スウェーデンの新時代の知性クリスティアン・ロン氏による新刊『 ダーウィンの罠 私たちはなぜ重要な選択を間違い続けるのか? 』(夏目大訳、日経BP)から、短期的で利己的な利益ではなく、長期的で利他的な繁栄を選ぶヒントを探る。本文から再構成して紹介する第2回。
かつて米政治家が提唱した核放棄計画「バルーク・プラン」
1946年6月、アメリカ合衆国は、核兵器の世界的軍拡競争の発生を回避するための計画を持って国際連合原子力委員会(United Nations Atomic Energy Commission UNAEC)に出席した。その計画は主提唱者である投資家、政治家のバーナード・バルークの名を取ってバルーク・プランと呼ばれた。バルークは、ウィルソン政権以来、アメリカの歴代大統領の特別顧問を務めた人物である。そのような人物は歴史上、他にほぼ例がない。アメリカはバルーク・プランにおいて、世界の他のすべての国々が同じように行動するのであれば、保有するすべての核兵器を放棄し、新たな核兵器の開発もしない、と提案した。
そして、核保有、核開発を止めるためには、国連がそのための国際的な機関を設立して定期的な核査察を実施し、違反者には制裁を科すようにすべきだとした。全世界のウランとトリウムの供給の管理も国連傘下の国際機関にすべて委ね、原子力製品の開発も、その機関がどこか一国の利益のためではなく人類すべての利益のために一括して行う責任を負うこととした。原爆はアメリカに第二次世界大戦における勝利をもたらしたが、アメリカはその原爆に対する制御権を放棄して、世界に持続的な平和をもたらすことを提案したというわけだ。
軍拡競争で疑う余地なく最も有利な位置にいる者が、まさに優位性の源になっている兵器の放棄を提案するのは異例である。だがバルークはその提案をした。彼は国連の場で雄弁に語り、今はすべての国が国益を守るべきという圧力を超越しなくてはいけない時であり、もしそうしなければ、恐ろしい結果を招くことになると警告した。「我々は、国際的な協調を受け入れるか、それとも国際的な崩壊を迎えるかの選択に直面しているのです」と訴えたのだ。
失敗してしまう典型的なパターン
誰もが知る通り、バルーク・プランは実現しなかった。後の歴史家の中には、そもそもアメリカがどこまで本気だったのかを疑う人が多く、バルーク・プランそのものについても本当に実行可能な計画だったのかを疑問視する人が多い。結局のところ、この計画は、他の自発的な国際協調の試みの多くと同じく、ごくありふれた理由で失敗したのだ。世界統治が有効に機能するには、統治機関が力や重要な資源を独占する必要がある。その状態では、より弱い者がより強い者に対して意見を言うことが非常に困難になってしまう。たとえ意見を言っても通ることはまずない。第一、各国家の政府は通常、各国家内で独占している権力を手放したがらない。そんなことをすれば――少なくとも短期的には――自分たちの利益を損なうからである。これは囚人のジレンマの状況だ。裏切りを恐れる行動が合理的になるため、協調は実現しない。
バルーク・プランの失敗は典型的なパターンだった。たとえば、ソ連は、まずアメリカが率先して核放棄をして欲しいと望む。それを確認しなければ計画は批准できないという姿勢を取るのだ。しかし、アメリカはそれを拒否するので、ソ連は当然、計画に対して安全保障理事会で拒否権を発動する。そしてその後、冷戦が始まることになったのだ。世界は、バルークとその同時代人が予測したような大規模な核戦争を今日までどうにか回避してきた。だがそれは世界の仕組みのおかげというよりも、単に幸運だったからと言った方が正確である。

とはいえ、現代において、バルーク・プランほど世界統一の協調体制の構築に近づいた例はおそらく他にないだろう。私たちの生存を脅かす軍拡競争を皆で協調して止められる可能性はあったのだ。この計画そのものも、それが失敗したことも、良き教訓になり得る。私は、自分だけの利益を追求する行動よりも、全体の利益を考慮した行動のことを「グレート・ブートストラップ*1」と呼ぶが、これを実現するには、絶滅の脅威に協調して立ち向かうのだという機運が世界全体で高まることが前提条件となる。また、それには協調が結局は得になるという認識を広める必要もある。バルークが考えた通り、国家間の協調を提案するだけでなく、強制できるような国際統治機関も設立しなくてはならない。だが、どうすればそんなことができるのだろうか。
ここではまず、既存の協調機関について少し学んでみよう。どのような経緯で生まれたのか。
世界の14%もの国々が自発的に主権を放棄したのはなぜか
