ミステリの名手であり、ホラーや純文学なども手掛ける芦沢央(よう)さんのエッセイ連載。前回(参照:小説を書く仕事をしているのに「お母さんの話つまんない」と言われた話)は、自分の子どもに「お母さんの話つまんない」と言われてしまった話でした。今回は、出版社勤務時代に自己啓発的な本を500冊は読んだのに、「できるビジネスパーソン」にならなかった、という話です。(編集部より)

仕事の役には立たないエッセイ
皆様お気づきだろうか。
このエッセイ連載の末尾には、記事を評価する投票アイコンがあることに。気づいていたしこれまでの回でも投票してきたよという方、ありがとうございます。あなたは偉人です(編集部注:この記事の初出は「日経ビジネス電子版」です)。
私はこれまでオンライン上で記事を読む際、こうした投票を気にしたことが一度もなかった。視界に入ることはあっても、自分に無関係の文字面として素通りしてきたからだ。
言うまでもなく、この評価システムは主に著者や編集部のためのものである。
読者は記事を読んでどういう感触を得たのか、どこに最もメリットを感じたのか。感想を文章としてしたためるよりは気楽な選択式によって読者の反響をつかめれば、次の記事を書く際に参考にできるし、編集部も編集方針を立てやすい。また、投票結果を見た読者がそのメリットを期待して記事を全文読もうと決めてくれる可能性もある(投票結果は会員登録しなくても見られる)。
ただ、初めて自分のエッセイが掲載されてこの投票アイコンを見たとき、私が感じたのは戸惑いだった。
〈仕事に役立つ〉
〈新たな気付き〉
〈もっと知りたい〉
ん? これ、当てはまるものある?
他の記事を開いてみると、どの記事にも同じ投票アイコンが並んでいる。どうやら、これは日経ビジネス電子版の仕様らしい。仕事に役立つ情報が書かれていそうな記事は、〈仕事に役立つ〉にたくさんの票が投じられている。
さて、それでは私のこれまでのエッセイの評価はどうか。
現時点ではまだ第5回が公開されたところだが、毎回〈もっと知りたい〉が最多得票のようだ。次点が〈新たな気付き〉、〈仕事に役立つ〉は常に最下位である。日経ビジネス電子版なのに……!
しかし、客観的に考えてこの結果は妥当だろう。むしろ、私のエッセイの内容で〈仕事に役立つ〉に最も投票されていたら、メインの読者は各版元の担当編集者なのではないかと疑っていたところだ(小説家である私が「どうして〆切ギリギリにならないと仕事ができないのか」と分析している文章などは、私の担当編集者にとってはまさに仕事に役立つ情報だろう)。
「役に立たない」がちょっとうれしい理由
そもそも、こうした投票型での記事評価は、読者の感想を正確に反映しているわけではない。ほとんどの読者は、「この中なら……強いて言えばこれかなあ」というくらいの感覚で選んでいるはずだ。この投票アイコンが日経ビジネス電子版の全記事共通の仕様である以上、それぞれの記事に沿ったドンピシャの感想が選択肢にあるとは限らないからだ。
だが、では投票結果にあまり意味がないのかというと、そうでもない。得られる情報はいくつもある。
まず、〈仕事に役立つ〉は〈新たな気付き〉〈もっと知りたい〉よりも明確な選択肢であるため、読者は「仕事に役立ちそう」と感じたならこれを選ぶだろう。〈新たな気付き〉は、「仕事の役に立つとまでは言えないけれど、新たな視点を得た」ときに選ぶ。
そうなると、〈もっと知りたい〉は消去法で選ばれている可能性が高い。仕事の役には立たない、新たな気づきが得られるわけでもないとなれば、〈もっと知りたい〉を選ぶしかない、というわけだ。
(いや、他の記事を読んで分析したわけではない以上、普遍的な結論として言い切ってしまうのは乱暴すぎる。もちろん、「仕事にも役立つし新たな気づきも得たけど、もっと知りたい気持ちが一番強い」という場合にも、〈もっと知りたい〉が選ばれることはある。ただ、あくまでも私のエッセイ連載に限って言えば、「もっと知りたいくらいしか選びようがないだろうなあ」と我ながら思ってしまうという話だ)
もう一点、投票結果において重要なポイントは総投票数である。
ドンピシャに当てはまる選択肢がなければ何も選びたくない、という読者も一定数いることを考えると(私もそのタイプだ)、読まれた回数とイコールではないものの、総投票数は概ね記事の人気度と比例しているはずだ。
つまり、〈もっと知りたい〉の多さは、特に明確なメリットを感じていないにもかかわらず読んでくれている読者がたくさんいる、ということでもあるのだ。
――と、ここまで書いた文章を読み返してみて気づいた。
私は「日経ビジネス電子版での連載なのに仕事の役に立たない」ことを自虐的に書いているつもりだったが、どうも自虐になっていない。それどころか、むしろどこか誇らしげな色さえ滲(にじ)んでいる。
「芦沢央のひとり反省会」というタイトルのエッセイ連載で、第1回から自分のダメ人間っぷりについて書き続けてきたのに、今回は何も反省していないしダメ人間っぷりについても書いていない……!
