入園料(平日、1デーパスポート。2021年3月時点)1人8200円。家族4人なら約3万3000円。この価格を「高い」と思うだろうか。値上がりを続ける東京ディズニーリゾートだが、コロナ以前の2019年までは数多くの外国人でにぎわい、過去最高入園者数も記録した。外国人観光客が、あえて“日本のディズニー”を選んだ、その本当の理由とは。『 安いニッポン 「価格」が示す停滞 』(日本経済新聞出版)より抜粋する。
「えっ、入園料だけでこんなにするの」
2018年7月、新婚旅行で訪れた米カリフォルニア州で幸せの絶頂にいた会社員の竜沢暁宗さん(26)は、気持ちが一気に現実に戻った。
驚いたのは、旅行会社経由で買ったディズニーランド・リゾートの入園料だ。1人約1万6000円で、日本の2倍以上(当時)する。食事をし、お土産などを買っているとどんどんお金が飛んでいく。
「日本も高いと思っていたけど、それ以上だ」
結局、1週間の滞在費は2人で80万円以上かかった。竜沢さんは嘆く。「ホテルで飲む朝食のコーヒーも日本の約2倍。一度きりの新婚旅行だと自分に言い聞かせたけど……」
タイ人観光客「日本はいつもコスパがいい」
片や、千葉県浦安市のJR舞浜駅。
新型コロナウイルスが日本で感染拡大する前の2020年1月に訪れると、色とりどりの風船や大きな袋を持った大勢の家族連れが行き交っていた。「夢の国」である東京ディズニーリゾート(TDR)を背に、みな幸せそうな表情を浮かべている。夕暮れ時の舞浜駅前ではおなじみの光景だ。
タイから来たという20歳代の女性3人組にTDRを選んだ理由を聞くと、
「中国に行くより安いし、それでいて日本はキャストのクオリティーも高いし大満足」と話してくれた。
「近くのホテルを予約しても合計約2万円かからなかった。日本はいつもコスパ(コストパフォーマンス)がいい」と笑顔で去って行った。
世界6都市で日本は最安値クラス
このギャップの理由を解き明かそうと、世界のディズニーランドの大人1日券(当日券、1パークのみ)の円換算価格を調べた。
新型コロナウイルスによる各パークの再開状況を考慮して、同じ日で比べられる2021年2月中旬時点の価格で比較した(為替は1月下旬時点。カリフォルニア州は無期限閉園中のため2019年、パリは再開予定だった21年4月の価格とする)。
すると日本の8200円に対して、米フロリダ州は約8割高い約1万4500円(約140ドル)で、カリフォルニア州やフランス・パリ、中国・上海も1万円を超えた。ディズニーランドがある世界6都市で、日本は最も安かった。

もちろん敷地の広さなど規模はそれぞれ違うが、「日本より狭い」と言われる香港でも約8500円(639香港ドル)だ。この傾向は、新型コロナウイルスの感染拡大前からずっと同じである。むしろ日本は2020年3月までは7500円だったため、米国の約半額程度だったのだ。
フロリダや上海、パリは需要に応じて価格を柔軟に変える「ダイナミック・プライシング(価格変動制)」を取り入れており、日によって約3000円や約5000円の振れ幅がある。フロリダは最も安い日でも約1万2000円だが、上海では約6400円という日も数日だけあった。日本も2021年3月からダイナミック・プライシングを導入しているが、平日と週末の差額は500円しかない。
約8割がディズニー入園料を「高い」と回答
日本のディズニーランドは世界で最も安い水準だという現実。
ということは、日本人はさぞやお得感を享受していることだろう――。
だが、舞浜駅前で、東京ディズニーランド(TDL)帰りの日本人家族に聞いた感想は少し異なっていた。
妻と幼い2人の娘を連れた日本人男性(46)は、「入園料だけでも高いのに、交通費を合わせると1人で1万円以上かかる。食事も飲み物も高いから、家から水筒を持ってきた」と話す。この日は娘の誕生日で、奮発したという。「しかも、年々高くなっている気がするし。めったに来られたものじゃない」と苦笑する。
第一生命経済研究所の永濱利廣・首席エコノミストは「日本人の所得や生活水準からすると、世界で最も安いディズニーランドの料金ですら割高に映る」と指摘する。
