である気もする。

 働き方とは、ワークライフバランスとか、時間をどう使うかという問題も大いに含まれるけれど。同時に、自分のなかの仕事に対する「遊び」の要素をどう定義づけるか、という問題でもあるように思う。『遊びと人間』は、働き方を考えるうえでも面白い本だったのだ。