「アメーバ経営」「カイゼン」など、優れた企業には優れた経営理論が存在する。では、日本を代表する高収益企業キーエンスの経営理論とは何か。顧客ニーズに基づいた独自性の高い商品開発やソリューション提案を続ける仕組み、ファブレス経営といった取り組みの根底に流れるキーエンスの思想とは何なのか。大企業・中小企業を問わず、多くの企業を指導してきたキーエンス出身のコンサルタントである高杉康成氏は、キーエンスとそれ以外の会社の違いを体感してきた。キーエンスは「性弱説」で動いている、というものだ。本連載では、キーエンス流の性弱説に基づいた経営手法について紹介する。その第1回。
「接客数が少ないので、全員でもっと接客数を増やそう」。ある街のコスメショップ(化粧品店)の店長が最初に掲げた売り上げ向上戦略だ。しかし、これだけでは本当に伸ばすことは難しい。
この店舗に所属する美容スタッフは4人。当然ながら、4人とも成績も得意分野も異なる。会話がうまく信頼を勝ち取れる人もいれば、まだ顧客への適切な商品選定・提案が苦手な人もいる。
このような状態でいたずらに接客数増加の号令を出しても、成果がついてくる可能性は低い。その時点での能力に応じて、成果を上げる人もいれば空振りを増やす人もいるからだ。
そうなると、各美容スタッフの長所を伸ばし、短所を改善する必要がある。具体的には、まずいくつかのスキルを抽出し、各美容スタッフの現時点でのスキルの高さを可視化する。その際に店長が採用したのが「KPIパラメーター」という手法だ。KPIとはKey Performance Indicatorの略称で、日本語では重要業績評価指標と呼ぶ。
「KPIパラメーター」とは、業務において成果を出すために必要な要素を洗い出し、測定し、可視化した数値を指す。ゲームの登場人物が「攻撃力」「防御力」「体力」などの指標で数値が可視化されているのと同じだ。人物ごとに得意不得意があり、また、レベルアップ(成長)すれば数字が高くなる。
逆に考えてみると、登場人物のパラメーターが分からないゲームでは、その人物が強いのか弱いのか、どう育てたらいいのか、どのような場面で活躍できるのかが正確につかめない。そのような状態では思うようにゲームが進められないのは、誰にでも分かるだろう。
抽出と可視化により、各個人がより高い成果を上げるための改善点が明確になり、課題に対して的を絞って取り組める。
実は、この戦略はキーエンスの考え方がベースとなっている。それは「人はなかなか動いてくれない。それをどう克服するか」という「性弱説」に沿ったものだ。
人は簡単なほうに流れる
「人は難しいことや新しいことを積極的には取り入れたがらない」「人は目先の簡単な方法を選んでしまいがちだ」。こういった前提の下に戦略を立て、仕組みをつくり、実践する。これが、キーエンス流の性弱説経営だ。
これに基づくと、単に「売り上げを増やしなさい」と漠然と指示するだけでは効果がないと分かる。さらに、「色々と勉強して、先輩や上手な人のノウハウを学んで、カウンセリング力を強化しなさい」といくつか具体的な方法を指示したとしても、困難を伴う取り組みを示しただけではほとんど行動に移さず、成果にもつながらないだろうと想像できる。
そこで、業務上必要なスキルを可視化して、本人の長所と短所を明確にし、改善すべき内容を絞り込む。「難しい取り組みを簡単にできるようにする」ことで行動につなげるのが、性弱説に基づいた発想だ。
性弱説という言葉を見ると、多くの読者は「性善説」「性悪説」という言葉を思い浮かべるのではないだろうか。それぞれについて、現代の仕事の場面での意味を簡単に解説すると、性善説は「人はみな本来善人であり、指示をすれば自身の努力と工夫で成長する」というもの。一方の性悪説は「人の本質は悪であり、強制や罰則による管理が必要である」というものだ。いずれも、「人は○○という前提だから、□□をすべきだ」という視点に立っている。
性弱説は同じような視点に立って、「人は弱く、苦しいことや難しいことを避けてしまう性質がある。だから工夫によって、困難を感じずに成果や成長を得られる仕組みを整えるべきだ」となる。性善説とも性悪説とも異なるのだ。
この3つの考え方を前提にして、従業員教育で真っ先に選ばれがちなマニュアル化を分析してみよう。
「マニュアルを作ったから正しくやるように」といった発想・指示は、まさに性善説に基づいている。正しい道筋を示せば、個々人の善性によって、自然と努力し、従うことを前提にしているからだ。
本来、マニュアルの内容を理解・実行させるためには、研修やロールプレイングの反復、内容を何度も改良してより習得しやすくする工夫などが必要だ。このような「習得するための取り組みや、分かりやすいマニュアルの追求」は、性弱説寄りのアクションといえる。
性悪説に基づくと、「強制的にマニュアルを学ぶ研修に参加させる」「マニュアル通りにやらなかったら罰を与える」といった、強制や罰則によって行動を管理する方向に進みがちだ。
しかし、本人の意識が低いまま参加させても成長は望めない。マニュアルに違反はしないとしても、本来の目的である顧客満足度やサービス品質の向上といった、マニュアルで表現しきれないものを大切にしない人材になってしまう。
まずは価値を可視化する
