打球や投球を精密に計測するトラッキングなど様々なビッグデータの登場により、野球が大きく変わり始めています。日本のプロ野球球団やメディアなどに精緻なデータを提供してプレーの分析を行う企業、データスタジアムの山田隼哉アナリストに詳しく聞きました。キャッチャーの評価を一変させる技術の発見など、データ活用の威力が分かる本も紹介します。

なぜ打率より出塁率が大事なのか

前回 「WBC開幕 メジャーリーグはなぜ極端な守備シフトを敷くのか」 で、メジャーリーグの全球団が「セイバーメトリクス」を活用していると伺いました。セイバーメトリクスは、野球を様々な角度から数値化して統計的に分析し、選手を評価したり、戦略立案に役立てたりするものとのことですが、日本のプロ野球の球団は活用していますか。

 メジャーリーグよりは遅れていますが、日本でも活用していない球団はありません。今や出塁率より打率を重視している球団はないでしょう。多かれ少なかれ、セイバーメトリクスを意識した選手補強や育成をしているはずです。

 中でも活用が進んでいる球団を挙げるなら、東北楽天ゴールデンイーグルスでしょうか。選手の獲得や評価もセイバーメトリクスに基づいているし、選球眼を良くして出塁率を上げ、得点を増やすことにも取り組んでいる印象です。実際、フォアボールによる出塁も多いですね。

 セイバーメトリクスの考え方については、私たちの著書『 野球×統計は最強のバッテリーである セイバーメトリクスとトラッキングの世界 』(データスタジアム株式会社著/中公新書ラクレ)で解説しています。基本的な指標を網羅して、それぞれ計算方法と意味を解説しており、入門書として読んでいただけると思います。

『野球×統計は最強のバッテリーである』はセイバーメトリクスの基本を学ぶことができる
『野球×統計は最強のバッテリーである』はセイバーメトリクスの基本を学ぶことができる
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そもそもなぜ打率より出塁率のほうが重要なのでしょうか。

 野球というスポーツを端的に表現するなら、「3つのアウトを取られるまでに、ランナーを本塁に返すゲーム」です。したがって、攻撃側にとって重要なのはアウトにならないこと。そこでバッターとしては、打率以前の問題として、まず「アウトにならないこと」が求められる。その確率が出塁率です。

 一方、ピッチャーはとにかくアウトを積み重ねることが求められます。それも野手の力を借りず、つまりエラーなどのリスクを排して1人でアウトを取るには三振を奪うしかありません。そこで、ピッチャーの力量を測る指標として、奪三振率が重要になります。これは「安全にアウトを取れる力」と言い換えることができるでしょう。

 他にも、セイバーメトリクスには様々な指標があります。いずれもデータにロジックを組み合わせ、選手の能力やプレーをできるだけ客観的に評価する目的で生み出されました。それを基に戦略や戦術を考えれば、より得点の確率を高めたり、もしくは失点の確率を抑えたりできるだろうというわけです。

トラッキング導入で大化けする選手も

この本の後半では、打球や投球、野手の動きなどを精密に計測するトラッキングについて詳しく説明しています。日本でも、プロ野球の全球団の本拠地球場でトラッキングデータを取れるようになりました。野球にどのような影響を与えそうでしょうか。

 すでに変わってきています。特に、ピッチャーが投げるボールの解析はかなり進みました。今までは、映像を見て「キレがいい」とか「伸びがある」などと感覚で評価することが主流でしたが、それでは見る人によって評価が違ってきますよね。あるいは、空振りを取れたとか被安打が少なかったという結果から、後付けで「いいボールを投げていた」と評価する程度でした。

 しかし、トラッキングデータを使えるようになったことで、全球を数値で把握できるようになりました。この回転数、この回転軸、この速度で、このコースに投げられたボールは、統計的にこれぐらい打たれないということを、定量的に評価できる。そのデータを積み上げることで、「だからこのピッチャーは打たれにくい」と言えるようになったわけです。感覚に頼るより、ずっと正確な評価ができることは間違いありません。

「ピッチャーが投げるボールの解析はかなり進みました」と説明する山田さん
「ピッチャーが投げるボールの解析はかなり進みました」と説明する山田さん
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そうすると、選手の練習方法にも変化があるのでしょうか。

 変わりましたね。データを見ながら練習するのが基本になっています。選手自身が客観的に自己分析できるので、「今度はこうしてみよう」と課題を見つけることができる。これはかなり大きな変化でしょう。

 以前のピッチャーは、試合で投げた結果を見て、次の試合に向けて対策を立てて練習するというサイクルで成長していました。言い換えるなら、試合で投げてみないと分からないとか、1軍で1年間投げてみないと課題が見えてこないという状態だったわけです。

