軍隊の士官には、人間を深く洞察し、部下や組織に対して影響を及ぼす「良きリーダーシップ」が常に要求されます。米国海軍の士官候補生を対象としたリーダーシップの名著『 リーダーシップ アメリカ海軍士官候補生読本 』(アメリカ海軍協会著/武田文男、野中郁次郎訳/生産性出版)を、コーン・フェリー・ジャパン前会長の高野研一さんが読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔リーダーシップ編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

組織を束ねる人々に読み継がれる

 『リーダーシップ』は米国海軍の士官候補生を対象としたリーダーシップ教本です。原著は米国で1959年に出版されました。邦訳は81年に発行され、何度も増刷を重ねてきたベストセラーになっています。その事実は同書が軍事に関わる人だけではなく、ビジネスをはじめとする様々な分野で組織を束ねる必要がある人々に読み継がれてきたことを物語っています。

 軍には、科学的な発明がなされるに従って新たな兵器が導入されていきます。海軍の士官は、企業でいえば課長に相当する役職といえると思いますが、新たな兵器が導入されれば当然、それを使いこなすための技術的な習熟、新たな戦闘力を生かす戦術や戦略に対する理解が求められることになります。

 しかし、同書はそれらにもまして「武器をとることを専門とする職業」には「人間という要素」が重要と断言します。どのような新兵器が導入されても、軍事行動に直接携わる人は不安や恐怖から逃れられないでしょう。その中でもリーダーである士官は、部隊において希望や勇気を引き出し、士気を高めることが要求されます。そのためには、士官には人間を深く洞察し、部下や組織に対して影響を及ぼす「良きリーダーシップ」が常に要求されると同書は指摘します。

 「良きリーダーシップ」は様々な環境変化の中で発揮することが求められます。絶えず新しい兵器が導入され、同時に上層部が命令する新たな戦略・戦術にも従わなければならない中で、士官は先を見通し、集団を束ね、日々の状況変化に対して先手を打っていくことが必要になるのです。

 企業にも非常に似たことがいえます。グローバル化やIT(情報技術)の進展によって経営環境は流動化し、企業間の競争は激化しています。リーダーが従来のやり方に固執する企業は淘汰される一方、組織を束ねて新たな環境に挑戦することに成功した企業が成長していくのです。

軍には新たな兵器が導入されるが、士官には「人間という要素」が重要だという(写真/Shutterstock)
軍には新たな兵器が導入されるが、士官には「人間という要素」が重要だという(写真/Shutterstock)
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リーダーは生活習慣から問われる

 同書を読んで、まず驚かされるのは、内容が実に具体的であるという点です。例えば、飲酒に対する注意点について次のようにまとめています。

・絶対に就業前および勤務時間中に飲むな
・絶対に空腹時に飲むな
・とくに、疲労時に飲み過ぎに注意せよ

 このあたりまでは、海軍士官候補生というエリートとはいえ、若者向けの注意として、あまり驚きはないかもしれません。しかし、次のような注意はどうでしょうか。

・飲みすぎの気がしたら、たえず動いたり、ダンスしたり、食事したり、談話したりすること──そして次回はひと飲み減らすこと

 そんな細かいことまで注意する必要があるのかと思えるほど、具体的な内容だといえるでしょう。

 同書はリーダーシップという、ある意味では様々な解釈が可能なテーマをフロイト、ユングといった著名な心理分析家、チャーチルや南北戦争の英雄であるグラント将軍、さらには作家のビクトル・ユーゴーなどの考え方や言葉を引用しながら、きめ細かく論じていきます。

 まず、同書が冒頭に掲げているリーダーシップの定義を確認しておく必要があります。いま、世界中のビジネスシーンで、「リーダーシップ」という言葉が「バズワード」(誰もが口にするはやり言葉)になっていますが、その意味は、必ずしも明快とはいえないからです。

心構えより「他者の評価」が大切

 同書のリーダーシップの定義は以下のようなものです。「一人の人間がほかの人間の心からの服従、信頼、尊敬、忠実な協力をえるようなやり方で、人間の思考、計画、行為を指揮でき、かつそのような栄誉を与えうる技術(アート)、科学(サイエンス)、ないし天分」

 海軍の士官候補生のための教本という性質、さらには第2次世界大戦から十数年しかたっていないという時代の雰囲気を感じさせる定義ではありますが、これ以上明快なリーダーシップの定義は、なかなか見つからないというのが実感です。

 この定義で特に目立つのは、心理的な要素の強調です。服従、信頼、尊敬といった、チームメンバーあるいは部下の側の判断に委ねられる心理的要素が、リーダーにとって最も重要な基準だと同書は繰り返します。

 日本でリーダーシップが論じられる場合、リーダーの統率力、意思、先見力といった要素を強調することが多く、いわばリーダーの「心構え」に傾きがちです。

 一方で同書は、リーダーたり得るかどうかの基準である部下や上司、同僚の信頼をいかに獲得するかということについて、自分の視点ではなく、他者の評価が重要であると強調しています。

人事制度がメンタルヘルス解決のカギ

 米海軍の士官候補生に向けて説くのは、「部下」にこのように思われなければダメだという具体的指摘です。先の飲酒の注意点も、そうした同書の特徴である具体的な指摘の事例として紹介しました。「自己犠牲」「無私の精神」といった主観的な部分が強調されがちな日本の議論とは違って、同書のリーダーシップ論は、より分析的、複眼的であるといえます。

 その背景には、米国の軍隊組織における心理学重視の考え方があります。「第2次世界大戦中、約1500人の心理学者が軍務に就き、4人に1人の心理学者が応用分野で任務を果たすように求められた。すなわち、心理学は戦闘というきわめて実践的な問題に応用されたのである」と同書は指摘しています。

 ここで、日本の軍隊の「精神論」のむなしさを持ちだしても、あまり意味がありません。むしろ大事なのは、今の日本企業において「人間心理を客観的に分析する」という、米国がすでに70年も80年も前に取り組んでいたことが、十分行われているかどうかを検討することだと思います。

 最近は企業内でメンタルヘルスへの注意喚起が盛んになされ、過剰な競争や業績達成の押し付けに、警鐘が鳴らされることが多くなっています。それは正しい面もあるでしょうが、日本の組織人のメンタルヘルスの問題には、硬直的な人事制度、流動性の低さといった構造的な問題が潜んでいることも、心理学、精神分析の手法で研究する必要があります。

 さらに、こうした手法を、ネガティブな面にだけ応用するのではなく、リーダーの育成、次世代経営者の確保といった積極的な面にも、もっと活用することが検討されるべきだと考えます。

『リーダーシップ アメリカ海軍士官候補生読本』の名言
『リーダーシップ アメリカ海軍士官候補生読本』の名言
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