リスキリング(学び直し)が注目される今、リベラルアーツ(教養教育)としての茶道を見直してみませんか。今回は、プレゼンテーション術やロジカルシンキングに関する講演や著作で知られる澤円氏に、自由な発想で人と交流できる煎茶道の楽しみ方をお聞きしました。(聞き手は、日経BP 総合研究所上席研究員 大塚葉)

澤 円(さわ まどか) 圓窓 代表取締役
澤 円(さわ まどか) 圓窓 代表取締役
1993年立教大学経済学部卒業。生命保険のIT子会社勤務を経て、1997年マイクロソフト(現日本マイクロソフト)に入社。コンサルタント、プリセールスSE、営業マネジャーなどを経て、2011年マイクロソフトテクノロジーセンター センター長、2015年同社サイバークライムセンター日本サテライトのセンター長を歴任。2019年、副業で「圓窓」を設立し、2020年日本マイクロソフトを退社。武蔵野大学教授。『マイクロソフト伝説マネジャーの世界No.1プレゼン術』(ダイヤモンド社)、『メタ思考~「頭のいい人」の思考法を身につける』(大和書房)など著書多数

コンサルティングや人材育成支援などが主なお仕事で、茶道や空手もなさっています。茶道は方圓流の煎茶道ですね。この流派を選んだきっかけを教えてください。

 実は、母が方圓流の煎茶道で家元直下の師範なのです。自宅で教えていたので、僕も幼い頃から稽古を見る機会がありました。大学2年生になって、就活のために履歴書を書いていたときに「資格欄に茶道とか書いたら面白いな」と思い、母に頼んでお弟子さんの稽古の合間に特訓してもらいました。空手は、僕の一家でお世話になっていた整体師さんが千唐流 (ちとうりゅう)の空手を教えていて、30歳のときに始めました。どちらも、家族がらみなのです。

 高校2年生のとき、米国オレゴン州にホームステイしたことがあり、そのときに「日本人として、日本の文化をもっと知っておいたほうがいい」と感じたことも、茶道や空手を学ぶきっかけになったのかもしれません。

 茶道は大学卒業前に一番初級の免状をもらい、履歴書に「方圓流煎茶道初伝」と書くことができました。その後も稽古は続け、就職した頃には「準師範」を取りました。母が「今日はお手前(てまえ、注:方圓流では「点前」ではなく「手前」と表記)を3つお稽古するわよ」という感じでけっこう厳しく、一気に稽古してくれましたね。

「方円流煎茶教授」の看板を手に。「母に特訓してもらい、20代で師範の資格を取りました」
「方円流煎茶教授」の看板を手に。「母に特訓してもらい、20代で師範の資格を取りました」

マイクロソフトに入社後、茶道を学んでいることで何かメリットはありましたか。

 やはり外資系企業なので、「日本的なもの」を話すときにお茶は便利です。日本独自の食文化で、それに「道」が付加されて、さらにセレモニーという「イベント」になっている。茶道は、日本人的な発想や日本の独自性を表現するには最適だと思います。こうしたカルチャーは、海外からはほぼ無条件でリスペクトされます。それに茶道は、コミュニケーションツールとしても非常に優れています。

きれいな所作や間の取り方がプレゼンに生かせる

澤さんがよくお話しされるプレゼンテーション術で、茶道の心得が役立つことがあるのでは?