実際に、日本経済新聞社が、調査会社インサイトテック(東京・新宿)の協力を経てインターネット上で実施した調査によると(回答者は全国の男女6748人)、東京ディズニーランドの入園料について、約8割の回答者が「高い」と回答し、「安い」は2%にとどまった。
神奈川県の30歳代女性は「飲食代も高いし頻繁には行けなくなった」とぼやく。
愛媛県の30歳代女性も「子どもを連れて行きたいけど高すぎて行けない」、福岡県の50歳代公務員女性は「北九州市のスペースワールドは(2017年末に)閉鎖を余儀なくされ、地元民として寂しかったので応援したいが、ディズニーランドは高すぎる」と複雑な心境を明かした。
6年で2000円値上げも、世界水準には届かず
TDRは近年、値上げを続けている。
2014年3月までは6200円だったが、4月に6400円に設定した。15年は6900円、16年は7400円、19年は7500円、そして20年4月には過去最大の700円を上げ、8200円となった。6年間で合計2000円を値上げしているにもかかわらず、世界で最安値という状況なのだ。
TDRは世界でも珍しく、米国のディズニー本体の直営ではないパークとなる。ライセンス契約に基づいて運営しているオリエンタルランドに価格の安さについて聞いてみたところ、「入場客に定期的に価格感度調査を行っており、パークの価値に合わせた適正価格にしている」という回答だった。
安さは集客につながる。開業35周年を迎えた2018年度(18年4月~19年3月)の入園者は、過去最高の3255万8000人だった。
だが、「安いけど混みすぎていて、乗り物にはほとんど乗れない。だから結果的に高く感じる」(29歳中国人女性)という皮肉も聞こえる。そこで同社は総額2500億円を投じ、拡張工事などを続けている。
世界の成長についていけない日本の停滞
そんなTDRにも、新型コロナウイルスが直撃した。

感染拡大を防ぐために2020年2月末から一時休園し、19年度(19年4月~20年3月)の入園者数は2900万8000人で、前年度より1割減った。
そして苦境にあえぐなかで客単価を上げるために、需要に応じて価格を柔軟に変える「ダイナミック・プライシング(価格変動制)」をついに導入することを決めた。2021年3月20日入園分から、土日祝日や春休みなどの繁忙期に限り、500円高い8700円に値上げした。当面は500円だが、ノウハウを蓄積した後はきめ細かい価格の幅を設けて運用する方針だ。
TDRは2021年春からも5割程度の入園者数を維持するとみられるが、黒字化には6割ほどが必要だという試算もある。TDRの1人あたりの売上高は、最も高い2018年度で1万1815円(チケット収入5352円、商品販売4122円、飲食販売2341円)だった。値上げ効果で客単価を高めたい狙いがある。だが、TDRの客単価が1万1000円を超えたのは、景気回復に転じたとされる2013年のこと。
今は「新型コロナウイルスで会社の業績が悪化し、ボーナスも減った。感染拡大が落ち着いて家族でTDRに行きたくても、値上げで行きにくく感じる」(40歳代女性)という声も漏れる。
8700円でも米国の7割にも届かない。
それでも、消費者心理は厳しいままだ。
こういった価格を巡る世界との常識のねじれは、ディズニーランドだけでなくあらゆるモノやサービスにつながっている。こうした実態には、価格が上がらず、賃金も上がらず、世界の成長についていけない日本の停滞がにじむ。
[日経ビジネス電子版 2021年4月30日付の記事を転載]
「失われた30年」を経て、いつしか物価も給与も「安い国」となりつつある日本。コロナ禍を経てこのまま少しずつ貧しい国になるしかないのか。停滞から脱却する糸口はあるのか。日本経済新聞1面および日経電子版に掲載され、話題を呼んだ記事をベースとして、担当記者が新たに取材を重ね書き下ろしました。
100円ショップ、回転ずし店、シリコンバレー、インド、アニメ制作会社、京都、ニセコ、西川口等、数々の現場取材から「安いニッポン」の現状を伝えるほか、各界のキーパーソンにインタビューし、国、企業、個人がこれからどうすべきかを考えます。