「群衆の熱狂の中にいると、人は誰でも知性を低下させる」。100年以上前にこう警鐘を鳴らしていたのが『群衆心理』(ギュスターヴ・ル・ボン著)です。年間約300冊の本を読む東京カメラ部の塚崎秀雄社長が、新型コロナウイルス禍やウクライナ戦争などで世の中が落ち着かない今だからこそ、読みたい1冊として紹介します。

群衆の中にいると知性は低下する

 新型コロナウイルス禍は、私たちの健康とともに感情も揺さぶりました。不安やおびえや怒りなどにとらわれて、冷静ではいられなかった方も多いと思います。私もその1人です。ただ、多少落ち着いた今になって思い返してみると、あれは群集心理の一種だったと感じています。

 そう感じられたのは、たまたまジュンク堂書店池袋本店のフェアで『 群衆心理 』(ギュスターヴ・ル・ボン著/桜井成夫訳/講談社学術文庫)を見つけたから。原書は今から100年以上前、19世紀末に社会心理学者ル・ボンによって書かれた古典です。

100年以上前に原書が出版された『群衆心理』(写真/スタジオキャスパー)
100年以上前に原書が出版された『群衆心理』(写真/スタジオキャスパー)
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 本連載では、社会不安、分断を高める仕組みを解明する本をいくつか紹介してきました。この「つながり」で、その要因の1つに人間の特性があることを指摘している『群衆心理』をご紹介します。

第2回「 なぜSNSが分断の震源地となるのか 解決のヒントを探る1冊
第3回「 炎上はなぜ起きるのか 無自覚の『無知』の怖さが分かる本
第4回「 なぜ人は自説を曲げないのか 歩み寄る4つの方法を説く本

 「群衆の熱狂の中にいると、人は誰でも知性を低下させる」とこの本は言います。身近な例で言えば、スポーツの過激な応援はこれでしょう。ひいきのチームが優勝したからといって川に飛び込んだり、サッカーのフーリガン(暴徒)のように街中で暴れたりするのは、まったく合理性を欠いています。

 しかし、集団で盛り上がっていると、感情に支配されて、そうしなければいられないような焦燥感や使命感が湧き出てくるわけです。私も例外ではありません。これは連載第3回「 炎上はなぜ起きるのか 無自覚の『無知』の怖さが分かる本 」で紹介した『 知ってるつもり 無知の科学 』(スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック著/土方奈美訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)で「コミュニティの中でいわゆるグループシンク(集団浅慮)が進行しやすくなり、思考をますます先鋭化させてしまう可能性がある」という分析とも「つながり」ます。

 この本では、「一般的な問題については、アカデミー会員40人の投票が、庶民40人の投票よりも優れているわけではない」と説いています。ここで言う「アカデミー会員」とは、学術団体に所属する専門家と考えればいいでしょう。また、「多くの未知数に満たされた社会問題、神秘な論理、つまり感情に支配される社会問題の前では、あらゆる人間は同じ程度に無智になる」と言います。つまり、専門家であっても、専門分野外、特に感情に支配される問題に関しては無知になるということです。

 これについては、私たちもコロナ禍で実感したと思います。メディアやSNS(交流サイト)には各界の「専門家」が多数登場して発言しましたが、的外れな意見もずいぶんありました。中には他の分野で尊敬を集める研究者など超一流と言われる方々もいらっしゃいました。あれだけの方々であっても、ある種の熱狂の中では自分を見失ってしまうのでしょう。

 しかも、この本によると、「群衆は思考力を持たないのと同様に、持続的な意思をも持ちえない」とのこと。確かに当初の大騒ぎはずいぶん落ち着き、百家争鳴していた方々もすっかりおとなしくなりました。群集心理とはそういうものなのです。

 なお、「群衆」は大人数ではなく、ほんの数人が集まるだけでも成り立つと言います。そういう場でも、個人の持つ観察力や批判精神が消えうせると警告を発しています。昨今なら、例えばカルト宗教の勧誘などがこれに該当するかもしれませんし、「ナラティブ電撃戦」(連載第2回「 なぜSNSが分断の震源地となるのか 解決のヒントを探る1冊 」で紹介した『 ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する 』<ジョナサン・ゴットシャル著/月谷真紀訳/東洋経済新報社>参照)もこの影響を受けているのかもしれません。

