あらゆることをマニュアル化し、人材教育を熱心に行っている軍隊のやり方を、ビジネスにそのまま生かすのは難しい。しかし、戦略を「目的を実現するためのロードマップ」、戦術を「ロードマップを実現するための方法」と捉えれば、軍事戦略・戦術をビジネスに応用することは可能だ。軍事戦略・戦術の専門家で、熱心なサッカーファンでもある高橋杉雄・防衛研究所防衛政策研究室長に、「戦術」と「戦略」を理解するための本を選んでもらった。

戦略と戦術の違い

 私は防衛省の防衛研究所で国際安全保障や現代軍事戦略論、核抑止論などについて研究をしています。

 ロシアによるウクライナ侵攻により、「戦略」「戦術」という言葉を聞くことが多くなりましたが、そもそもこの2つの違いは何なのか、疑問に感じたことはないでしょうか。

 人は何か成し遂げようとするとき、目的を立て、どうやって実現しようか考えますね。分かりやすく言うと「戦略」とは「目的をどう実現するかのロードマップ」。「戦術」とは「ロードマップをどう歩んでいくか」ということです。

「軍隊は巨大な教育機関です」と語る高橋さん
「軍隊は巨大な教育機関です」と語る高橋さん
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 街をぶらぶら歩きするように、特に目的を決めず、気ままに行動するのがいいときもありますが、達成したい目的が難しく高度であるほど、明確な「戦略」と「戦術」が必要になります。例えば、難関大学に合格するためには「取りあえず毎日、英単語を覚える」ではなく、「過去問を解き、自分の弱点を見つけ、克服する」という道筋が求められます。

 本来的な意味の「戦略」「戦術」は、軍隊と切り離すことはできません。意外に思われるかもしれませんが、実は軍隊というのは巨大な教育機関です。軍人のキャリアが20~30年だとしたら、その3分の1近くは、「兵器をどう操作するか」と「兵器をどのように使って戦うか」といったマニュアルに基づく教育を徹底的に受ける時間です。軍隊には階級がありますが、いきなり少尉とか少佐になることはなく、その階級に必要となる知識と素養を身に付けるための教育を受けなければなりません。

 なぜそれほど教育を重視するかというと、階級が上になるほど求められる能力が変わるからです。階級が低いときは、「目の前の敵とどう戦うか」という戦術が重要ですが、上になると、「複数の戦闘を組み合わせて、どう勝つか」という戦略を立てる能力が求められるのです。軍隊はそうした戦略・戦術に関する教育を日々行っています。

 「軍事的な戦略・戦術の考え方はビジネスに役立ちますか」と聞かれた場合、私は「軍隊ほど徹底した教育を行っているのであれば、イエス」と答えるでしょう。大半の企業は、軍隊ほど人材教育に時間をかけられません。また、「いかに契約を取るか」といった仕事上のノウハウは、戦略・戦術としてマニュアル化されるのが有効とは限りません。

「相手の重心」を攻撃せよ

 ただ、軍事戦略・戦術の枠組みをビジネスに応用することはできるかもしれません。『 The Air Campaign 』は湾岸戦争の空爆計画を立てたジョン・ウォーデンが書いた本です。本書は、爆撃はむやみやたらに爆弾を落とせばいいものではなく、相手により大きな損害を与えるCenter of Gravity(重心)を狙って攻撃すべきだと言います。

 そして、その重心には「外側から『軍事力』『民間人』『インフラ』『エネルギー』『政治的指導者』という5つの同心円があり、中心を攻撃するほど波及効果が大きい」というのがウォーデンの主張です。

『The Air Campaign』(John A. Warden Ⅲ著)
『The Air Campaign』(John A. Warden Ⅲ著)
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 戦争というと「軍事力」に着目しがちですが、軍隊は国民によって支えられています。民間人を攻撃すれば軍隊の力は弱まります。インフラを攻撃すれば国民の生活にダメージが及び、エネルギー施設を攻撃すれば社会インフラが機能しなくなり、政治的指導者がいなくなれば国全体が混乱に陥ります。

 ロシアがウクライナのゼレンスキー大統領の暗殺計画を立てたり、ウクライナの電力インフラを攻撃したりしているのも、このCenter of Gravityの考えによるものでしょう。

 しかし、ビジネスにおいては、ライバル社を爆撃するわけにはいきません。そこでCenter of Gravityを最重要顧客と考え、それを取り巻く同心円は何かと考えれば、応用は可能かもしれません。