「シェンゲン圏*2」の成立。あるいは「ユーロ圏」の成立。そしてヨーロッパにおける死刑の急激な減少。3つとも目覚ましい成果だが、いずれも、第二次世界大戦のがれきの中から生まれた国際組織の中でも最も効力を持ったものと思われるヨーロッパ連合(EU)に起因する成果である。それ以前から存在した類似の地域共同体を母体に1993年に正式に発足したEUは、世界の国々が真の協調を選択した時に何が成し遂げられるかを証明した機関だと言えるだろう。
EUは27の国――ヨーロッパの国の半分以上、そして世界全体の国の約14%にあたる――から構成され、加盟国のすべてが、加盟国となることで得られる利益と引き換えに権力と自治権の一部を放棄している。長年にわたり、EU諸国は力を合わせて世界的に重要な課題の解決に取り組んできた。特に目立つのは環境保護への取り組みで、企業への温室効果ガス排出量報告の義務づけ、特定の化石燃料の使用禁止、エネルギー効率基準の制定などを行ってきた。多くの国が協調すれば、一国ではとても不可能な意味のある変化を起こせることを証明したと言えるだろう。
2016年の「ブレグジット(イギリスのEU離脱)」の際には大きな騒ぎとなり、その後はドミノ倒しのようにいくつもの加盟国が相次いで離脱するのではないか、EUも徐々に崩壊に向かうのではと予測する専門家も多くいた。だが、そんな予測に反し、現在のEUは以前にも増して強化されたように見える。実のところ、主要な加盟国――特にEU内の二大経済大国であるドイツとフランス――は、EUの連邦化の推進を積極的に提唱しており、さらに団結、協調を進めていく姿勢を打ち出している。一方、イングランド銀行の元総裁のマーク・カーニーは、2022年にブレグジットの影響について「2016年のイギリス経済の規模はドイツの90%だったが、今では70%以下にまで縮小している」と発言した。
EU加盟を希望する国は多く、現状では多すぎてそのすべてを加盟させることができない状況になっている。加盟待ちの国は現在9つある。いずれも加盟することによる利益と引き換えに、主権の一部を自発的に放棄するつもりなのだ。ナショナリズムが台頭する時代に、なぜそれほど多くの国がEU加盟を望むのか。
答えは簡単だ。EUには経済力があるからだ。その経済力により、加盟して協調し合うことが合理的な選択になっている。何より最も重要なのは、EUに加盟すれば巨大な単一市場へのアクセスが可能になるということだ。その中で商品、サービス、資本、労働力を自由に利用、提供できる。安定した経済的成長が見込めるだろう。EUはまた、インフラ開発から環境保護にいたるまで様々な種類のプロジェクトを、多額の資金を提供するなどして支援している。それも加盟国にとっては大きなメリットだろう。加盟国をパッチワークのようにつなぎ合わせることで、EUは一つの「超大国」となっている。そのおかげで、他の世界の超大国と競い合うこともできるのだ。それによる利益は、単独ではとても中国やロシアとは競争できない個々の加盟国へと流れていく。たとえば、世界中のインフラ・プロジェクトに巨額の投資をした中国の「一帯一路」に対抗して、EUでは、発展途上国のインフラ・プロジェクトに3000億ユーロもの投資をする「グローバル・ゲートウェイ」という戦略を打ち出した。
要点がわかりやすいよう、ここで多細胞生物の比喩を使う。時とともにより複雑な多細胞生物が進化していったのは、自然選択の結果である。細胞一つだけで生きている者よりも、数多くの細胞が集まった者の適応度が高くなったのだ。EUはいわば生物の進化の歴史における多細胞生物のようになろうとしている。その経済力を活かし、EUは、加盟国が自治権の一部を放棄してでも自発的に協調し合いたくなる構造を作り上げた。その協調を促す力が、まさに「ダーウィンの天使*3」として機能している。協調し合うことで、単独の場合よりも、世界のステージでの競争を優位に進めることができ、行動や発言の世界への影響力も大きくなる。
加盟国の協調により、個々の加盟国ではなくEUという集団が選択の単位になると言ってもいい。政体は一般に大きいほど小さいよりも進化的に有利だ。つまりすでに巨大で、将来はさらに巨大化するEUは、個別に動いている国よりも有利ということになる。現在、最大の超大国であるアメリカ合衆国も、元々は多数の国の集合体である。多数の国が協調し合って一つの国になることで、他国を圧倒してきたのである。やがては同じような協調し合う国家の集団が他にも生まれ、世界政府における支配的な存在になると予測するのは理に適っている。単一の主権国家は歴史の遺物になるのだ。だが、その現象が自然に起きるのを待っている時間は私たちにはない。人類の存続のためには、その協調、集団化への動きをアメとムチを使ってどうにか加速させる必要がある。
*3 ダーウィンの天使とは、他者に良い影響を与える行動を適応的にするような選択圧のこと。ダーウィンの悪魔とは、他者に悪い影響を与える行動を適応的にするような選択圧のこと。
クリスティアン・ロン(著)、夏目大(訳)、日経BP、2530円(税込み)