「コロナ禍の中で、メディアやSNSには各界の『専門家』が多数登場して発言しましたが、的外れな意見もずいぶんありました」と話す塚崎さん(写真/鈴木愛子)
「コロナ禍の中で、メディアやSNSには各界の『専門家』が多数登場して発言しましたが、的外れな意見もずいぶんありました」と話す塚崎さん(写真/鈴木愛子)
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「悪用」はナポレオンの時代から

 以上のような人間のもろさは、しばしば政治活動で悪用されてきました。選挙における候補者の演説で大事なのは、理性ではなく感情に訴えること。そのためには、「断言」「反覆」「感染」を心がければいいとこの本は説いています。単純なメッセージを繰り返して、人々の脳に植え付けようというわけです。

 確かに、聞き手にとっては断言してもらうと気持ちがいいし、分かったような気にもなります。分かりやすい説明だけ求めていれば、自身の勉強不足に気づかずにいられますから心地よいですよね。特に断言・反復される内容が「問題を単純化できて、深く考える手間が省ける『神聖な価値観』」(『知ってるつもり 無知の科学』)であった場合は、より効果的になるのでしょう。

 さらに、その土台として重要なのが、資産や血筋に裏打ちされた「威厳」で、これこそ「支配権の最も有力な原動力」なのだそうです。「事物をありのままに見るのを妨げて、判断を麻痺(まひ)させる」と。

 これらを聞いて真っ先に思い浮かぶのが、「Make America Great Again(MAGA)」を繰り返した米国のドナルド・トランプ前大統領でしょう。「MAGA」は、米国人の誰もが否定できない「神聖な価値観」である上に、断言しやすく、反復しやすく、他者にも伝えやすい。さらには、不動産王として「威厳」も十分です。

 こうしたケースは米国だけではありません、日本を含む世界各国で見られる現象です。かのナポレオンも「真実の修辞形式はただ1つ、反覆だ」と述べていたそうなので、このように人々を群衆化させて心を操る手法は、もはや王道的と言えるかもしれません。

 もちろん、これを見習おうという話ではありません。群集心理は基本的に反知性に陥りやすく、分かりやすい敵を作って排除・分断する行動にもつながります。つまり、悪用されやすいので、その手口を知って予防しようということです。

 最も警戒すべきは、群集心理の延長線上にある暴走、つまり暴動や戦争です。例えばフランス革命では、それまで善良だった市民が「知性」を失い、指導者の暗示を受けて怒り、敵を殺すことが「正義」であると信じて疑わなくなりました。衆人環視の中、断頭台で処刑が次々と行われたことは有名です。この本では、こうして群衆が暴走すれば、「自由討議の時代は、永い期間にわたって幕を閉じることになろう」と予言しています。

群集心理につける薬なし

 では、暴走する群集心理に対して解決策はあるのでしょうか。

 結論から言えば、著者のル・ボンはかなり絶望していたようです。まず群衆は、聞く耳を持たない。そもそも真実を求めず、間違いでも魅力があるものを求める。「感情は、理性との永遠の戦いにおいて、敗れたことはかつてなかった」そうです。「相互のあいだに見かけだけの関係しか有しない、相異なる事象を結合させること、特殊な場合をただちに一般化すること、これが集団の行う論理の特徴である」とも言います。だからいくら「真実はこうだ」と理詰めで説得してもムダ、というわけです。確かに、いくら科学的に問題がないと安全性を証明しても、不安が残るとして誹謗(ひぼう)中傷を続ける人がいる事例は、この記事を書いている現在でも続いています。

 ただ、ル・ボンは絶望だと言うものの、ここまでに社会不安、分断を高める仕組みを解明する様々な本を読んできた私としては、『ストーリーが世界を滅ぼす』、『知ってるつもり 無知の科学』、『 事実はなぜ人の意見を変えられないのか 説得力と影響力の科学 』(ターリ・シャーロット著/上原直子訳/白揚社)(連載第4回「 なぜ人は自説を曲げないのか 歩み寄る4つの方法を説く本 」で紹介)などで対策として挙げられていた手法を試したいとは思います。

