2025年12月4日、弁護士ドットコムは東京証券取引所の東証グロース市場から東証プライム市場へと上場市場区分を変更した。弁護士の資格を持つ創業社長として初めて自分の起業した会社を上場させた元榮太一郎氏をはじめ、20数人のキーパーソンの貴重な証言で綴るベンチャーストーリー、『世界は法律でできている』(日経BP)から一部を抜粋してお届けする。

契約に関するペインを解決する

 2013年8月、上場に向けて舵を切り始めた弁護士ドットコムは、幹部による合宿を開いた。参加したのは創業社長の元榮太一郎、COOの水木孝幸、CFOを務めていた杉山慎一郎、管理部長の松浦啓太、社外取締役となっていたDGインキュベーションの石丸文彦、さらに監査役の須田仁之。

 弁護士ドットコムについて、さまざまな面からディスカッションをする場だったが、重要なテーマとして新規事業があった。

 水木が回想する。

 「上場するにあたって、弁護士向けのサービスだけだと、ビジネスとしてのポテンシャルは長期的な成長を万全に支えるほどには大きくない、という現実があったからです。というのも、弁護士の数は当時でも約3.3万人。これが増えていったとしても5万人、6万人という人数なんです」

 弁護士から数万円を課金するビジネスだとすると、人数で頭打ちになってしまう。

 「なので、ビジネスの成長可能性をしっかり打ち出していくには、これに加えて、もう少し幅広い事業を追加する必要がありました」

 新規事業が今ならできる、という思いが元榮の中にはあった。上場を実現すれば資金も調達でき、成長が続けば利益も出てくる。そのチャンスをうまく活かしたかった。

 元榮ら経営陣はそのために、司法書士ドットコムなど、横展開していた事業のいくつかをクローズした。税理士ドットコムについては、そのポテンシャルの大きさから存続を決め、担当社員を残した。税理士ドットコム以外の事業とサービスを閉じて、弁護士ドットコムにリソースを集中させていた。

 ここにポテンシャルのある新規事業を加える。法律に関わる領域で、どんなビジネスがあるか。メンバーで網羅的に案を出した中で出てきたのが、電子契約、契約書の電子化だった。

 元榮は弁護士ドットコムを立ち上げる前に、大手法律事務所に勤務していた。ストラクチャードファイナンス(仕組金融)の案件などに従事していたが、そこで扱わなければならなかったのが、大量の契約書だった。一つの案件で多くのパターンの契約書が必要になる。金銭消費貸借契約、債権譲渡契約、抵当権設定契約、質権設定契約……。

 しかも、雛形で作った契約書案に対して、関係者から「この条項をこう修正してほしい」といった要望が来る。さらに別の関係者からも「いや、ここは、それはダメだ」という指摘も来たりする。

 そうやって、ようやく契約書の内容や条件が合意に至ったところで仕事が終わりかと思いきや、違った。ときには契約書を納品しなければならないのだ。

 すべての契約書を印刷し、ホッチキス留めして製本テープを貼り、契約の当事者の数の分だけの通数を作り、それをパターン別に整理してセットする。

 しかも、出来上がった契約書に関係者が捺印しなければならない。その捺印の数が膨大だった。捺印は一当事者が一通に何回も行う。押印、契印、割印、消印といった要領だ。これを全契約書に全当事者が行う。契約書に印鑑を押してもらうだけで半日以上かかったりする。ときとしてその場に立ち会わなければいけない元榮にとっては、ペイン(苦痛)そのものだった。

 こんなことを21世紀になってもやっていることが驚きだった。独立して自分の法律事務所を持つようになっても、契約実務の基本は変わらなかった。デジタルの時代になっているのに、こんなことをやり続けることはあり得ない、と元榮は感じていたのだ。

 いずれ、電子契約は当たり前になる。ならば、今から事業をスタートさせることは大きな意味があると考えた。

 そして電子契約となれば、あらゆるビジネスに関わる企業や個人がターゲットになる。弁護士の数によって制約のある事業とは別に、世の中のあまねくすべての法人や個人を対象とした有望なビジネスが生まれるのだ。

 合宿では、これなら投資家に向けて企業としての新たな成長可能性について十分に説明できるのではないか、ということになった。

弁護士ドットコム代表取締役社長兼CEO、元榮太一郎(写真=的野 弘路)
弁護士ドットコム代表取締役社長兼CEO、元榮太一郎(写真=的野 弘路)

まさかの「IVS出場」

 関連するサービスや市場の状況、また法規などの調査が始まる。まさしく上場のタイミングで実際にビジネスを作り始め、翌年の2015年10月にローンチする。これが、「紙と印鑑」で行っていた契約業務をオンラインで完結させる電子契約サービス「クラウドサイン」だ。オンライン完結型としては日本初だ。

 当時、COOを務めていた水木は語る。

 「上場時点ではまだローンチはしていませんでしたが、準備は進めていました。上場後、株主への将来に向けての成長エンジンとしてPRができる、という側面もあったんですが、上場前から準備を始めた一つの理由は、上場したあとはお金が使いづらくなるからです」

 素人発想では、上場によってお金が集まったタイミングで新規事業に投資していくのがわかりやすいのだが、新たな投資は営業利益を削ることになるのだ。

 「利益を削り、損失を出しても新規投資をしやすいという意味では、実は上場前のほうがやりやすいんです」

 だからこそ、上場後は新規事業に投資するのではなく、M&Aに走る企業が多いのだろう。だが、弁護士ドットコムでは、それがわかっていたので、上場前に準備を始め、投資を進めていったのだ。

 「こうして事業のトップライン、会社としての成長能力を上げる取り組みを、上場前に仕込んでいったわけです」

 この新しい事業「クラウドサイン」にかける元榮の思いは並々ならぬものがあった。上場後に打ち出す初の新規事業。弁護士ドットコム、税理士ドットコムに続く、大きなポテンシャルを持った本格的な事業。

 経営者として、じっとしているわけにはいかなかった。すでに政治家になるという出馬宣言はしていたが(参照:弁護士かつ起業家として初の株式上場、そして直後に参院選出馬を宣言)、弁護士ドットコムは自らが創業した会社だ。その新たな門出とも言える新事業の走り出しに、自らがコミットしたかった。

 そして決断したのが、日本最大級のスタートアップカンファレンス「IVS」への出場だった。「IVS」は、起業家、投資家、事業家、技術者、研究者、スタートアップやオープンイノベーションに関心を持つ人々を対象としたカンファレンス。

 多くの人がイメージしているのは、創業間もないスタートアップが、自らをプレゼンテーションして投資家や事業家に認めてもらおう、という場。そこに、なんとすでに創業から10年目で、上場もしている弁護士ドットコムの創業者自らが出ていこうというのである。

日経ビジネス電子版 2026年2月17日付の記事を転載]

法律によって励まされ、法律によって社会をよくしようとするベンチャー、弁護士ドットコム。弁護士の資格を持つ創業社長として初めて起業した会社を上場させた元榮太一郎氏をはじめ、20数人のキーパーソンの証言で創業からの20年を綴る。日本初の電子契約サービス「クラウドサイン」などのサービスが生まれた背景や、会社が急成長できた秘密など余すことなく描く一冊。

元榮太一郎、上阪徹(著)/日経BP/2090円(税込み)