人間の仕事がAI(人工知能)により奪われる——そうした言説がささやかれるようになって久しい。だが実のところ、あなたの周囲にまだAIは導入されていないのではないだろうか。“AIに雑事を任せて本質的な仕事に集中する人”は一体いつになったら現れるのか。小説家(「『このミステリーがすごい!』大賞」大賞受賞)、AI研究者(東京大学・松尾豊研究室出身)、経営者(マネックスグループ取締役)の3つの視点から山田尚史氏がアドバイスする『きみに冷笑は似合わない。 SNSの荒波を乗り越え、AI時代を生きるコツ』(日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

“AIのいる職場”は絵に描いた餅

 技術の急速な発展により、ほとんどの頭脳労働はAIによって実行可能となっている。結果として、人が行う仕事はどんどん減っていく、ないし、変わっていくはずだ。社会でも、AIが仕事を奪う、あるいはAIが仕事を効率化するという未来は皆が想起する有力な将来像であり、程度の差はあれ、そうした変化は必然のように思える。

 にもかかわらず、周りを見渡してみても、あなたの周囲でAIは導入されていないのではないだろうか?

 この問いに「いや、私の周りでは次々と導入されている」と答えられる人は幸運だ。あるいは、個人で活用している人は目に留まるかもしれない。しかし、こと法人において、ほとんどの職場では自分の部署でも隣の部署でもAIを見かけないのではないか。雑用はAIに任せてもっと高度な仕事に着手している人というのは、おとぎ話のようなもので、実際には見かけたことがない。これは一体、どういうことだろう。

 実のところ、企業によるAIの導入は、放っておけば自然に進むものではない。その理由として、以前であれば、技術的に実現できないから、コストが割に合わないから、ということが大きかった。しかし、昨今の技術進歩により、AIの利用料はぐっと低くなったし、一方でできる仕事はずっと増えているから、それが一番の理由というわけでもない。

 私の考えでは、AIの導入が進まない一番の理由は、従業員にとって、AIを導入するインセンティブが存在しないからである。いや、より正確に言うと、AIを導入することに対して、多くの従業員に負のインセンティブが存在するからである。

AI導入、やれと言われてやれますか?

 仕事に対しては様々な態度があり、自分の能力を高めていくことが目標の人もいれば、一定の作業をこなして日々の賃金を受け取るのが目的の人もいる。ベンチャー企業であれば前者にあたる人が多いと思うのだが、世の中全体で見てみると、後者の人も多いように感じている。しかも、退屈すぎない範囲でなるべく楽をして、より高い賃金を得られる仕事ほど望ましいという意見を聞くことすらある。

 そういうメンタルの人にとって、AIを導入して自分の仕事を置き換えるということは、進歩というより脅威に映る。AIで自動化をした結果、自分の仕事がなくなり、より難しい仕事が割り当てられるかもしれない。部署に必要な人数が少なくなれば、解雇には至らないまでも、より人手が必要な部署に配置転換させられるかもしれない。何より、AIの導入自体が簡単ではないひと仕事であって、そんなことに挑戦するのは面倒だ。失敗すれば責められ、自分の失点になるかもしれない。

企業のAI導入はなかなか進まず、人の仕事が奪われるような事態はほとんど起きていない(写真:metamorworks/stock.adobe.com)
企業のAI導入はなかなか進まず、人の仕事が奪われるような事態はほとんど起きていない(写真:metamorworks/stock.adobe.com)
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 日本企業でイノベーションが生まれにくい理由には諸説あるが、まことしやかにささやかれていることの一つは、日本は減点方式であり、チャレンジングな課題を設定して失敗するよりも、無難で少し難易度の低い目標を掲げて達成していく方が人事評価の評点が高い、というものだ。それが正しいとすれば、有意義ではあるが複雑で面倒な仕事を自発的にやってくれる社員というのはそれほど多くはない。

 一方で管理職、特に経営者にとっては、AIの導入というのはぜひにも進めたいプロジェクトである。AIは再現性のある仕事においてはとても優秀だ。さらに、生成AIの力で柔軟性まで身に付け、人間と比べて稼働コストが圧倒的に低く、(一定のルールの下では)正確でミスがなく、24時間いつでも動き続けるとくれば、会社において、AIに任せられる仕事というのは、可能な限り任せてしまいたいというのが本音である。

 とはいえ、上がいくらその意向を示したところで、現場に入れる気がなければ導入は進まない。仕事のプロセスというのは複雑で、現場の外にいる人間に細かい業務設計をすることは不可能だ。無理やり置き換えたところで、想定外の事象が出てかえってトラブルが増える。だから現場の理解と協力は不可欠なのだ。

AI時代に生き残る組織、消えゆく組織

 例外として、AIの導入が積極的に進む環境というのもいくつかある。

 一つは立ち上がったばかりのベンチャー企業だ。そうした会社には、そもそも人が少なかったり、社員にも向上心ややる気に燃えている人が多かったり、現場で既得権益を抱える社員がいなかったりで、余計な調整事項も少なく、トップダウンで業務の効率化が進んでいく。また、良くも悪くも築き上げた信用というものがまだないため、失敗に対する許容度も高い。大企業がリスクを恐れてまごついているうちに、ベンチャー企業は躊躇(ちゅうちょ)なく新しいことへ挑戦することができるため、結果として先端技術を用いたディスラプトはAIによってさらに加速することになる。そこにいる社員の成長も著しい。これによって、大企業は二重に首が絞まっているような状況である。

 他にもう一つ、導入が進みうるのは、忙しすぎて人手が足りない現場だ。こうした部署においては、少しでも仕事を減らしたいというインセンティブが強く働くので、業務量を少なくするためのAI導入には積極的になりやすい。ただ、木こりのジレンマという言葉があるとおり、忙しい木こりは斧を磨く暇がなく、要するに目の前の仕事に忙殺されている部署では導入に対する時間的コストを捻出する余裕がないので、意欲はあっても実際には導入までたどり着けないケースもままある。

 そういったわけで、特別な事情がない普通の現場では、放っておいたらAIの導入が進まないのがむしろ自然だ。しかし、普通に考えるとAIを導入している企業の方が圧倒的に有利であるから、導入が遅れた企業は競争力で劣後し、消えていく定めにある。社員はその時点で転職すればいいのだが、周囲はAIを導入した環境が当たり前の世界で、同じことを繰り返していたスキルはすでに陳腐化していて、最終的には社員自身の競争力も大きく下がっているはずだ。

 そうならないためにも、企業は、人事制度などでAIの導入にインセンティブを与えるべきだと私は考えている。例えば、自分の仕事の10%を効率化することを目標に置き、それを評価項目に組み入れる、などだ。初めは反発も大きいかもしれないが、そうして会社の競争力を上げることが、ひいてはそこで働く社員のためにもなると考えている。

SNS上で蔓延(まんえん)する冷笑主義を乗り越え、AIで激変する社会を生き抜くために。「『このミステリーがすごい!』大賞」大賞を受賞した小説家、東大・松尾豊研究室出身のAI研究者、マネックスグループ取締役を務める経営者という著者の3つの視点からアドバイスする。

山田尚史著/日本経済新聞出版/1650円(税込み)