リスキリング(学び直し)が注目される今、リベラルアーツ(教養教育)としての茶道を見直してみませんか。今回は小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏に、茶事の稽古を通じて学ぶ「主客の在り方」についてお聞きしました。(聞き手は、日経BP 総合研究所上席研究員 大塚葉)

デービッド・アトキンソン
デービッド・アトキンソン 小西美術工藝社 代表取締役社長
1965年生まれ、オックスフォード大学卒業。アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)、ソロモン・ブラザーズに勤務後、1990年に渡日。1992年からゴールドマン・サックスでマネージング・ディレクターとして活動し2007年退職。京都国際観光大使、二条城特別顧問、迎賓館アドバイザーなども務める。著書『新・観光立国論』(東洋経済新報社)で第24回山本七平賞受賞(2015年)。雑誌『財界』の「経営者賞」受賞(2016年)、文化庁長官表彰(2024年度)など。1999年に裏千家に入門、2006年に茶名「宗真」を取得する

茶道を始めて25年以上になられます。きっかけを教えてください。

 大学時代、1985年に日本に在住していたとき、茶の湯を半年ほど習ったのが最初です。書道も少し習いました。1990年に渡日し1999年に東京・青山に移り住んだとき、自宅に和室をつくり裏千家茶道の稽古を始めました。

 日本の様々な伝統文化の中でも茶道を選んだ理由は、癒やしの時間が欲しかったことと、仕事以外の今まで接したことのない人と交流しようと思ったためです。他にも華道や書道などがありますが、茶道には茶会や茶事を通じて「亭主が客をもてなす」という目的があります。

 茶道裏千家の本部に連絡して自宅近くの先生を紹介してもらい、長年にわたり月3回、一対一で指導してもらっていました。普通の稽古場では他の社中(同門の仲間)がいるので自分が点前をする機会は少なくなりますが、私は毎回、炭手前(炭をつぐ所作の稽古)、濃茶点前、薄茶点前と3回点前をしています。

 濃茶は毎回、先生と自分の二人分を練っています。このような稽古のしかたは、珍しいかもしれません。25年間、月3回稽古をしているので、私は恐らく、日本中の誰よりもたくさん炭手前をしてきていると思います。

 年に数回茶事をしているので、稽古を始めてから茶事の回数も200回近くになります。茶室は青山の自宅のほかに軽井沢や京都にもあり、そのときどきで招く人も変わります。招く人数は一度に数人から10人くらいまでです。

お客様を招くときは、手紙でお知らせするのですか。

 ええ、巻紙に筆で書いた手紙をお送りしています。

お客に合わせたしつらいで、主客の会話を楽しむ

茶事のテーマは、どのように考えていますか。テーマに合わせて、道具をしつらえていますか。

 テーマに合わせて道具を統一するというより、お招きするお客様に関わりの深い道具を選ぶようにしています。例えば大陸系の焼き物が好きな方には高麗の茶碗(わん)を出したり、漆に興味がある方がいらっしゃるときは蒔絵(まきえ)の茶器を出したりします。

 お客様はそのときどきで変わりますが、禅宗のお坊さんや華道の先生など様々な分野の専門家を招くこともあります。掛け軸の禅語や花入などについては、私よりもお客様のほうが深い知識を持っていることもあります。そんなとき、亭主の私が道具についてあれこれ話すのは失礼ですし、それよりもお客様に道具について語ってもらい、その話を聞くのが楽しいと思うのです。

 私の道具のしつらいは、あくまでもお客様との会話を引き出すためのものです。特定のテーマを決めてそろえたり、私が一方的に道具の説明をしたりすることはありません。

本当の意味での「お客様本位」の茶事ですね。茶会によっては、亭主の「道具自慢」のように、多くの「箱書」(道具の銘や所持者の履歴などを書いた箱)が並べられることもありますが。

