リスキリング(学び直し)が注目される今、リベラルアーツ(教養教育)としての茶道を見直してみませんか。今回はアウトドア用品メーカー、モンベル創業者の辰野勇氏に、大自然の中で楽しむ茶道についてお聞きしました。(聞き手は、日経BP 総合研究所上席研究員 大塚葉)
75年にモンベルを創業して50年、アウトドア活動が多い辰野さんですが、茶道を始めたきっかけは何でしたか。
30年くらい前、一緒に群馬県の妙義山に登った友人が、山頂で抹茶を点(た)ててくれたのです。このとき「山で抹茶を飲むのもいいな」と思いました。山でコーヒーを飲む人もいますが、本格的に淹(い)れるにはフィルターなど道具をいろいろ持っていかないといけない。でも抹茶は、お茶の粉と湯と茶筅(せん)があれば点てられます。
抹茶は粉をお湯に溶かして飲むので、煎茶やコーヒーと違って茶殻や豆などのゴミが出ません。アウトドア活動を行うとき、環境への影響を最小限にする行動基準に「Leave No Trace(リーブノートレース:足跡を残さない)」がありますが、抹茶はこれを実践できます。ビタミンCなどが豊富に含まれていて健康にもいいし、疲れたときに飲むと心が安らぎます。一緒に和菓子も食べるので、甘いものも摂取できます。
アウトドアという用語は、海外から入ってきたスポーツという響きがありますが、日本にも「野遊び」という言葉がありますよね。日本人は昔から、屋外で自然を楽しむ習慣があります。自分が持っている山登りの世界観と、日本人の自然観のようなものが「山でお茶を点てて飲む」ことで合致したわけです。
山でもお茶を点てて飲めるよう「アウトドア野点(のだて)セット」を開発し、2001年にモンベルから発売しました。
もともと、小さな茶碗や茶筅がセットになった携帯用の「茶籠(かご)」があります。最初はこれを登山に持参していました。ただ、茶碗は陶器なので重さがあり、割れる心配もあります。そこで、山でも気軽に野点を楽しめるようにオリジナルの野点セットを考案しました。茶碗は樹脂、袋もナイロン製で、持ち運びやすいよう軽量化しています。風が吹いても茶筅が倒れないように、盆に茶筅を立てる棒を付ける工夫もしました。
野点セットを発売してしばらくして、茶道裏千家の故・伊住政和さん(前家元である千玄室氏の次男)から「お会いしたい」と連絡をいただきました。「こんな物を作って、怒られるのではないかな」と思っていたら、モンベル本社にいらした伊住さんが「面白いことをなさっていますね。ぜひご一緒に活動しましょう。日本の伝統文化や産業の魅力を広める事業に協力していただけませんか」とおっしゃって。そのご縁で、伊住さんが設立したNPO法人「和の学校」の理事を拝命しています。
「征服する登山」から「自然の中で安らぐ登山」へ
21歳でスイス・アイガー北壁の登はんに成功するなど、国内外の多くの山を制覇してきました。山でお茶を飲むようになって、登山との関わり方は変わりましたか?
