「素直な心で客観的に世の中を捉え、融通むげな人間になることが、知恵の源泉になる」と松下電器産業(現・パナソニック)を創業した松下幸之助は説きます。松下幸之助の講話集、『 リーダーになる人に知っておいてほしいこと 』(松下幸之助述、松下政経塾編/PHP研究所)を、ベイン・アンド・カンパニー日本法人会長、パートナーの奥野慎太郎さんが読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

正しさを貫き、物事の本質を見る

 本書は松下電器産業(現・パナソニック)を創業した松下幸之助が、次世代リーダー育成のために創設した「松下政経塾」での種々の講話を同塾が編集した講話集です。当初は塾生向けの教材として企画されましたが、塾生を超えたリーダーおよびその候補者によって愛読されています。

 「成功するために知っておいてほしいこと」と「リーダーになる人に知っておいてほしいこと」の2部から構成される本書は、「素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明(そうめい)にします」という言葉から始まります。素直な心で客観的に世の中を捉え、融通むげな人間になることが、知恵の源泉になると、松下幸之助は説いています。

 戦略・戦術などの方法論も大切ながら、まずは正しさを貫き、物事の本質を見ることで、大事を成すための道が見えてきます。逆に自分の主観をもって、自分に都合の良いようにものを見ることは、多くの場合判断を誤らせ、やがて失敗につながります。

 誰の意見も素直に聞き、良いと感じたことは素直に取り入れていけば、皆がその人を応援したくなり、自然と知恵や仲間が集まってきます。どんなものにもこの世に存在する以上は良いところが必ずあるはずです。

 たとえそれが政治信条の異なる相手や競争相手の企業であったとしても、良いものは良いと認めて学ぶことが重要です。そのうえで「むこうさんの品物よろしおます。それもこの(自社製品の)中にちゃんと入ってます」とやれば、自然と商売もうまくいき、世の中が良くなります。それは企業経営にも政治の世界にも言えることです。

 小さなことや知識、あるいは疑念にとらわれず、素直な心で大きく生きること、そしてそれを毎日心に念じ続けることが成功に至る生き方であり、決して恵まれた境遇に育ったとは言えない松下幸之助自身の成功にもつながったのだと、本書は指摘しています。

松下幸之助は松下電器産業(現・パナソニック)を創業した(写真/Shutterstock)
松下幸之助は松下電器産業(現・パナソニック)を創業した(写真/Shutterstock)
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いかに素直な心で事実を捉えるか

 経営コンサルタントの仕事も、素直な心でクライアントの経営課題を聞くこと、先入観を持たずに客観的に事実を見ること、そしてその中から物事の本質を見ようとすることから始まります。もちろん、過去の同一業界あるいは異業種での経験からの示唆は重要ですが、素直な心で事実を捉えることができなければ、それは独善や思い込みとなり、クライアントを誤った方向に導くことにもなりかねません。「個人的な意見」ではなく、コンサルティングファームという組織を代表してアドバイスをするという観点からも、単なる「コメント」ではなく、事実に基づく示唆であることが大切にされます。

 そうした事実分析のほとんどは、つまるところ何かと何かの比較です。過去との比較、市場全体のトレンドと自社のトレンドとの比較、A部門とB部門との比較、競合と自社との比較、顧客の声と自社の認識との比較など、比較の対象や切り口は様々ですが、物事の評価や課題の発見、改善の方向性の指摘は、ほとんどの場合、何らかの比較によるものです。これを「ベンチマーク」と呼んだりもします。競合や市場とのベンチマークは、コンサルタントとしての情報力と調査力が必要とされる部分でもあるため、特にクライアントから依頼されることも多い活動です。

 こうしたベンチマーク調査は、調査そのものも相応の時間と労力を要するのですが、その調査以上に経営コンサルタントとして骨が折れるのは、実は調査結果とその示唆をクライアントに受け入れていただき、問題意識を共有していただくこと、あるいは提言に基づいて行動を起こしていただくことです。

