どこの家庭の救急箱にも必ず入っている超定番アイテム、救急絆創膏「BAND-AID( バンドエイド)」。それは妻を助けようとする1人の夫の素朴な工夫から生まれました。新刊『身近すぎて気づかない、偉大な発明図鑑』(クライブ・ギフォード 著、定木大介+岩田佳代子 訳)から紹介します。
誰の助けも借りずに、片手で簡単に
アール・ディクソンは、米国ニュージャージー州にある大手医療・ヘルスケア企業、ジョンソン・エンド・ジョンソンの綿花バイヤーとして働いていた。1917年にジョセフィン・フランシス・ナイトと結婚し、1920年までには、妻の手や腕の切り傷、火傷、かすり傷に包帯を巻いてあげるという、20世紀初頭の家庭では珍しくなかった手当に慣れていた。当時の包帯は大きくてかさばるものが多く、リント布やガーゼを当てた傷口に包帯を巻いてテープで留めるという作業を、自分1人でやるのは大変だったからだ。
ディクソンは滅菌ガーゼを小さくカットして、医療用テープの中央に間隔をあけて貼ることにした。ガーゼを折って細いパッド状にし、さらに、医療用テープがくっつかないようにクリノリンのバンドをつけた。これをロール状に巻いて用意しておく。すると妻は、包丁で指を切ったりこぶしを擦りむいたりしたときに、いつでもロールを小さくカットして傷口にあてがうことができるようになった。ケガをした本人が、誰の助けも借りずに片手で簡単に保護材を当てることが、初めて可能になったのである。この革新的な技術をディクソンから披露されたとき、ジョンソン・エンド・ジョンソンの重役たちが目を付けたのは、まさにその点だった。
1920年にジョンソン・エンド・ジョンソンの工場で生産が開始された新しい絆創膏には、まだ名前がなかった。幹部たちは新製品にふさわしい名前を考え出すのに苦労したが、やがて工場長W・ジョンソン・ケニヨンの提案により「BAND-AID®(バンドエイド)」に決定する。今や世界的に知られるようになったブランドが誕生した瞬間だった。

アポロ11号の救急箱に収まって、月へ
しかし、バンドエイドは最初から爆発的に売れたわけではない。初年度の売り上げはわずか3000ドルで、投資に見合うリターンが得られなかった。これはおそらく、長さ2.5インチ(6.35センチメートル)、幅18インチ(45.72センチメートル)というサイズが、大きすぎて扱いにくいことが原因と思われた。その後、マーケティングと製品デザインの両面で変更が加えられ、1924年までには使いやすいサイズが大小さまざま製造されるようになり、特にこんにち最も親しまれている長さ3インチ(7.62センチメートル)、幅4分の3インチ(1.9センチメートル)のものが生まれた。また、赤い糸(プルストリング)を引っ張ることで簡単に封が切れるという工夫も製品の特長となった。
ジョンソン・エンド・ジョンソンは巡回セールスマンを雇って製品の使い方を実演させ、また全米のボーイスカウト部隊に大量のバンドエイドを無料で配布した。売れ行きは急速に伸び、1939年には初の完全無菌の絆創膏が、1957年には透明な帯状の絆創膏が発売されるなど、技術革新が重ねられた。
結果、このブランドの絆創膏は1000億枚以上製造され、さらに数百万枚が多くの模倣者やライバル企業から発売された。

ディクソンはバンドエイド発明の功績が認められて副社長に昇進し、1957年に引退している。鮮やかな原色をあしらった初の子ども用絆創膏「BAND-AID Stars'n Stripes(バンドエイド・スターズ・アンド・ストライプス)」が発売されたのはその翌年、絆創膏がアポロ11号の救急箱に収まって月に到達したのは12年後のことだった。
クライブ・ギフォード(著)、定木大介、岩田佳代子(訳)/日経ナショナル ジオグラフィック/3300円(税込み)