若い頃は様々な山に、命懸けで登ってきました。信仰などではなく、登山自体を目的とするスポーツのことで「アルピニズム」という言葉がありますが、ヨーロッパ型のアルピニズムは、どちらかというと「征服」です。ヨーロッパでは、山には悪魔が棲んでいると考えられている。魔物を制圧するために登山するから「遠征」とか「制覇」というわけです。僕も若い頃は人が登らない山を踏破しようと挑戦し、高みを目指し続けていました。
しかし30年くらい前、40~50代になって、危険な登山は体力的にも難しくなってきました。以前は、山を歩きながら誰も登ったことのない岩壁を見上げて「あそこにはどんな登頂ルートがあるのか」と目で追っていました。しかし年を重ねてから登山をすると、ふと気づいたとき、上を見るのではなく路傍に咲いている野花に目が行くようになったのです。
日本では古来、山には神々がおわすと考えて信仰してきました。山の自然と敵対するのではなく、融和する文化があったと思います。
まさに和の心ですよね。年齢を重ねて、そういうことが理解できるようになりました。昔はがむしゃらに岩壁を目指していたけれど、ちょっとゆっくり歩いてみると、山という大自然が目に入ってくるようになった。改めてこうした自然を楽しもうと感じたときに、これが日本人にとっての「野遊び」なのだと気づきました。そんな折、山頂で抹茶を飲む経験をして「これはやっぱりいいな」と。こうしたきっかけで、大阪の茶道教室で稽古をした時期もありました。
この頃、奈良に移住して自宅を建て、茶室も造りました。大阪の堺市に住んでいた頃、海外からよくお客さんが来てうちの実家に泊っていったのです。僕が米国の経営者のお宅にお邪魔したこともあります。たいていの場合、彼らは大邸宅に住んでいて、大変なもてなしをしてくれるのです。
米国のアウトドア用品メーカー社長の邸宅に招かれたとき、商談の前に近くの海で一緒にカヤックをこいでいましたね。
そう。それで僕も張り合うわけではないけれど、海外の方を自宅に招待するなら、茶室での日本のもてなしを味わってもらいたい、と。四畳半の茶室で炉も切ってあり、水屋もあります。外国人向けに天井も少し高めにして、シャワー室も設置し、ゲストハウスとして宿泊してもらうこともできます。
一通り点前(てまえ)も習い、茶道に必要な道具も学びましたが、やはり僕は山の上でお茶を点てて飲むのがいちばん好きです。作家の夢枕獏さんと一緒に、シルクロードの砂漠で野点をしたこともあります。2024年9月、5年ぶりにスイスアルプスにハイキングに行き、アイガー北壁を見上げる草原でマッターホルンの岩壁を掛け軸に見立てて野点を楽しみました。
作法よりも「一服の茶を点てて飲む」ことに心を注ぐ
山で笛を演奏することもあります。96年にテレビ番組の仕事で、ジャズサクソフォン奏者の渡辺貞夫さんと一緒にチベットに行きました。途中で中国・成都の楽器店で横笛を見つけて買い求めたら渡辺さんが吹き方を教えてくれ、すっかりハマってしまいました。それからは、登山に横笛を持参しています。笛は自作もします。竹や樹脂の管などに自分で穴を空けて作るのです。
豊臣秀吉など昔の戦国武将もお茶をやっていて、戦場にも茶道具を持って行って茶を点てて飲んでいましたよね。茶道をたしなむうちに分かってきたのは、お茶は精神文化というか、戦の合間に落ち着くという意味があったのだと思います。
茶道では作法ももちろん大事で、「これだけはしなくてはいけない」という最低限の所作はきちんとやったほうがいいですが、型にはまり過ぎるのも面白くない。千利休がこういう歌を残しています。
「茶の湯とは ただ湯をわかし 茶を点てて のむばかりなる ことと知るべし」
お茶にはいろいろな楽しみ方がありますが、僕にとってはやはり、大自然の中でお茶を一服点てていただくのがいちばんの楽しみです。
茶道がビジネスに役立つと感じたことはありますか。例えば千利休が遺した茶道の心得「降らずとも雨の用意」は、常にリスクに備えて準備せよという意味で、辰野さんがおっしゃる「山では常に雨具の用意」と似ています。
確かにそうですね。僕もよく話してきましたが、山は天候が変わりやすく危険も伴うので、登山家はとにかく細心の注意を払って準備をします。どんなに天気が良くても雨具は必ず持っていくし、日帰り予定の登山でもヘッドランプは必ずザックに入れていきます。
登山を通じてこうしたリスクマネジメントと判断力を養ったことが、ビジネスにもプラスになっていると考えています。そう思うと、茶道の心得はビジネスに通じるものがありますね。
辰野勇氏がお薦めする2冊の本
「これは、僕が理事を拝命している裏千家『和の学校』で企画した絵本です。茶道は一般の方から見ると、行儀作法などを厳しく言われそうで、ハードルが高いイメージがあるかもしれません。でも、子どもの頃からもっと身近に茶道を楽しんでもらえれば、と思いこの本を推薦します」(辰野氏)。
「モンベルブックスから発行しているので、ぜひ読んでみてください」(辰野氏)。
取材・文/大塚葉(日経BP 総合研究所) 写真/太田未来子
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