 競合との比較において劣っている部分がある、市場の相場から乖離(かいり)している、過去のトレンドから大きく悪化している、といった調査結果に対し、「そんなはずはない」「比較が間違っているはずだ」という反論が出ることは少なくありません。もちろんそうした指摘にはもっともな部分もあり、それに応えるかたちで調査を深めることでより正確なベンチマークになり、またクライアントとのそうした議論を通じて単なる事実からその本質の解明へと発展することも多いのは事実です。

コンサルタントが行う事実分析は、ほとんどの場合、何かと何かの比較となる(写真/Shutterstock)
コンサルタントが行う事実分析は、ほとんどの場合、何かと何かの比較となる(写真/Shutterstock)
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行動がなければ価値につながらない

 しかし、意思決定への意味合いが変わらない精度にまで調査を細かく突き詰めて時間を浪費したり、反論のための反論のようになってしまったり、あるいは「過去や他社はそうかもしれないが、今の自社は違う」「それは自社の考え方や方針に合わない」というような調査活動そのものの価値の否定に走ってしまったり、という展開に遭遇することもあります。特に誰かの責任を問われかねないような論点や利害が絡む論点、あるいはその示唆を認めることがリストラや経営方針の転換などの難しいアクションにつながりかねない場合は、なおさらその傾向が強くなります。

 我々、経営コンサルタントは調査機関ではありませんから、調査結果を報告しておしまい、ではなく、そこから導き出される経営上の示唆を直言します。また、状況の打破に必要な意思決定やアクションを提言するのですが、そうしたアドバイスも最終的にクライアントに腹を決めてもらい、行動を起こしていただかなければ実際の価値にはつながりません。もちろん、経営コンサルタントの助言がすべて正しいわけではありませんし、クライアントの組織内にはコンサルタントには見えない難しい事情がたくさんあることも事実です。ただ、素直な心で意見を聞き、良いと感じたことを素直に取り入れることのできるリーダーに起用していただけない限り、経営コンサルタントがその価値を十分に発揮できないことも、また事実です。

当たり前ともいえるメッセージの重み

 もっとも、素直な心で意見を聞き、良いと感じたことを素直に取り入れることができない場合の損失は、経営コンサルタントのような外部の活用だけでなく、社内のあらゆるコミュニケーションにも言えることです。

 昨今のニュースでも取り上げられるような企業の業績悪化やスキャンダルの話題も、関連するデータを客観的に比較すればどこかにいびつさが生じます。顧客や取引先からの指摘もあるでしょうから、コンサルタントを起用しないまでも、早い段階で気づいていた人が社内外にいたということも少なくないでしょう。

 法外な高値での企業買収や合併、無理な業容拡大や流通への在庫の押し込みなど、素直さと客観性を維持していれば容易に避けられるような事象も起きてしまうことが経営の怖さであり、逆に松下幸之助のおよそ当たり前ともいえるメッセージの重みでもあります。

 また、ギャップが拡大する世代間の知恵や知識の伝承にも、お互いの素直さと柔軟性、客観性が必要です。医療や健康状態の改善により、先進国を中心に従来であればリタイアしていたような60歳以上の人材がまだまだビジネスの前線で活躍できるようになっています。

 その一方で、交流サイト(SNS)の「フェイスブック」や無料対話アプリ「LINE」、配車サービス「ウーバー」など、20年前にはまだほとんど知られていなかった、または存在すらしなかった会社やサービスが市場を席巻し、そうした会社のリーダーが経営者の平均年齢を押し下げる現在では、経験を積んだシニア世代の知恵や知識、ノウハウ、価値観などをいかに次の世代につなげていくかが、これまで以上に難しくなります。昔ながらの「俺が若いころには」節では「上から目線」と言われて受け入れられません。

 世代を超えた建設的な対話を可能にするのも、双方の素直さと柔軟性、すなわちシニア世代はデジタル世代から学び、デジタル世代もシニア世代から学ぶという姿勢と、その根底にあるべき知的好奇心なのです。そういう意味でも、この松下幸之助の教えは、まさに現在に生きる我々に今日的な新しさで警鐘を鳴らしてくれているのです。

『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』の名言
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