先ほどのコスメショップの事例に戻ろう。これは中国地方の都市部にある実際の店舗だ。この店舗は高級化粧品ブランドの再来店率(初めて来た顧客がもう1回来店する確率)が常時60%を超えており、同地方(岡山県、広島県、鳥取県、島根県、山口県)の中でも特に優秀な店舗だ。
この店舗が性弱説に基づいたKPIパラメーターを取り入れる上でまず取り掛かったのは、自店の提供価値の整理。提供価値とは、商品やサービスを通して顧客に提供する価値を指し、「この価値があるから、顧客は私たちの店に来店し、商品を購入してくれる」といえるものだ。
この店舗の最大の特長は、高度なカウンセリングによって、顧客に適した化粧品を選んで提供する点にある。ネット通販が当たり前となっている化粧品販売において、店舗で接客して販売する価値はどこにあるのか。最終的に、対面でしかできない「顧客の肌を触るカウンセリングによる提供価値」に行き着いた。
提供価値を見定めた後は、顧客に対して実施すべきアクションを検討した。前の段落の「顧客の肌に触るカウンセリング」の分解だ。ネットショップとの最大の違いであり、強みでもある「肌を診断する」「肌に触る」ことを中心に、注力すべきアクションを6つ抽出した。「肌診断」「提案」「ハンドタッチ」「フェイスタッチ」「メイクタッチ」「サンプリング」の6つだ。

続いて店長が各美容スタッフと面談し、6項目の中からまずは2項目を選んで実践するように指示をした。実践方法は、上の図のように手製のバーコードを作成し、それぞれのアクションを実施した際に自分でバーコードを読み、1カ月間の数値を集計した。その結果が下の「2022年5月」の表だ。
ベテランのAは「フェイスタッチ」「メイクタッチ」のアクションを重視。B、C、Dは「肌診断」「フェイスタッチ」の重視を選んだ。表の数字を具体的に見ると、Aは「フェイスタッチ」が14回、「メイクタッチ」が5回。Bは「肌診断」が12回、「フェイスタッチ」が1回。Cはそれぞれ13回と18回、新人のDは5回、11回だった。
例えば、フェイスタッチをしようとすると、顧客が持っているいくつもの情報の中で、特にフェイス(顔)周りの問題を聞き出す必要がある。これを実行できるかどうかがフェイスタッチのスキルとなって可視化される。
このように、出てきた数値を単なる「活動の結果」ではなく「スキルの高さ(パラメーター)」として捉えることで、それぞれの改善点を明確にできる。
例えばBは、フェイスタッチの回数が1回と極端に少ない。これは本人に苦手意識があり、うまくフェイスタッチに持ち込めなかったことが原因だった。また、11回だったDは、フェイスタッチ実施に至る過程のテクニックがつかめていなかった。数字が低いことは共通していても、原因と対処法は異なる。それを明らかにするためにも、スキルの抽出と数値化がまず必要なのである。
このように、店長がそれぞれと面談し、長所を褒め、問題点と原因(なぜできないか、何がネックになっているか、どうすれば良くなるか)を分析して改善活動を実施した。その結果が上の「2022年11月」の表だ。
わずか半年で、Bのフェイスタッチ回数は1回から36回へと大幅に増えた。これは、店長の指導の下、肌診断からフェイスタッチにつなげる成功パターンを習得した結果だ。そのため、肌診断件数も同時に増えている。同様にDについても、技術的な指導を受けることで、肌診断からフェイスタッチへの流れがスムーズに実施できるようになった。KPIパラメーターはこのような順序で機能する。
数を絞り、本人が選ぶ
ここでは、「数を絞り、本人に選ばせる」点も大切なポイントだ。経営者としては、同時に多くのスキルを伸ばしてほしい。しかし、今回のケースで6つのスキルをすべて伸ばすように経営者側から一方的に課しても、今回のような成果は得られない。高過ぎるハードルを前にしたら、ほとんどの人はやる気をなくし、行動そのものをやめてしまうからだ。
だからこそ2つに絞り、その2つを本人に選ばせる。店長に指定されるより自分で選ぶほうが「自分事」として捉える意識が高まり、努力や工夫につながりやすい。2つで成功したら、その成功体験によって困難に感じる気持ちは小さくなり、残り4つに対しても前向きに取り組めるようになる。
「人は弱い生き物である」という性弱説に基づき、やるべきことを可視化し、実践できる状態まで落とし込むことで、難しい課題もこなせるようになったのである。
性弱説に基づいた経営がキーエンスの強さの根底にあると筆者が気づけたのは、長年かけて数多くの企業をコンサルティングしてきた経験があるためだ。
キーエンスがオンリーワン商品や強い提案力などで高収益を生み出していることは論をまたない。多くの企業や経営者と仕事をする中で、キーエンスで体得した考え方との違い、同じ課題を前にした時に出す解決策の違いを感じ、その原因を追求してきた。それこそが性弱説への理解だった。キーエンス流の施策を個別に知ることに加え、それらの根底に流れている性弱説を理解することで、自社への応用が正しくできるはずだ。

[日経ビジネス電子版 2024年4月23日付の記事を転載
※本記事は「日経トップリーダー」2024年4月号の記事を基に構成]
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