だが、「タイトル詐欺じゃないか!」と怒るのはちょっと待ってほしい。
もう少しすれば、ちゃんと(?)私がダメ人間な話に繋がっていく。
私がなぜ、自分の文章が「役に立たない」と評されて喜んでしまうのかと言えば、教訓めいたことや自己啓発めいたことは書きたくないからだ。
自己啓発書はわかりやすすぎる
芦沢のダメ人間っぷりを見ていると気が楽になる、という意味で役に立てるのならいい。なるほど、こういうふうだとダメ人間になってしまうんだな、と反面教師にしてもらうのも恥を晒した甲斐がある。けれど、現状、事務能力が死んでおり、立食パーティーに行けば挙動不審になり、スピーチはまともにできず、どこに行くにも迷子になり、仕事の優先順位はつけられず、雑談もままならない私が、「こうすれば上手くいく」という方法論を語ったところで説得力が皆無だ。
実のところ、私は「できるビジネスパーソンになるための方法論」に関する知識自体は、おそらく人一倍持っている。何を隠そう、私が勤め人時代、編集者として担当してきた本のほとんどはビジネス書や自己啓発書なのである。
もはや時効だと思うので正直に言ってしまうと、入社前はそうした本を読んだことがまったくなかった。読むのは専ら小説かノンフィクションで、小説家になりたいという夢を抱きながらも大学在学中にデビューは果たせなかったため、何とか本に関わる仕事がしたいと思って出版社を片っ端から受けた結果、内定が出たのが主にビジネス書や自己啓発書を刊行している会社だったのだ。
どういう本作りをすればいいのか見当もつかなかった私は、それらのジャンルで名著とされる本や当時の流行書などを読み漁った。少なくとも500冊は読んだはずだ。ビジネスマナー、時間管理術、仕事哲学、コーチング、メンタルマネジメント――様々な本を読んで、当然「できるビジネスパーソン」になっていなければおかしいくらいの知識を蓄えた。
それなのに、500冊も自己啓発的な本を読んでおいて、これっぽっちも自己啓発できていないのだ!
はい、ちゃんとダメ人間な話に繋がりましたね……
では、なぜ私はどれだけ知識を蓄えようとできるようにならないのか。
それは、私にとってビジネス書や自己啓発書はあまりにわかりやすすぎるからなのだった。
即効性のない物語の方が染みてくる
それらの本は、できるだけ誰が読んでもわかるように作られている。内容を端的に言い換えた見出しをつけ、重要な箇所は太字にし、さらに念押しのようにそれぞれの項目のポイントをまとめていたりする。目次を眺めるだけ、パラパラとページをめくるだけでも、何らかの「新たな気づき」が得られるようにできている。
ビジネス書や自己啓発書を読んでいると元気が出る、という人は少なくないだろう。読んでいるだけで、自分が変わっていくような気持ちになれる。正しく自己啓発している気分になれる。
そうなるように作られているからだ。
もちろん、そこで得た「新たな気づき」を元に、現実の行動を変えて踏み出していく人もたくさんいるだろう。けれど私は、わかったような気持ちになるとそれで満足してしまう人間なのだった。
数日は本に書かれていた内容を意識していても、いつのまにか忘れてしまう。私にとって「わかったこと」は、それ以上考える必要のないことだからだ。
逆に言えば、私は「わからないこと」は延々と考え続けてしまう。
たとえば、私は高校3年生の頃にアメリカ同時多発テロ事件が起こったことで、自分が中東の歴史や情勢について何も知らないことを自覚した。そこで大学は史学科に進んで中東史を専攻したのだが、4年間学んでもよくわからなかったため、その後20年経った今も論文や専門書を読み続けている。
私が小説で書く題材も、自分にとってわからないことばかりだ。夢のあきらめ方がわからない。現実の社会問題について、何をどう考えればいいのかわからない。最悪の状況に追い詰められたとき、自分が自分の信じる正しさを守れるのかわからない。
わからないからこそ、物語を書きながら探っていく。書き終わっても答えが出ていないことはよくある。それでまだ考え続ける。考え続けている限り、忘れることはない。
つまり、私は即効性のある薬のような方法論は効かず、すぐには咀嚼(そしゃく)しきれない物語の方が長く噛み続けるため、最終的には染みてくるタイプなのだ。
このエッセイも、私自身が明確な解決策を見つけられていないことばかりをテーマにしている。だから、「おすすめの克服法」のような、読者の役に立つ情報は書かれていない。立食パーティーやスピーチや雑談が苦手だという話でも、なぜ苦手なのかを延々考えているだけだ。
何一つ解決していないため、私のひとり反省会は今後も続くだろう。反省し続けることによって、いつかじわじわと効いてくることを願いながら……
[日経ビジネス電子版 2026年3月19日付の記事を転載]