 一方、『 Effects-Based Operations 』という本は、「Center of Gravity を5つの同心円で考えるのは少し単純すぎないか」という考えに基づいています。本書は、同心円ではなく、「縦軸」に「物理的なダメージや相手の認識」、「横軸」に「軍事作戦・政治・情報戦」を据え、この2軸上でCenter of Gravityを探すべきだという一歩進んだ考え方です。要するに「どこに効果を与えるか」を重視することで、「爆撃目標」も変わると。達成したい目標と、その目標を達成するために何が必要かを考える。このレベルまで戦術と戦略の枠組みを一般化すれば、ビジネスに役立つでしょう。

『Effects-Based Operations』(Paul K.Davis著)
『Effects-Based Operations』(Paul K.Davis著)
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火力重視か、機動性重視か

 『The Air Campaign』も『Effects-Based Operations』も英書ですが、戦術・戦略研究は英語圏のほうが進んでいるため、私も英語の本を読むことが多くなります。例えば『 Air Warfare and Air Base Air Defense 』という本は、航空基地の防空(航空作戦ではなく、あくまで「基地の防空」)という非常に細分化されたテーマなのですが、これだけ分厚い本が刊行されています。

『Air Warfare and Air Base Air Defense』(John F. Kreis著)
『Air Warfare and Air Base Air Defense』(John F. Kreis著)
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 『 THE ART OF MANEUVER 』はロシアとウクライナの戦争にも関係するテーマで、陸軍の戦いで「火力を重視すべきか」「機動性を重視すべきか」を論じています。一般論として、陸軍は火力を重視すると戦車などの装備全体が重くなり、機動性が落ちます。しかし、機動性を高めると装備の火力が弱まります。

『THE ART OF MANEUVER』(Robert Leonhard著)
『THE ART OF MANEUVER』(Robert Leonhard著)
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 特に戦車が登場して以来、陸軍ではどちらを重視すべきかという論争が続いています。アメリカ陸軍の場合は火力重視になったり、機動性重視になったりしながら、今は本書のタイトル「MANEUVER(機動)」のように、「どう動かしていくか」に重点を置いています。その決め手となったのは、パナマのノリエガ将軍を捕縛した「ジャスト・コーズ作戦」(1989年)です。この時は陸軍・空軍が連携し、非常に短時間でノリエガ将軍の捕縛に成功しました。これは、戦闘開始直後に相手の指導者への攻撃に成功したまれな例です。

 今回、ロシアは開戦直後にゼレンスキー大統領の暗殺やキーウの包囲など「機動性」を重視したと思える作戦を行いましたが、成功しませんでした。それ以後は「火力重視」に舵(かじ)を切っています。

軍隊がビジネスに学んだ例も

 日本語で書かれた軍事戦略の本を読むなら、『補給戦 何が勝敗を決定するのか』(マーチン・ファン・クレフェルト著/佐藤佐三郎訳/中公文庫BIBLIO)が面白いですね。こちらはナポレオンの時代から第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦まで、数々の戦闘を「補給」という観点から分析した1冊です。

 なぜ世界の中に「戦場」が生まれるかというと、究極的にはそこが砲弾と食料を送り込める場所だからです。要するに川や海があって船で輸送できる、道路や空港があって陸や空からの輸送が容易である、といったロジスティクスが重要なんです。

『補給戦』(マーチン・ファン・クレフェルト著)
『補給戦』(マーチン・ファン・クレフェルト著)
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 ちなみに、アメリカは湾岸戦争の時に大量の補給物資を運びましたが、物資の管理ができず、大量のアイアン・マウンテン(廃棄物の山)を築きました。オンデマンドで必要なところに物資を届けられなかったのです。その後、米軍はフェデックスの物流管理システムを取り入れ、コンテナに何が入っているか、どこに何を届けたのかをデータベースで管理するようになりました。これは軍事がビジネスに学んだ例ですね。

 様々な本を紹介しましたが、「最適な戦略・戦術」は状況によって変わります。ビジネスであれば「素早い意思決定や商品開発」が必要とされる半導体事業なのか、「規制が強い中で、時間をかけてでも安全を重視した商品開発をする」製薬業界なのかで、戦略・戦術はまったく違ってくることでしょう。

 結局のところ、ビジネスでも軍事でも共通に必要なのは「柔軟に局面を読む力」だと思います。

取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