トランプ関税に動揺し、今も不安を抱えている企業は少なくない。地政学や国際政治の不確実性が高まっている現在、企業にはどんな能力や備えが必要なのか。『武器化する経済』の著者でジョージタウン大学教授のアブラハム・ニューマン氏と、地経学研究所所長で東大大学院教授の鈴木一人氏に対談してもらった。その第4回(最終回)をお届けする。
開放性と脆弱性の両方に企業はどう対応すべきか
鈴木一人氏(以下、鈴木):これまで、トランプ政権の関税政策の真の狙いや、今後の世界秩序の見通し、自由貿易の行方などについて議論してきました。最後のテーマは、日本企業は何をすべきか。この「不条理な状況」を受け入れて耐えるべきなのか。この先、企業にはどんな能力や備えが必要なのでしょうか。
アブラハム・ニューマン氏(以下、ニューマン):第一のアドバイスは、企業は「政治リスク」の捉え方を根本的に見直す必要があるということです。従来、政治リスクというと、「財産権が弱い国で、自社資産が政府に没収されるかもしれない」──そんな話が中心でした。
しかし今は、サプライチェーン、投資、金融といったグローバル化の経路そのものが、企業に新たな政治リスクをもたらしています。企業はこれまで想定してこなかった形で、政治リスクにさらされているのです。政府がグローバル化による脆弱性や開放性を管理しなければならないのと同様に、企業もこれらの問題に対応するための専門性にもっと投資する必要があります。そのために、企業は「政治リスクとは何か」「それをどう管理するか」という考え方を根本から見直す必要があります。
ニューマン:第二に、企業は国際社会における「ステークホルダー(利害関係者)」としての自覚を持つべきです。特に大企業はグローバルな存在ですから、もっと積極的に自らの立場を発信すべきです。
近年、企業は「自由貿易の擁護者」としての役割を後退させてしまいました。それは、「開放性のリスク」に正直に向き合ってこなかったことも一因です。でも今こそ、開放性の利点と脆弱性のバランスについて、企業が政府に対して建設的に提言していくべきです。
さらに、これは長期的な話ですが、今日の危機の多くは、グローバル化の恩恵を市民が実感できていないことに起因しています。だからこそ企業は、一般市民の利益にもつながる社会をどう築くかを考えなければなりません。結局のところ、米国における危機とは、「これまで築かれてきた秩序が自分たちのためにはならなかった」と人々が感じていることにあるのです。
企業経営者の中には、「税は少ないほうがいい」「規制もないほうがいい」「利益はもっと手元に残したい」と考える人もいるでしょう。でも、企業が今後も利益を出し続けるためには、社会が秩序ある形で機能している必要があります。だからこそ、企業は社会にもっと再投資し、政府による再分配に対してもより前向きな姿勢を示し、社会の取り残された層を支援していく必要があります。そうすれば、資本主義的な成長モデルそのものの持続性が長期的に確保されるはずです。
政府と企業間の情報共有強化が鍵を握る
鈴木:興味深い指摘ですね。第一に、企業が政治リスクをどれだけ認識しているかという問題です。
企業は長い間、そうした認識を十分に持ってこなかった。彼らの関心は規制にあり、金利など金融政策に重きを置いてきました。他方、選挙の動向にはそれほど関心がなかった。つまり、彼らにとって重要なのは政治そのものではなく、自分たちの事業に直結する制度や仕組みだったのです。世界の貿易不均衡や、富の偏在にもあまり目を向けてこなかった。
私は、企業が政治的な感度を高めることが非常に重要だと思っています。そして、企業は単に利益を上げるだけでなく、周囲で何が起きているのかを分析する力、つまり「インテリジェンス」を高める必要がある。もちろん、企業の目的は利益の追求ですが、どうすればビジネスを持続可能な形で続けられる環境を維持できるのかを考えることが重要です。
鈴木:その点に関して、日本企業には、顧客や労働者など、すべてのステークホルダーを含めた経営モデルがあると思います。単に利益を追求して資本主義的な最大化を図るような経営とは異なる面があります。より包括的で持続可能かつ安定した経営を、労働者とともに築いていこうという考え方です。
例えば、トヨタ自動車の成功した要因の一つは、「ジャスト・イン・タイム」生産方式にあるのではなく、企業文化にあります。労働者が経営や意思決定に参加できるようにしている点が重要です。トップダウン型の企業構造ではなく、工場にいる労働者たちの能力を生かす仕組みであり、カイゼンはその一例です。
ニューマン:その通りだと思います。
鈴木:もう一つの重要な論点は、企業と政府の関係性についてです。企業が持続可能な事業環境を維持するためには、政府と連携して健全なルールや制度設計を構築していく必要があります。では、企業は政府とどのように協働していけばいいのか。その具体像について、どのようにお考えですか。
ニューマン:まず、企業は市場の動向について非常に多くの情報を持っています。そうした知見は、政府がリスクを管理するうえで役立つはずです。『武器化する経済』の共著者であるヘンリー・ファレルと私は、かねてより「政府と企業の間での情報共有の強化」を提唱してきました。例えば、コロナ禍で起きた様々な混乱に関して、企業は重要な情報を把握していました。ただ、それが断片的だったため、全体像は把握できていなかった。もし政府と企業がより連携し合っていれば、混乱の予兆を監視し、全体像をもっとよく把握できたかもしれません。
