米メジャーリーグでは打球・投球・守備などあらゆるデータが収集され、データを基に各球団は、戦術を練り、選手のパフォーマンス向上に生かす。その手法は、脳科学や心理学、物理学などさまざまな領域に及ぶ。最近では、球団や選手個人によるテック投資も。米在住スポーツライターの丹羽政善さんに聞く3回目。
脳科学の知見使いパフォーマンス向上目指す
メジャーは今データ全盛期です。邦訳はまだありませんが『 The Performance Cortex: How Neuroscience Is Redefining Athletic Genius 』(Zach Schonbrun著)という書籍は、一流アスリートの天才的なパフォーマンスを脳科学の視点から解き明かしていて、現代スポーツのデータ化の流れが理解できます。
これまでスポーツ選手の卓越したスキルは、筋肉など身体的な能力と結びつけて考えられていましたが、この本では脳の高度な情報処理能力によって支えられていると説明しています。
第1回 でメジャーの選手は、ソフトボール選手が投げる球を初見では打てないという話をしました。脳にインプットされていない軌道だから打てないのですが、逆に言うと、軌道さえ知っていれば打てるわけです。ですから、選手はその日対戦する先発ピッチャーの球を、試合前に何度も繰り返し「見て」脳に記憶させておけば、打席に立った時に打てる、という理論が紹介されています。
また、打者に脳波測定器をつけて、バッティング時にその球を打つのか見送るのかの判断が、脳のどの部分でどう行われているのかという検査をして、少しでも早い段階で球種を見抜けるようにするトレーニングをしている、というエピソードも取り上げられています。
収集できるデータが増えたことで、メジャーでは今、脳科学の分野からのアプローチでパフォーマンス向上につなげていこうとする動きが出ているのです。
メンタルコーチもベンチに常駐
メジャーではメンタルも非常に重視されています。『 野球の90%はメンタル 』(ボブ・テュークスベリー、スコット・ミラー著/神保哲生訳/春秋社)は、メンタルの重要性と具体的なコントロール方法について紹介しています。米国では2018年に出版されましたが、野球界でメンタルにスポットを当てたのは、おそらくこの本が最初だと思います。
従来の野球界では「くよくよしているような連中は大成しない」といった風潮がありました。1980年代半ばから90年代に入ると、それは少し違うのではないかという考えが出始め、パフォーマンスとメンタルとの関係が注目されるようになってきました。
今では、ベンチにメンタルコーチがいるところは珍しくありません。試合中いつでも選手のフォローができる環境になっています。極端なところでは、試合前に悩みを抱えている選手がいたら、メンタルコーチが昼寝をする部屋に選手を寝かせて、催眠療法的な手法で選手の気持ちを落ち着かせるなどのケアをしています。今のメジャーは選手のメンタル面にも非常に配慮しています。
メジャーの監督は「中間管理職」
『 野球の90%はメンタル 』の共著者であるスコット・ミラーは昨年5月、監督に関する書籍『 Skipper: Why Baseball Managers Matter and Always Will 』を出版しました。この中で彼は、今のメジャーの監督は「中間管理職」だと指摘しています。
日本のプロ野球の監督は今でも権限や発言力を持っていて、出場選手や打順の決定などを監督自身の考えで行っていると思います。ところがメジャーでは、監督自身が打順を決められるケースはおそらく半分もありません。
決めているのはもっと上の人間、GM(ゼネラルマネジャー)です。試合前におおよそのシミュレーションが出ているのでGMはそれを基に出場メンバーやピッチャー交代の順番を決め、それを監督に指示します。監督はその指示を選手に伝えますが、内容に不満のある選手は当然、監督やコーチに文句を言います。監督は上からも下からも板挟みになり、まさに中間管理職のような状況です。
例えば、ナショナルズのブレイク・ブエラ監督は33歳と非常に若いのですが、メジャーでは選手よりも若いような監督が増えています。それはGMが自分の言うことを聞いてくれて、扱いやすい監督ばかりを採用するようになったからです。選手時代の実績はそれほど重要ではなく、自分の考えたプランを実践してくれる監督でありさえすればいいということです。昔とは監督の役割が変化してしまったということが、この本には書かれています。
シーズンオフに物理の講義
監督に求められることは、他にもあります。シーズンオフになるとチームに物理学の先生がやって来て、監督やコーチに講義を行います。ボールがバットに当たった時、どのような力が働き、距離にどう影響するのかなど、これまで考えたこともなかったようなことまで理解しなければいけません。そうでなければデータの意味するところが分からず、選手にも伝えられないからです。
中日ドラゴンズで活躍したアロンゾ・パウエルが、ヒューストン・アストロズで打撃コーチをしていた頃、毎年1月の終わりになると物理の講習があってそれがすごく大変だという話をよくしていました。
昨年、長打が出やすいと「魚雷バット」が話題になりましたが、これにも物理学が応用されています。考案者はもともと大学の物理学者で、現在はマイアミ・マーリンズのフィールド・コーディネーターを務めるアーロン・リーンハートです。彼は選手それぞれのコンタクトポイントが違うのに、なぜバットの芯はどれも同じ位置にあるのかという疑問から、芯を手前にしたバットを開発しました。昨年の夏には、イリノイ大学のアラン・ネイサン物理学名誉教授による効果の検証が行われました。
スポーツテック領域に球団や選手が投資
メジャーでは球団が、選手のパフォーマンス向上のために、新しい技術やテック企業に積極的に投資をしていく動きがあります。技術を開発する企業側にとっては、資金が調達できる上に、球団と組むことでサンプルやフィードバックが得られます。そこからどんどん改良して完成した製品をいろいろなチームに販売すれば会社は大きくなり、結果的に球団も投資を回収できるという流れです。
シカゴ・カブスはトロントのベンチャー企業に投資をしています。この企業が開発した「トラジェクトアーク」という打撃練習マシンに目を付けたのです。トラジェクトアークは従来のマシンではできなかった、ボールの「ジャイロ成分(回転軸など)」の再現を可能にしたことで、あらゆる投手の軌道がほぼ正確にコピーできます。今ではメジャーの多くの球団が導入しています。
日本の企業も頑張っています。野球のデータ分析を手がけるネクストベースは、指先の緻密な動きが分かるモーションキャプチャーを開発しました。投球動作の分析により、選手のパフォーマンス向上やけがの回避につなげられることから、やはりカブスがこの技術に注目し、サポート契約を結んで開発費の援助を行っています。
スタートアップのKnowhere(ノーウェア)は、投球シーンを撮影するだけでボールの軌道の変化量などが分かるスマホのアプリ「スマートスカウト」を開発しました。そのアプリにメジャーで最初に目を付けて導入を契約したのがテキサス・レンジャーズです。日本では、元プロ野球選手の斎藤佑樹はじめ、現役の選手も出資しています。
投資の対象はヘルスケア関連にも広がっています。ドジャースのフレディ・フリーマンやエンゼルスのマイク・トラウトはリカバリーベッドに投資をし、宣伝にも関わっています。球団ではなく現役の選手個人が投資をするというケースも増えています。
スポーツテックはまだこれからも、いろいろな分野から出てくる可能性があります。各チームは、少しでもアドバンテージを取るために、どこよりも先に新しい技術に目をつけて投資をし、選手のパフォーマンス向上に生かす形で回収していく、という流れはしばらく続きそうです。
米在住スポーツライター
文/橋口いずみ 構成/細谷和彦(日経BOOKプラス編集) 書籍写真/スタジオキャスパー

