2025年12月4日、弁護士ドットコムは東京証券取引所の東証グロース市場から東証プライム市場へと上場市場区分を変更した。弁護士の資格を持つ創業社長として初めて自分の起業した会社を上場させた元榮太一郎氏をはじめ、20数人のキーパーソンの貴重な証言で綴るベンチャーストーリー、『世界は法律でできている』(日経BP)から一部を抜粋してお届けする。
深夜まで何度もプレゼンの練習をする
日本最大級のスタートアップカンファレンス「IVS」に出場する。創業間もないスタートアップではなく、すでに創業から10年目で、上場もしている弁護士ドットコムの創業者、元榮太一郎が自ら出ていこうというのである。
元榮は上場企業だからといって、お高くとまっているわけにはいかないと考えていた。原点は、挑戦し続けること。失敗を恐れないこと。常に新しいことをやり続ける永遠のベンチャー企業を目指す、という意味でも、こうしたピッチコンテストにスタートアップに混じって出場するのは、大きな意味があると考えた。
実際には、出場したのに何らかの結果が出せなければ、みっともないことになりかねないリスクもあった。それでも、挑戦しなければ成功はない、という元榮の思いに変わりはなかった。弁護士ドットコムという会社が目指すものを体現するべく、自ら出場することを決断したのだ。
こうして、ローンチしたばかりの「クラウドサイン」で出場をエントリーした。弁護士ドットコムの新しい挑戦をアピールできる、「クラウドサイン」という画期的なサービスを世に自ら伝えることができる。元榮の気持ちは高まっていく。
会場は、京都。2015年12月のことである。このときの鮮烈な思い出があるという人物がいる。「IVS」への出場に際して元榮に同行していた、現取締役CFOの澤田将興だ。
澤田は語る。
「当時、すでに千葉で選挙活動や挨拶回りをしていたタイミングでした。そんな創業者が、20代の若いスタートアップの起業家と横並びで出場する。まず、そのことに驚きました」
出場を決めたのは、10月。出たい、出ようと思うんだ、という元榮の声に、周囲は驚いた。そこから急遽、資料を作り、準備を始めた。
京都でのプレゼンを控えた前日、澤田は元榮に思わぬ頼みごとをされている。
「澤田くん、プリンターを買っておいてちょうだい」
びっくりしたが、澤田は京都に着くと、量販店でプリンターを買い、宿泊先のホテルに向かった。
元榮は部屋でパソコンをプリンターにつなぐと、用意していたスライドを出力した。それを見ながら、プレゼンテーションのための台本を作っていく。それをプリントし、読み上げていく。
「IVS」のプレゼンテーションは3分。元榮は3分ぴったりに終えられるように台本やスライドを少しずつ手直ししていった。
「ここの部分を直して、こうして」
澤田は指示通りに、台本を修正する。時間ぴったりに終わるだけでなく、説得力のあるストーリーになっているか。セリフの一言一言まで魂がこもっているか、元榮は細かくチェックした。
手直しをした台本は、再び出力する。出力した台本をさらに読み込み、また手直しする。それを何度も何度も繰り返した。澤田は語る。
「ルームサービスで、お寿司をとってもらったことを覚えています。食べながら、パソコンで台本を直し、またプリントしていく。なんだか、不思議な光景でした」
夜の11時を過ぎたあたりで、澤田は再び思わぬ頼みごとをされる。
「このホテルの宴会場を貸してもらえないか、聞いてみて」

お願いすると、貸してもらえることがわかった。広い宴会場の隅で、ようやく固まった台本を暗唱した元榮がプレゼンテーションの練習を始めた。制限時間は3分。時間を測りながら何度も、何度も。時刻は午前3時近くになっていた。
翌日は、朝6時台に集合だった。澤田が見たのは、他の応募者が集まっている最中も、壇上に上がって練習をしている元榮の姿だった。
「ストイックな姿勢、のめり込む姿を目の当たりにして、起業家というのは本当にすごいと思いました。ここまでやるのか、と。ちょっとやっぱり違うんだな、と思いましたね。自分が仕事をする上でも、参考にしないといけないな、と」
澤田が見る限り、本番のプレゼンテーションの出来は圧倒的だった。間違いなく、抜群の1位だと思った。ただ、すでに上場している会社である。コンテストの趣旨として、元榮を1位にするわけにはいかなかったのだろう。結果は3位だった。
大手人材会社による導入が決まる
ローンチ直後から、「クラウドサイン」はビジネスとして大きく成長していく。無料でサービスはスタートしたが、ローンチからわずか1カ月で、1000社を超える企業のユーザー登録があったのだ。
その仕組みはシンプルである。事前に内容についてお互いに合意が済んでいる契約書・発注書などの書類をアップロードし、相手方が同意することにより、相互同意がなされたことを示す電子署名が施される。また、電子署名が施された書類の保管、管理もサービス上で行うことができる。
実は「紙と印鑑」に手間を感じていたビジネスパーソンは少なくなかった。印刷、製本、郵送作業のコストも当然かかる。しかも、紙のやり取りをするとなると、日数もかかってしまう。ところが、電子ではそうした費用や手間は一切なくなるのだ。もちろん、人的コストも削減される。企業によっては、印鑑を押す作業だけで毎日1時間以上かかっていた幹部もいた。
さらに、契約書をクラウド上で一元管理することで、業務の透明性が向上し、抜けや漏れを防ぐことができる。また、契約書はバックデータが原本なので、原本保全の確実性が高まる。
過去の契約書を探すのに保管庫に行き、探す必要もない。クラウド上で管理でき、一元的に検索ができる。いいことづくめなのだ。
思わぬ援軍となったのが、大手人材会社だった。その人材会社は採用サイトを持っていたが、求人広告の出稿のたび、クライアントとの間で紙の契約書を結んでいた。これが大きな手間とコストを生んでいたのだ。
すばやく広告を出稿したいのに、契約書が交わされていなければ出稿できない。そうなると、クライアントは採用のチャンスを逃してしまいかねない。
ところが、電子契約なら何日もかけて書類をやり取りする必要はない。しかも、特別な登録や手続きはいらない。クライアントのメールアドレスさえあれば、簡単に電子署名で契約書が作れてしまえるのだ。
2015年10月のリリース時における大手人材会社の「クラウドサイン」導入は、新しい事業に大きな勢いをもたらすことになった。社内も大いに沸いた。
[日経ビジネス電子版 2026年2月18日付の記事を転載]
元榮太一郎、上阪徹(著)/日経BP/2090円(税込み)