 プレゼンテーションの観点でいうと、茶道をやっていると姿勢がよくなり所作がきれいになりますね。手前で茶道具を扱うときは、右手で持ってから左手に持ち替えたり、持つ場所や持ち方が決まっていたりします。こうした所作は、きれいに見えるようにできているわけで、これらの動きが身に付いていると、プレゼンのときも話をしているときの手の位置や指先の動きなどを意識できるようになると思います。

 もう一つ、手前の所作はだいたい連続していますが、ときどき一呼吸置く、つまり「間」がありますよね。こうした間の取り方もプレゼンで活用できます。プレゼンのとき、流れるように喋り続けるのではなく、時々ひと呼吸置いたほうが、聞き手の納得感を得られることがあると思います。

 煎茶道の中でもたまたま母が師範だった方圓流を学びましたが、この流派がけっこういいと思うのは、まず、手軽においしいお茶を淹れられるようになることです。お客さまが来たときに、とりあえず1杯淹れて出すと、皆「お茶ってこんなにおいしいんですね」と驚きます。もう一つ方圓流のいいところは、応用が利くことです。煎茶だけでなく紅茶や中国茶の手前もあるので、いろいろな楽しみ方を提供できます。

方圓流のウェブサイトを見ていて素晴らしいと思ったのは、作法の基本に「美しく見せる」「相手の心を傷つけない」という精神、と書いてあったことでした。

 この流派は、「しなやかであること」が求められます。そもそも流派の名前が「水は方圓の器に随(したが)う」という故事成語に由来していて、「水は、それを入れる器が四角や丸などと変わると、その器にあった形になり、しなやかに動くことができる」という意味です。

略式の手前をする澤氏。茶入から茶葉を茶量(ちゃりょう)に出しているところ
略式の手前をする澤氏。茶入から茶葉を茶量(ちゃりょう)に出しているところ

「煎茶のこころ」として「自由の精神」「互譲のこころ」「個性の発露」「豊かな人間形成」とあり、敬服しました。煎茶道は江戸時代、武家や上流階級の間で形式化していた茶道に対抗して、市井の文化人の自由な交流の場として誕生し、発展したのでしたね。

 煎茶道は、お茶を通じて人との交流を深めるサロンだったのです。僕も2020年4月に、「茶話会」というイベントを開催したことがあります。「茶話」と「澤」をかけているのですが、お茶を飲みながら皆で情報交換をしたり交流したりできる会をやりたいな、と思ったんです。

 僕があまり好きではないカルチャーに、「業務に関することを、夜に職場外で決める」というものがあります。「飲みニケーション」が好きな人もいますが、中にはお酒が飲めなくて夜の飲み会を負担に感じる人もいるはずです。仕事のことは日中に職場で話しましょう、というのが僕の考えです。

 会社にいるからには、できるだけ社内で良い人間関係をつくることが大事です。では、デイタイムでできるコミュケーションは何か。お茶を飲みながら話す、これが茶話会を始めたきっかけです。茶話会ではお茶とお菓子をいただきながら皆で情報交換をしたり、これからの働き方について議論したりしました。その後、コロナ禍で開催できなくなってしまいましたが…。

 実は2019年に、マイクロソフトにいながら副業として「圓窓」を立ち上げました。コロナ禍を機に僕自身の働き方や生き方が一度リセットされて、2020年の8月にはマイクロソフトを退社することになります。

取材後、煎茶を淹れてくださった澤氏。「点前の細かい順番は、ちょっと違っているかもしれません。母に見られたら怒られそうだな(笑)」
取材後、煎茶を淹れてくださった澤氏。「点前の細かい順番は、ちょっと違っているかもしれません。母に見られたら怒られそうだな(笑)」

茶道で「ズームイン・ズームアウト」を両立させる

澤さんは、プレゼンテーション術では周囲の人を、メタ思考では自分をハッピーにする方法を指南しているように思います。仕事を通じてご自身や社会全体のウェルビーイングを目指しているのではないかと。茶道もそれにつながるところがあるのではないでしょうか。

 そうですね。お茶は水分補給の手段の一つですが、単にそれだけではなく、お茶を通じて季節を愛でながら、豊かな時間や人との対話を得られます。茶道をすることは、心の余裕を認識するためのプロセスだと思うのです。掛け軸を見たり茶室から庭を眺めたりすることで、「視線を上げる」ことができるのだと感じています。