 亭主がこれ見よがしに箱書を並べるのは、好きではありません。私は、箱書は出しません。以前、開催した茶会で箱書を見せてくれと言われたことがありましたが、お出ししませんでした。お客様には、道具そのものを見て感じてもらうことが大事だと思っています。

 もちろん箱書は大事で、例えば茶道具屋さんにとっては、鑑定書、保証書として必要な情報になります。茶道具屋さんが開催する茶会で箱書を出すのは当然です。ただ私たちのような一般人が、箱書を並べるのはいかがなものかと思います。茶道といっても家元がなさるお茶、お茶の先生がなさるお茶、道具屋さんのお茶、私たちのお茶とそれぞれ違うはずなのに、ごっちゃになってしまっている印象があります。

デービッド・アトキンソン
インタビュー中、薄茶を一服召し上がっていただいた

稽古で毎回濃茶をなさっていますが、濃茶は抹茶の量やお湯の温度、練り加減など、薄茶を点(た)てるより難しいところがあります。おいしく練る工夫はありますか。

 実は先日、京都の禅宗のお坊さんとその話をしたのですが、その方が「おいしい濃茶を練る秘訣は、他の人に話したりするものではない」と言うのです。どうしたらおいしくできるかは、自分自身のこれまでの長い稽古や修行の賜物(たまもの)であるから、そういった苦労のプロセスなしに秘訣だけ伝えてもしかたない、と。それを聞いて、なるほどと思いました。

 多くの方を招いて茶事を行ってきたので、茶事の工夫やポイントをまとめて本を出してはどうか、と言われたこともあります。ただ、このお坊さんから「そういったものは、本に書くものではない。自分の長い修行の結果を文字にして伝えるものではない」と教わりました。

点前には、所作を文字にすることが禁じられている「奥伝」もありますね。禅宗では悟りの境地は言葉でなく心で伝えよという「不立文字(ふりゅうもんじ)」の教えもあります。

「茶道の美化、決まりきった稽古」に憂慮

以前「マニュアル頼みの茶道はよくない」とお話しされていました。

 もともとの茶の湯は少人数や一対一で伝授し、点前の所作も口伝(くでん)で学んでいました。明治時代以降に多くの人が茶道を学ぶようになり、点前の解説書も多く出版されるようになりました。こうして茶道人口が増えたのはよいことですが、その代わり皆が同じ点前をし、同じようなお茶を点てるようになったのではないでしょうか。マニュアル化の弊害は「どうしてこの所作をするのか」という理由を考えずに、単に暗記するようになってしまうことです。

 「この掛け軸を掛ける時期は春」とか、「この道具は夏にしか使えない」という決まりがありますが、それだけにとらわれて堅苦しくしてしまうのも面白くありません。もっと柔軟でアバウトな部分があってもいいと思います。茶道はお客様をもてなすためにあり、「このような場合はこう対処する」という、臨機応変の対応や気働きが大事です。茶事や茶会で多くの人をもてなす経験を積むことで、このような対応を身に付けていくのが本来の茶道だと思うのです。

「茶道はお客様をもてなすためにあり、臨機応変の対応や気働きが大事です」
「茶道はお客様をもてなすためにあり、臨機応変の対応や気働きが大事です」

 もう一つ憂慮するのは、茶道をする人が茶道を美化しすぎることです。茶道では花を生けたり香をたいたり書を読んだりと様々な稽古をするので、よく「総合芸術」といわれます。一理ありますが、実は華道や香道や書道を学んで極めている専門家から見れば、茶道で接する花や香や書はほんの一部で、「広く浅く知っている」だけなのです。それなのに「茶道には日本文化がすべて含まれていて、すごい」と持ち上げすぎるのは、いかがなものでしょうか。

 点前が上手だったり「奥伝」など難しい点前を暗記してすらすらできたりする人が偉いとする、「上から目線」の考え方もよくないと思います。こうした傾向が、茶道のハードルを上げてしまっています。点前が上手にできるのは素晴らしいですが、だからといって人として優れているわけではありません。私の師匠も「稽古のときは私が先生だが、稽古場を離れたら先生とは呼ばないように」とおっしゃいます。この考え方は大事です。

