松下政経塾には、松下電器産業(現パナソニック)を創業した松下幸之助のリーダーシップ論を集約した「五誓」と言われる言葉があります。ここでは、そのうちの3つを取り上げます。松下幸之助の講話集、『 リーダーになる人に知っておいてほしいこと 』(松下幸之助述、松下政経塾編/PHP研究所)を、ベイン・アンド・カンパニー日本法人会長、パートナーの奥野慎太郎さんが読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

松下政経塾の「五誓」

 素志貫徹の事、自主自立の事、万事研修の事、先駆開拓の事、感謝協力の事。松下政経塾の「五誓」と言われるこれらの言葉に、松下幸之助のリーダーシップ論は集約されています。

 素志貫徹、すなわち初志を貫くことが、結局は成功の可能性を高める道であり効率的であると、松下幸之助は自らの体験から結論づけています。初志を貫く中で遭遇するであろう苦労や苦難、心配は、リーダーとしての宿命です。成功を得るために代償を払ったり、辛抱を強いられたりすることは当然で、そうした辛抱も生きがいと感じられる人が成功します。逆に多少の苦労や困難もない人生は寂しいものです。

 まずは初志を持つこと、そして今日ほど成功しやすい時代はないと思って勝つまで努力を続けることが大切です。

 自主自立とは、何事も自らの熱意が基本であるという教えです。新たな発想や着想は熱意を持って考え抜いたときに浮かぶものであり、幸運や縁も待つのではなく自らつかみにいくものです。そういう人の言葉は他人にも突き刺さります。進退が窮(きわ)まれば人は強く、力を発揮できていない人はまだそこまで自らを追い込んでいないのだと、松下幸之助は諭します。

 そして万事研修とは、成功のための教訓は至る所にあるという教えです。行儀作法、挨拶や掃除など日常の所作はすべての基本であり、これらをおろそかにして成功はありません。こうした基礎的なことを精魂を込めてやり続けることは極めて難しいことです。したがって、それが人を育てることにつながります。

 顧客や取引先に接する際にも、相手が感動するような手紙を書く、かゆいところに手が届くサービスをさせていただく、そうしたことを通じて人の機微を学んでいくのです。自分に面白くないことでも、誰かの役には立っているということを忘れずに、先のことのために今日のことをおろそかにしないこと。それがリーダーの基本なのです。

事業の成功の確率を最も高めるには

 この道を進むと決めたら、成功するまで努力をあきらめずにそこでのリーダーシップを獲得することの重要性は、第2回「 松下幸之助 成功するまであきらめない 」でもご紹介したとおりです。「もうかりそう」な事業を求めてふらふらとしていては、事業としても個人としても、いつまでたっても大成しません。素志貫徹、自主自立の精神で自らのコア事業を磨き続けることが、愚直なようで多くの場合、最も成功の確率を高めることになります。

この道を進むと決めたら、成功するまで努力をあきらめない(写真/Shutterstock)
この道を進むと決めたら、成功するまで努力をあきらめない(写真/Shutterstock)
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 もちろんこうした教えは、新規事業展開を否定するものではありません。産業のライフサイクル上のステージの変化に対応し、また活発な起業家精神を失わないようにするためにも、新規事業開発が必要な場合もあるでしょう。ただしそうした中でも、素志貫徹、自主自立という原則は、既存コア事業で培った自社の強み、すなわちコア事業の差異化の源泉を磨くことを忘れず、新規事業展開においても市場の伸びや収益性などではなく、そうした自社特有の強みやケイパビリティー(組織の持つスキル・能力)を生かせる事業に進出すべきである、と我々に教えているのではないでしょうか。

 また、万事研修の精神は、経営者を常に謙虚にさせ、現場や顧客から学び続ける姿勢をもたらしてくれます。これは、創業経営者である松下幸之助ならではの、創業の精神の大切さを教える考え方と言えるでしょう。

「創業メンタリティー」の喪失

 どんな経営者もその創業期にあっては、既存製品・サービスに対する問題意識から始まり、新たに自らが市場に投入した製品・サービスが顧客からどのように受け入れられるのか、現場の社員はどう感じているのか、といった最前線の情報に非常に敏感です。規模や人材、資金等で劣る新興企業が大企業に対して優位に立てる部分があるとすると、こうした現場と経営者の距離感の近さと、そこから学び意思決定しようとする経営者の姿勢が大きいでしょう。

 松下幸之助に限らず、本田宗一郎や井深大、盛田昭夫など、昭和を代表する起業家はいずれも現場との距離感が近く、そこから謙虚に学びチャレンジし続ける精神を最後まで大切にした人たちでした。

 しかしながら、企業が大きくなり、優秀な社員が増えてくると、経営者と顧客・現場の間に階層が増え、様々なルールが意思決定の柔軟さを縛るようになります。経営者は顧客や社員の顔が見えなくなり、組織全体としても責任が不明確になり、社員は顧客や現場から学ぶことよりも社内の力学やルールを学ぶことに焦点を当てるようになりがちです。事業の成長スピードが人材の成長スピードを質・量ともに上回り、いわゆる「規模の経済」が得られるのと引き換えに、「創業の精神(創業メンタリティー)」が失われて、やがて企業の活力をむしばんでゆきます。

組織の目線を社外・顧客に向ける

 残念ながら、20世紀以前に創業され、カリスマ的な創業者に率いられて一時は世界を席巻した日本を代表する大企業の多くが、このパターンにはまって活力を失い、事業価値や雇用の喪失を招いています。こうした成長の罠(わな)を脱し、事業規模から得られる強みを生かしつつ創業の精神を取り戻して企業を再活性化するためのヒントの1つが、経営者と顧客や現場との距離を縮め、そこから企業が学び続けられるメカニズムを再確立することです。

 それも過度に指標化・平均化された「製品満足度何点」「営業満足度何点」といったスコアだけでなく、自由記述コメントやインタビューなどの生の声に耳を傾け、分析することが重要です。

 顧客や現場からのフィードバックで得られる示唆には、製品・サービスの革新につながるような抜本的な気づきだけでなく、あいさつや礼儀、わかりやすい説明などの基本的なことも多く含まれることでしょう。ただそれらをいわゆる「クレーム処理」と捉えず、経営者あるいは企業全体としての「学習機会」と捉えることで、組織の目線を社外・顧客に向け、企業の進化を促すことができるのです。まさに松下幸之助の言う万事研修の精神が、大企業病への1つの処方箋となるのです。

『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』の名言
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