家庭科教員で男性であるということは、同世代の教員や保護者から珍しがられるのですが、今の生徒はそこまで驚くことはないようです。10年前に着任したときも、生徒は「ああ、家庭科なんだ」と素直に受け止めていました。しかし、逆に私にとっては、自由な、というよりも自由すぎる麻布の生徒たちとの出会いは、まさにカルチャーショックでした。
最初に思ったのは、「自由」というよりもむしろ「奔放」。賢い子たちなら、普通は授業中もどこかで節度を保った態度でいるはずですが、そんなそぶりはない。これまで勤務してきた学校では経験したことのない光景でした。進学校の生徒たちが、実技教科の家庭科に興味をもってくれるだろうか。着任当初はそんな不安も抱きましたが、それは杞憂に終わりました。
奔放であるがゆえに好奇心も旺盛で、家庭科で扱うさまざまなトピックにも、ひょいと食いつきます。教科書の内容から発展させて社会的なトピックにつなげたり、科学的な話題と結びつけたりすると、すかさず質問が飛んでくる。授業の主題ではない部分をやたらと掘り下げたがる生徒もいて、脱線して時間オーバー、そして文句たらたら…。「そこに食いついたのは、君たちじゃん」と、たびたびツッコミを入れたくなります。そんなやり取りを経て、彼らの持つ「賢さ」は、巷で言われているようなものとは一味違うのだとわかってきました。
みんな興味の赴くままにさまざまな方向を向いていて、自分の「好き」に一直線。強いこだわりや独自の世界を持っている子が多いことも印象的でした。それまでの自分の学生生活や教員としての経験とは、ずいぶん違う環境でした。そんな彼らと向き合うためには、自分ももっと興味の幅を広げていかなければならない。そんなふうに感じました。
そうして、彼らの興味にも寄り添えるように、本をたくさん手に取るようになりました。以前から読書はそれなりにしていましたが、あくまでも自分の興味関心の範囲にとどまっていました。
家庭科は生活まるごと、生きていくことのすべてを扱う教科です。彼らの多様な興味や関心がそこにつながり、よりよい生活を送るための助けになれば、家庭科教員として願ってもないことです。そして、彼らの好奇心をくすぐることができれば、授業もきっと知的で刺激に満ちたものになる。そう思いました。
そのため、本をただ読むのではなく、自分の中に蓄えとして残し、とっさの疑問にも答えられるように、しっかり腹落ちさせながら読むことを心がけるようになりました。本選びも、彼らが興味を持ちそうなものをあれこれ探しては読み、また探しては読む。その中には、これまでの自分なら手に取らなかったような本もたくさんあります。結果として、自分自身の興味の幅も大きく広がったような気がしています。
今回は、そうやって出合った本を2冊紹介したいと思います。
衣服の裏側にある科学と歴史
1冊目は『 死を招くファッション 服飾とテクノロジーの危険な関係 』(アリソン・マシューズ・デーヴィッド著、安部恵子訳/化学同人)。
家庭科の「衣生活」分野に関わる一冊です。制服のない麻布は、基本的に何を着てくるのも自由。めちゃくちゃおしゃれな生徒もいれば、ブランド服を自分でリメイクする個性派もいます。とはいえ、見ている限りでは大半が無頓着です。
家庭科では、「TPOに合わせた服装の選択」や「衣服の素材に応じた手入れ」などを学びます。しかし、そもそも服なんて何を着てもいいと思っている生徒たちに興味や関心を持たせるには、何がいいだろうか。そんなことをあれこれ考えるなかで、この本を手に取りました。
写真やカラー図版が多用された華やかな本書に描かれているのは、ファッションの発達と、その裏で起きた犠牲の実態です。水銀にまみれた帽子、ヒ素入りの染料で染められた緑色のドレス、まとう人の首を絞める長いショール、ダンサーの命を奪う燃え上がる舞台衣装…。歴史的な事例を挙げながら、ファッション性を追求するあまり、いかに事故やケガのリスクがないがしろにされてきたのかが明らかにされていきます。
染料や素材の加工、生地の性質の話は、化学に興味のある生徒なら飛びついてくる話題ではないでしょうか。また、「TPOに合わせた服装」を取り上げるときに、長いショールによる巻き込まれ事故や、引火しやすい生地による事故の事例を使うこともできそうです。サンダル履きや巻き込み事故の起きそうなゆるい服装で登校する麻布生の自由と、それに伴うリスクについて考えてみるのもいいかもしれません。
それにしても、これほどの犠牲を出しながら、なぜ使用をやめられなかったのか。それでも着飾りたいのが、人間というものなのか。あるいは、その時代には社会通念上、リスクを承知で着飾るしかなかったのか。このあたりを深掘りすることが好きな生徒は確実にいますし、ゆくゆくは一人ひとりに考えてもらえたらと思います。その種まきができたらいいですね。
一方で、本書で語られているのは、ドレスや帽子を身に着けた人だけではありません。生産に関わった多くの労働者もまた健康被害に遭っていたという事実です。こうした18〜19世紀の服飾産業の問題から、現代のファッション産業が抱える課題へとつなげることもできそうです。
科学や社会、歴史と結び付けながら、生活を巡るさまざまな問題に興味を持ってもらうきっかけをつくれる本だと思います。
宇宙食から考える「食べる意味」
2冊目は、『 空と宇宙の食事の歴史物語:気球、旅客機からスペースシャトルまで 』(リチャード・フォス著、浜本隆三、藤原崇訳/原書房)です。