 さらに、よく「歴史に学べ」という言い方がありますが、それも意味がないとル・ボンは言います。だいたい歴史自体が勝者による想像の産物であり、「よく観察されなかった事実に、後日捏造(ねつぞう)した説明を合わせる創造的技術」と切り捨てています。確かにそういう面もあるでしょうが、私自身は「歴史に学べ」と教わってきた人間なので、これはずいぶん厳しい見方だなという気がします。

 ささやかな救いの道として提示しているのは、「専門家が集会をコントロールし、無謀で未熟な方向に走らないようにすること、それから議会によって一個人による圧政を避けること」だと言います。『知ってるつもり 無知の科学』のご紹介の中で「無知を自覚する社会にするための対策」として、「信頼できる専門家を私たちは確保し、その意見を傾聴すべき」という話がありましたが、この対策と「つながり」ます。

 そしてもう1つ、ユニークなのは政治に対して無関心になれとも説いていることです。群衆から根本的に距離を置き、熱狂に巻き込まれないようにすればいいというわけです。

「著者のル・ボンによると、『真実はこうだ』と理詰めで説得してもムダ」(写真/鈴木愛子)
「著者のル・ボンによると、『真実はこうだ』と理詰めで説得してもムダ」(写真/鈴木愛子)
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 その是非はともかく、これを結果として実践しているのが今の日本でしょう。米国では過激な陰謀論を唱える暴力的な政治運動が広がり、ドイツでは政府の転覆を狙う集団が摘発されました。先進国を含む世界中の民主主義国家も激しく揺れています。

 あくまでも比較論ではありますが、これらの国に比べれば、日本は平穏そのもの。これは日本が良い状態であるとか、日本人が今の政治に満足しているとか、理性的であるとかいうことではなく、単に日本人の政治への関心が低いからかもしれません。また、餓死や凍死するほど衣食住に困っている人が比較的少ないこと、宗教的な倫理観・価値観が他者に比較的寛容であることも影響しているのでしょう。

 他国と比較すれば平穏であることはありがたいことです。しかし、今の日本には、例えば少子高齢化による急速な人口減少などかなり深刻な問題もあるわけです。安倍晋三元首相が殺害されるような恐ろしい事件も発生しています。ですから、私は、群集心理に巻き込まれないように気をつけつつも、私たち全員が、もう少し政治に関心を持ってもよいのではないかと思っています。

第2のヒトラーを登場させないために

 最初に述べた通り、この本が書かれたのは19世紀末。民主主義が始まり、議会が生まれ、民衆が投票権を持ち始めた時代です。それで本当に大丈夫なのか、という警告の書だったわけです。

 実際、民主主義によってもたらされた不安は、その後の第1次世界大戦と第2次世界大戦によって現実化しました。また、ナチスは、この本を読んで群集心理を操作する方法を研究したとも言われています。そう言うと「悪魔の書」のようですが、逆にこの本のおかげで、その後のヒトラーの登場が抑えられていると考えることもできます。

 時々の為政者やインターネット、メディアなどに登場する扇動者がいかにして群衆を味方につけようとするか。「威厳」「断言」「反覆」「感染」を駆使して人々を扇動しようとしているか、社会を分断しようとしているか。群集心理に関する知識を持っていれば、少なくとも身構えることはできます。

 また、『知ってるつもり 無知の科学』のご紹介の中で「無知を自覚する社会にするための対策」として、「世間は複雑で容易に変えられないと理解している人物をリーダーとして選ぶ」という話がありましたが、この対策は群集心理に陥らないためにも有効ではないでしょうか。

 この本は、いわゆる古典ではありますが、コロナ禍やウクライナ戦争をはじめ国内外で諸問題を抱え、炎上や分断が日々生まれ続けている今だからこそ、必読の書だと思います。

取材・文/島田栄昭