 「視線を上げる」とは、「自分の手元ではなく、相手を見ること」でもあります。手前をするときは集中しないといけないし、そのために手元を見ることもありますが、でも何のために手前をしているかというと、その先にいるお客さまのためですよね。手前をしながら自然にお客さまのことを考えられるようになるのが、視線を上げるということだと思います。

 僕はよく「ズームイン・ズームアウト」と言っています。ビジネスでは「自分のスキルや専門分野を深掘りし、強みを生かすこと(ズームイン)」と、「今の環境から一歩引いて、自分のキャリアを俯瞰(ふかん)すること(ズームアウト)」の両方の視点を持つこと、そしてこの2つを状況に応じて切り替えることが重要だと考えています。

 茶道もこれに似ていて、手前の所作の一つひとつに集中してタスクに没頭することも大切ですが、一方で全体を俯瞰しながら客人をもてなすことも求められます。これらを両立させることで、「茶道における空間」が確立されると思うのです。抽象度を高くすると、茶道もビジネスとまったく同じですね。

茶道とビジネスの共通点をお聞きしましたが、先ほどの、きれいな所作をプレゼンに生かせるといったことなど、プレゼンに関する講演などで茶道の話をすることはありませんよね。

 一つには、このところ稽古をする時間があまりなく、手前をちゃんとできていないので、茶道の話を積極的にするのを遠慮しているのです。もう一つ、例えばプレゼンの話をするときに茶道の所作について触れないのは、聞く人がそちらに引っ張られてしまうのを懸念しているからです。プレゼンで最も重要なのは「何を語るか」ですよね。きれいな所作は、言いたいことを伝わりやすくする相乗効果を狙うものであって、「所作を覚えればプレゼンがうまくなる」と勘違いしないように話していないのです。

 ずっと手前の稽古もお休みしていましたが、そろそろ再開しようと思っています。そして自分のスキルをアップデートできたら、誰かに教えることを始めてみようかと。

教えることで、自分自身も学びますよね。

 そうですね。ピーター・ドラッカーの「人に教えることほど、勉強になることはない」という言葉が座右の銘です。茶道の世界はどこも高齢化が進んでいて、煎茶道も例外ではありません。僕ももうすぐ還暦なので、若い世代にお茶を伝えていくのにちょうどよい年頃ではないでしょうか。

 実は、このオフィスや近くにある羽根木公園の茶室なども使いながら、以前やった茶話会のようなイベントの開催や、茶道を活用した何か新しいことに挑戦したいと考えています。

「一つひとつに集中してタスクに没頭することも大切ですが、全体を俯瞰して行動することも求められます。抽象度を高くすると、茶道もビジネスもまったく同じです」
「一つひとつに集中してタスクに没頭することも大切ですが、全体を俯瞰して行動することも求められます。抽象度を高くすると、茶道もビジネスもまったく同じです」

澤円氏がお薦めする茶道の本

 江戸時代中期、佐賀鍋島藩士の山本常朝が語った武士の心得の書「葉隠」を基に、豊富な写真を加えたビジュアルブック。空手をたしなむ2人の著者が、現代風に読み解いている。
 「武士としてのたしなみや振る舞いについての考え方は、現代に通じるものがあります。『武士道といふは、死ぬ事と見附けたり』という部分が強調されがちですが、著者は『どのように生きるかについて書いた書』と解説しています。僕も『死ぬときに後悔しないように生きるための心得』と受け止めています。本書では文武両道にも触れていて『武で不足するところを文で補う』とあり、これもビジネスに通じます。企業で『とにかく業績を上げればいい』という考え方を『武』とするなら、『周囲の人とうまくやっていこう』という考えが『文』です。今後AIがさらに進化し『武』の部分の自動化が進むと、人間が関わる聖域として『文』が残っていくと思います」(澤氏)

取材・文/大塚葉(日経BP 総合研究所) 構成/南浦淳之 写真/木村輝


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