 しかし、トラッキングデータを使えば、練習で1球投げるごとに数値を確認し、課題に取り組むというサイクルを回すことができる。極論すれば、試合に出なくても効率的な改善が可能ということです。倍速どころではないスピードの違いがあるわけで、それだけ選手の成長も速くなると思います。

大きく化ける選手も現れそうですね。

 そう思います。実際、アメリカでは「プレーヤー・ディベロップメント」という言い方をしています。データ分析の力を借りることで、選手の能力を急速に高めることができる、と。日本でもこれから期待できそうです。

選手を指導するコーチの意識改革も必要になりそうですね。

 確かに必要だと思います。自分たちの現役時代には存在していなかったツールや情報を扱いますから。まず数値の意味を勉強しないといけないし、常に情報をアップデートすることも不可欠です。それらを共通言語にして、選手とコミュニケーションを取らないといけません。

 ただ、今の現役選手がコーチになる頃には、そういう苦労もないでしょう。今はちょうど過渡期なので、コーチの方々は大変かもしれません。

トラッキングデータが発見したスキル

トラッキングデータが取れるようになったことで、他に分かったことはありますか。

 キャッチャーがピッチャーの投球を捕る際の技術、「フレーミング」があります。前回ご紹介した本『 ビッグデータ・ベースボール 20年連続負け越し球団ピッツバーグ・パイレーツを甦らせた数学の魔法 』(トラヴィス・ソーチック著/桑田健訳/KADOKAWA)には、これもピッツバーグ・パイレーツ躍進の大きな一因になったと紹介されています。

『ビッグデータ・ベースボール』ではフレーミングの効果が紹介されている
『ビッグデータ・ベースボール』ではフレーミングの効果が紹介されている
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 フレーミングとは、ストライクゾーンのギリギリに来たボールを、うまくキャッチングすることで審判からストライクコールを引き出すテクニックです。以前から、こういうことを意識していたキャッチャーはいたでしょう。例えば、東京ヤクルトスワローズで活躍した古田敦也さんはうまかったですね。

 しかし、フレーミングがどこまで有効なのかは分からなかったため、重要視されてきませんでした。むしろ審判を欺く行為になりかねないということで、さほど積極的には取り組んでこなかったのかもしれません。

 その風潮を変えたのが、トラッキングデータによる分析です。精密にボールの軌道を追跡できるので、実際にストライクだったかボールだったか、そして審判がどう判定したかをすべて記録できます。これをキャッチャーごとに分析すれば、誰がどれだけボールをストライクと判定させたか、もしくはストライクをボールにしてしまったかが分かるわけです。

 その結果、個人差が極めて大きいことが判明します。『ビッグデータ・ベースボール』によれば、メジャーリーグにはフレーミングだけで1年間に30点も失点を防いでいたキャッチャーもいれば、逆に15点も献上していたキャッチャーもいたそうです。この数字も驚きですが、データ分析によってこういうスキルがあることを発見したのが素晴らしいと思いますね。

 パイレーツの活躍もあって、フレーミングはすっかり市民権を得ました。日本のプロ野球でも、最近はキャッチャーがフレーミングという言葉を発する機会が増えましたね。

日本のプロ野球でフレーミングのうまいキャッチャーは誰ですか。

 大城卓三選手(読売ジャイアンツ)とか、中村悠平選手(東京ヤクルトスワローズ)、それから梅野隆太郎選手(阪神タイガース)、木下拓哉選手(中日ドラゴンス)らですね。映像を見ていても「うまいなあ」と思うし、実際にデータでも高い数字を出しています。

そのうちフレーミングしやすいキャッチャーミットが開発されたりするのでしょうか。

 あり得るかもしれないですね。もしキャッチャーミットの形状によっても審判の判定が変わるということが分かれば、研究開発の対象になるでしょう。おそらく他球団にバレないように、メーカーと組んで極秘裏に進めると思います。このあたりは早いもの勝ち、やったもの勝ちなので。

今後も、フレーミングに続くような新たなスキルが発見されるのでしょうか。

 可能性は十分にあります。メジャーリーグでは、各球団がそういうものを早く見つけて他球団を出し抜こうと競い合っている状況です。球団内のアナリストやエンジニアたちが、やはり極秘裏に日々躍起となって分析を進めていることでしょう。

「今後、新たなスキルが発見される可能性は十分にあります」
「今後、新たなスキルが発見される可能性は十分にあります」
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取材・文/島田栄昭 写真/鈴木愛子