家庭科の中でも「食生活」分野は、生徒たちの関心が高い分野です。ただ、彼らは基本的に「好きなものを食べればいいじゃないか」というスタンスなので、例えば「栄養バランスの取れた食生活をしよう」と言われても、なかなか心には響きません。若い彼らは毎日ラーメンを2、3杯食べても平気なわけで、ピンとこないのも無理はないと思います。
「食習慣と健康」にしても、あとでお話しする「保育」分野にしても、目の前の生徒たちが本当に直面するのは10年、20年先のことです。そんな遠い未来の話を、どう伝えれば自分事として受け止めてもらえるのか。これは家庭科を教えるうえで、ずっと問い続けているテーマでもあります。
彼らがまだ出合っていない、そして経験し得ない世界への橋渡しをするために、私は本の力を借りています。
本書には、18世紀の気球から飛行船、飛行艇、飛行機、そして現代のスペースシャトルや国際宇宙ステーションに至るまで、人が空で何をどう口にしてきたのか、その歴史がつづられています。
冒頭で描かれるのは、1783年、初めての水素気球がパリのチュイルリー宮殿の庭から宙に浮かんだ瞬間。乗り手たちが気球の上でシャンパンのコルク栓を勢いよく抜き、祝杯を挙げる様子です。それよりも初飛行の安全管理に注力した方がいいのでは、と思ってしまうような光景ですが、これもまた合理性とは対極にある行為ですよね。前述した『死を招くファッション』もそうですが、人は合理性だけでは割り切れない価値観によって動くものだということがよくわかります。
続く飛行船の時代から飛行機の時代へ。食事を持ち込む際の容量の制約、飛行中の加熱や保存の問題、気圧や揺れへの対策、そして大量輸送時代の到来によるコスト削減への対応。絶え間ない技術開発に支えられた空での食事と、そこで行われてきたさまざまな工夫が、失敗例も含めて丁寧に明かされていきます。
宇宙での食事のスタートは、ガガーリンが1961年に口にしたチューブ食でした。フリーズドライ食品やキューブ食などへと形を変えながら、無重力環境での食事の開発と試作が繰り返されます。栄養補給だけならサプリメントでもいいかもしれない。けれど、それではおなかも心も満たされません。ストレスの大きい環境だからこそ、「食」の重要性は増していく。やはり、おいしくなくてはならないのです。では、宇宙でおいしいと感じる味付けとは何か。食感は、形状は。
こうして宇宙食でもおいしさが追求されるようになり、メニューの選択肢が増え、船内には冷蔵庫や冷凍庫が置かれ、加熱調理もできるようになります。やがてクルーの国際化に合わせて、多文化的なメニューも加わっていく。
「食べる」という日々の営みを宇宙という極限状態に置いてみると、生きていくうえで本当に大切なことが見えてきます。食事が単なる栄養補給ではなく、人間らしさや文化を支える営みであることを再認識させてくれる、壮大な歴史物語です。
「最もおいしい食事」を考える
食生活の授業の一つで、味覚を生理学的に学んだあと、「あなたが考える最もおいしい食事を提案しなさい」という問いを投げかけます。おいしさの要件は、単に味覚だけではありません。見た目がおいしそうとか、香りがいいとか、あるいは食べるときの環境や状況によっても変わってくる。そのくらいの話をして、あとは考えてもらいます。
生徒たちから出てくる意見はさまざまです。自分のこだわりのメニューを提案してくる生徒もいれば、食材や産地に着目した提案をする生徒もいます。「高級食材を取りそろえれば、とにかくおいしいのだ」という意見もあって、なるほど確かにと思います。
その一方で、「部活帰りに、とてもおなかが減っているときに食べる○○」とか、「女の子と一緒に食べれば何でもおいしい」といった意見も出てきます。「味の要素、全然入ってないじゃん」とツッコミが入ったりしつつも、「でも、確かにそうだよね」という雰囲気になる。身近な生活感覚は、ときに理論だけでは説明がつきません。そんな食べることの本質を、なんとなくつかんでくれているように思います。
ここで取り上げた2冊は、生徒に話をするときにとても助けになる本ですし、もちろん面白い。生徒が手に取ってくれたらいいなあとは思います。でも、生徒全員に向かって「私のお薦め本です」「ぜひ読んでね」と紹介するようなことはありません。
それだと少し押しつけがましいですし、うちの生徒たちには逆効果というか。そもそも全員に刺さるものではないのに、それを求めるのは校風にも合いません。
なので、「こんな話があるよ」と授業で一部を取り上げたら、「○○分野の関連書籍」として他の本と一緒にリスト化する程度にしています。本校は図書館がとても充実していて、貸し借りも蔵書の追加もスムーズにできます。気になった本はすぐに蔵書に加え、誰でも手に取れるようにしています。ただ、それを読む読まないはご自由に。それが本校のスタンスです。
とはいえ、授業でふと耳にしたトピックをきっかけに、飛行機マニアの生徒がこの本を手に取って、機内食から「食」の世界へと興味を広げたり、ファッションに目覚めた生徒が、この本を読んでデザインだけでなく、その歴史や科学的な背景にも思いを巡らせたりする。そんなことが起きたら、やはり本当にうれしいですね。
取材・文/平林理恵 構成/南浦淳之(日経BOOKプラス) 写真/稲垣純也
先生たちに聞いた人生を支える一冊
連載「名門校の推薦図書」をまとめた書籍です(※麻布・小山田先生の記事は収録されていません)。各校の先生が、生徒に薦めたい本や授業で扱った本、自身の愛読書について、学校の特色やエピソードとともに紹介しています。
【掲載校】開成/灘/聖光学院/渋谷幕張/広尾学園/豊島岡女子学園/フェリス女学院/国際基督教大学(ICU)高校
平林理恵著、日経BOOKプラス編/日経BP/1760円(税込)