政府側としても、混乱が起きたときにはより積極的に経済の流れを再編し、不測の事態を防ぐようなマネジメントが必要だと思います。コロナ禍の教訓の一つは、政府の対応が非常に後手に回り、まるで殻に閉じこもるように、「マスクは全部自国用に」「人工呼吸器もすべて自分たちのために」といった利己的な行動をとってしまったことです。
しかし、そうした脆弱な局面において、自己中心的な行動は全体の利益にはなりません。企業も自国市場だけでなく、グローバル経済の中で存在している。だからこそ、政府と企業が連携して、単に物資を囲い込むのではなく、経済をより生産的な方向に導く必要があります。それはすべての人にとって有益な道です。
経済安全保障を企業と政府が連携して取り組むべき課題と捉える考え方については、日本にはすでに一定の知見があると思います。『武器化する経済』のなかで、TSMC(台湾積体電路製造)がリンクトインに「地経学(ジオエコノミクス)に関する専門知識を持つ人材を募集しています」という広告を出したというエピソードを紹介しました。でも正直言って、対応としては遅く、本来なら何年も前にやっておくべきことでした。私は、地経学や経済安全保障分野に関する専門知識を、企業も政府も持ち、そうした知見をもとに両者が協力し合うことが、ますます重要になると思っています。
今こそ想像を絶する事態を想定すべきときだ
鈴木:今、指摘があった連携は、日本が国際的に示せるモデルケースになるのではないでしょうか。現在、経済産業省は、私が所長を務める地経学研究所や他のシンクタンク、企業と連携して、経済インテリジェンス・ネットワークの構築を進めています。つまり、官民が協力してデータを集め、脆弱性の把握と政府による政策対応の選択肢を探る体制をつくろうとしています。政府は企業に支援を提供し、企業は自らの脆弱性に関する重要な情報を政府と共有する。こうした双方向の「ギブ・アンド・テイク」の関係構築を目指しています。
また政府は、官民の戦略的対話の枠組みを整えようとしています。例えば、政府が持つ機密性の高い情報を企業関係者が共有できるように、セキュリティ・クリアランス制度の導入などが進められており、政府からのインテリジェンスと、企業の現場知見を相互にやり取りする枠組みがつくられつつあります。こうした一連の取り組みは、単に狭義の「経済安全保障」にとどまらず、トランプ関税のような衝撃への対応や、日本政府が今後とるべきオープンな経済政策の基盤形成にも関わってくるものです。
地経学研究所でも、まさにこのような政府と企業のコミュニケーション強化を掲げています。当研究所は42社の法人会員によって支えられており、会員企業に対して、政策立案者や官僚との交流の場を提供しています。例えば、トランプ関税の影響、中国の動向に関する分析などを通じて、企業が実効的な対応を取れるよう支援しています。まさに、あなたの本が提起している課題に、私たちも取り組んでいるのです。
ニューマン:素晴らしいですね。それはビジネスチャンスでもありますね。もう一つ、私が欧州の同僚たちにもずっと訴え続けている問題があります。それは、多くの議論がサプライチェーンや貿易にばかり集中している点です。私は、今後ますます情報や金融が他国を強制的に従わせる手段として使われるようになるのではないかと強く懸念しています。つまり、貿易という視点だけでは、現在起きている変化のすべてを捉えきれないということです。
鈴木:私も全く同意します。あなたの本でも明確に書かれている通り、問題は貿易だけではありません。米国は、情報、知的財産、そして金融市場など様々な分野で強大な地経学的パワーを持っている。むしろ、それらが行使されたときのほうが深刻だと思います。
私は、新聞やテレビなどのインタビューで「最悪のシナリオは何か?」と尋ねられたとき、こう答えました。「米国がGPSを止める、クラウドサービスを停止する、世界市場におけるドルの機能をすべて遮断する」。それが最悪のシナリオです。貿易はその一部に過ぎません。貿易はしょせん金銭的な問題であって、市場や通貨によって調整可能です。それだけで「世界の終わり」にはなりません。
本当の「世界の終わり」は、米国が国際社会に提供している基幹的なサービスから全面的に撤退したときです。本当に恐ろしいことだと思います。
ニューマン:多くの企業は、そのような事態を「起こり得ない」と思っています。現在の関税措置ですら、多くの企業にとって思いも寄らないことでした。これはコロナ禍のときと似ていますよね。誰もが「子どもを学校に登校させず、自宅でパソコンに向かわせる」状況になるとは思っていなかったが、それは起きた。
今はまだ、鈴木さんが指摘したような最悪の事態にはなっていません。しかし、そうなったときに「どうするのか」を考えておく必要がある。そして同時に、それを起こさせないために、声を上げ、未然に防がなければならない。
鈴木:まさに今が、「想像を絶する事態を想定しておくべきとき」ですよね。不可能に思えるリスクにも備える覚悟が必要です。
ヘンリー・ファレル、アブラハム・ニューマン(著)、野中香方子(訳)、鈴木一人(解説)、日経BP、2750円(税込み)