 茶道の持つ本来の「魂」を忘れ、「マニュアル頼み」「上から目線」になってしまうことはとても残念です。

その人なりの茶道の楽しさを見つける

これから、茶道がどのように広がっていくとよいと思いますか。

 「茶道をしているから偉い人」と考えるのではなく、その人なりの学び方で関わればよいと思います。

 奥伝などの難しい点前も、一度は学んでみるといいでしょう。私も今はほとんど平点前をしていますが、奥伝や台子(だいす:茶道具を置く棚。台子点前は中・上級者向け)の点前も一通り稽古しました。これらは茶道の大元の形で、道具の扱いも複雑で丁寧になりますので、身に付けておくと平点前の所作にも奥深さが出ます。平点前とは複雑な点前を削りに削って簡略化したものですから、奥伝を体験してから平点前に戻ると、いかに点前が快適か実感できます。奥伝を極めるのでも、平点前を楽しむのでも、人それぞれの茶道を追求すればいいのです。

「茶道の本来の精神を大切にし、お茶の楽しさを多くの人に知ってほしいと思います」
「茶道の本来の精神を大切にし、お茶の楽しさを多くの人に知ってほしいと思います」

千利休が詠んだ歌に「稽古とは一より習ひ十を知り十より返るもとのその一」とありますね。

 本来、茶道は堅苦しいものではなく、誰でも楽しめるものです。芸術の分野なら才能やセンスが必要とされ、「この人は向いている、向いていない」といわれることもあるでしょう。例えば華道は、空間の中に花を生けるセンスが求められます。書道は決まりきったことを書くように見えて、半紙の空白をどう使うかというバランスのセンスが問われます。能も、体や声の使い方など持って生まれた才能で、向き不向きがあるかもしれません。

 でも茶道には特別の才能もいらず、誰でも始められます。言ってみれば「抹茶に湯を入れて茶筅(せん)を振るだけ」のことで、抹茶や菓子や懐石をいただくのも「飲食」の延長に過ぎないともいえます。千利休の「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし」という歌にある通りです。

 昔のように人口が増えていた時代はともかく、人口が減少し茶道をたしなむ人も減りつつある今の時代には、「お茶は楽しいものですよ」ということを伝えていきたいです。人は、楽しくないことには興味を持ちませんから。先ほどの「総合芸術」という言い方を借りれば、茶道には掛け軸、花、香、焼き物、そして着物などいろいろな接点があります。これらのうち、自分の好きなこと、興味のあることから気軽に触れて、誰もが自分らしく茶道を楽しんでいただければいいと考えています。

D・アトキンソン氏がお薦めする茶道の本

『利休伝書が語る 茶の湯の常識』(町田宗心著/光村推古書院)
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 著者は茶道石州流不昧派十四世。茶の湯における点前の所作の由来や流派による違いを、多数の文献(茶書、茶人の日記や書簡、近代小説など)を引用して横断的にひもといていく。「茶の湯とは本来亭主が客をもてなし、客がその心遣いにこたえること」ととらえ、現代の茶道が形式的な稽古だけを優先していることを憂慮する。
 「茶道の世界では常識とされてきた歴史や出来事も、客観的に研究を進めると以前と異なる解釈が出てくることがあります。流派によるポジショントークもありますし、そのときの家元の方針など時代によって変化することもあります。例えば、今では茶室で正座をするのが正式とされていますが、文献によれば片膝を立てたりあぐらをかいたりしていた時代もあったことが分かります。この本を読むと、茶の湯の魂や精神とはもともとどういうものだったのか、点前の所作の意味などについて深く考えさせられます」(アトキンソン氏)

取材・文/大塚葉(日経BP 総合研究所) 構成/南浦淳之(日経BOOKプラス) 写真/稲垣純也


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